エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

捩花(ねじばな)

2015年06月27日 | ポエム
芝生の中に密やかに咲く。
捩花である。
ねじり花、もしくはねじれ花でも良い。

目立たず、かといって存在感が無いのかと云えばしっかりと主張している。



見れば見るほど可憐であって初々しくもあり、妖艶な肢体を見せてくれる。
捩花は、探さなければいけない。

探して出会うから、より愛おしさが増すのだ。

去年・・・。
俳句の師の一人でもある「砂流先生」が土手沿いを歩き、捩花を摘んで来た。
両の手に余るほど摘んで来て下さった。

捩花のブーケ、なんと贅沢なのであろう。







「捩花やテルミドールの予感する」







捩花を見かける頃になると、砂流先生の健康を思う。
同時に、ぼくはあかり先生の健康も気にかかってならない。

あかり先生も又、ぼくの師の一人である。



捩花が「嫋やか(たおやか)」であればあるほど、あかり先生が思われる。
捩花が「ひそやか」であればあるほど、砂流先生が思い起こされる。
捩花の捩れを戻そうと思えば思うほど、誠実であれと身が引き締まるの覚える。

お二人とも、人間的に尊敬できる。
それにしても、捩花はアンチとか反動とかそんな概念が沸き起こされる花である。



        荒 野人