エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

運動会日和

2013年05月26日 | ポエム
土曜日、運動会日和であった。
朝方の肌寒さは、9時を過ぎる頃から暖かさを増したのであった。



「起死回生」を捩(もじ)ったのであろう。
「輝志快晴」とある。

そう君たちの未来が、輝き、そして志を遂げるように祈る。
ぼくたちの世代の祈りである。



運動会が、近頃勢いを取り戻しつつあるような気がする。
親の激励の声が、大きくなっている。

民家の真っ只中にあって、騒音を撒き散らすのはいかがなものか?
などとしたり顔で言っていたおじさんやおばさんが居なくなって、親子・地域で楽しむイベントになって来ている。
とても嬉しい。

運動会をやるぞ!
と、ド~ンと揚がっていた花火。
ついこの間まで、地域の苦情が殺到して?電話連絡になっていたものであった。

しかし、今朝はド~ンと数発上がった。
嬉しいではないか。







「汗滴る君の明日へ徒競争」







昼食休憩をはさんで、校庭には親の大きな声が響いていた。
嬉しそうでもあったし、楽しそうでもあった。

この中学校も、少しだけ荒れていた時期があった。
この分なら、もうすっかり大丈夫なのだろうと思う。



学校も履歴を重ね、変化進歩する。
地域の学校として更に発展して欲しいものである。



          荒 野人

風薫る

2013年05月25日 | ポエム
風薫る五月・・・。
風薫る候である。
日差しが適度に熱を帯び、日陰にあっては風が涼やかに透る。



風が薫っているのである。
オープンなカフェてアイス・コーヒーを飲んでいたら、シャープな顎のラインの女性が自転車で過ぎ去って行った。



子どもたちは、水遊びが楽しい。
母親の庇護の下、子どもたちは戯れる。



屋根からも水が落下してくる。



深い緑に変わりつつある公園は、水が良く似合うのである。



風が通る。
水が匂う。
大気が薫る。
緑が滴る。
風が運ぶものは、人の気配。
森羅万象の本質。
生き物の根源。

哲学する心である。







「風薫る園服帽子青き声」







この席で、アイスコーヒーを頂いた。
お店の名前は「われもこう」である。

ついこの間オープンした。
秋が良く似合うお店になりそうである。



テーブルに緑が映った。
万華鏡のようにキラキラと光って、見る角度で映像が変わっていく。



       荒 野人

栴檀の花

2013年05月24日 | ポエム
栴檀の花が満開である。
二日間ユーチューブをアップした。

初めて、ブログに音源を入れた試みであった。
初恋を口ずさみつつ、且つは又落葉松を裏声で歌いつつ深い緑を遊弋した。



いつもの散歩道で栴檀の花の満開と出会った。



栴檀は双葉より芳(かんば)し」のことわざでよく知られるが、これはセンダンではなくビャクダン(白檀)を指すのである。
従って、栴檀の木を削っても香りはしてこない。



今満開である。
花は、満開と同時に散り時となる。
宿命である。







「栴檀の満開の下花散れり」







栴檀の木の花は、見上げなければならない。
顎が疲れるのである。



花言葉は「意見の相違」である。



相違と云うほどの色の相違は見られない。
してみると、一体何故こうした花言葉になったのであろうか。

 花樗霧吹く如き盛りかな
        西村 和子  
        
 栴檀のありあまる花こぼさざる
        鷹羽 狩行

こんな俳句が詠まれている。
その手腕の冴は見事である。
由利主宰の「良く見ている」という言葉が聞こえそうである。



         荒 野人

みやこわすれ

2013年05月23日 | ポエム
みやこわすれ、なんという悲しく、そして美しい響きを持つ言葉だろう。
人によって受けとめ方は、郷愁であったり、はかない慕情であったり・・・人夫々だろう。



ぼくは成就しない愛を思って、少しばかりしんみりとしている。
ここのところ、思いがけず「はしり梅雨」に降り籠められたりしたせいだろうか。



晩春であって、初夏である。
季節の鬩ぎ合いが続く。
けれども、春の肌寒さはもうないだろう。

夏が寄り切りで決着をつけんとしているのである。
新緑は、緑陰となってやがて万緑となる。

季節は変われども、ぼくの心の傷は消えない。







「みやこわすれ咲けば必ず菓子一つ」







みやこわすれ。
花言葉は「しばしの憩い」「別れ」「短い恋」「また合う日まで」である。

鎌倉時代に承久の乱で北条氏に敗れ、佐渡へと流罪になった順徳天皇が、ある日、庭の片隅に咲いている小さな白い可憐な花を見つけ「この花を見ていると、少しの間でも都を忘れることができる」と言ったことからこの名で呼ばれるようになったといわれている。

江戸時代から茶花などとして栽培されてきたのである。
ぼくはこの花を見ていると、いつでもきみを脳裏に浮かべる事が出来る

そう淡い初恋のように。



初恋 鮫島有美子




今日は、石川啄木の歌にメロディーを付けた日本歌曲をお聞きいただきたい。
ぼくの時々口ずさむ歌である。

  砂山の砂に腹這ひ
   初恋の
    いたみを遠くおもひ出づる日

歌集「一握の砂」にある。



初恋とは、なんどでも繰り返し感傷に浸るのだろうか。
ぼくは、過ぎた恋を忘れる事は無い。
しかし、ペーソスに浸ることはない。



今、恋の季節である。



       荒 野人


乗鞍紀行・・・歌曲「落葉松」と迎え梅雨

2013年05月22日 | ポエム
日本の音楽会に、駿優な人材を輩出、あるいは育てた教育者でもあった小林秀雄氏の歌曲である。
ぼくは俳句結社「からまつ」に入ってからと云うもの、この歌曲が大好きになった。

とりわけからまつの同人の皆さんや、会員の皆さんに聴いて頂きたいものである。
しみじみと「からまつ」の素晴らしさが感じ取れるのである。


落葉松・中沢桂.wmv






時は今、からまつ若葉の季節である。
この歌曲は、走り梅雨に降り籠められた時間に聴いて頂ければ嬉しい。

中沢桂の正しい日本語の発声は、素晴らしく耳に心地よい。







「迎え梅雨からまつは今濡れもせず」







時として、走り梅雨、迎え梅雨が降る。
そんな季節でもある。

本田武久氏による落葉松も、この記事の前にアップしてある。
合わせてお聞きいただければ幸いである。



      荒 野人