エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

返り花・・・つつじ

2014年11月25日 | ポエム
時はいま、落葉と黄葉である。
時はいま、冬隣であって朝晩は東京でも暖房が必要である。



とりわけ、我が家の近くでは銀杏の黄葉が美しい。
従って「美しい日々」が送られている。

誰もが、見上げると云う行為に酔い痴れるのだ。

春は、桜。
夏は、雲の峰。
秋は、紅葉。
冬は、雪。

夫々が、見上げる行為を必要とするのである。



落葉も、褥(しとね)の上に軟着陸出来れば幸いである。
自然のままに、朽ちる事が出来るからである。

今日は「返り花」。
本来の言い方では「桜」の花の事である。

従って、その他の花の場合は「固有名詞」で花の名前を詠み込みたい。
今日の返り花は「つつじ」である。







「返り花つつじの花のイレギュラー」







返り花と云うオマージュは、日本人の美意識を反映して哀しくも美しい。

不時開花、とも云う。
帰り花、と書いても良い。

不時開花の「不時」は、予期せぬ・・・と云う意味合いである。
例えば、飛行機の「不時着」。

言葉の豊かな日本人である。



      荒 野人

落葉一葉「花水木」

2014年11月24日 | ポエム
今日は花水木である。
見事なまでの紅葉も、そろそろ終ろうとする。

紅葉の奥深さを見せるのは、この花水木である。
そもそもが北米原産の花卉である。

ニューヨークのポトマック河畔の桜の返礼として、日本に送られたのであった。
ニューヨークもそうだけれど、例えばロスなどの郊外にフリーウエイを走っていると、花水木に良く出会える。

春の新芽、夏の緑、秋の紅葉、冬の落葉と赤い実生。
四季折々を楽しませてくれる花卉である。




「花水木紅葉となりし雨の後」




ぼくの家の周辺には、この花水木が多く植えられている。
街路樹としては、目に楽しい。

舗道の清掃をなさっておられる作業員の方のご苦労は、察するに余りある。
けれど、黙々として竹箒を滑らせる姿を見ると、それもまた季節の風物詩になっている。
楽しい花卉である。



      荒 野人

夕景の富士山

2014年11月23日 | ポエム
夕景の富士山が綺麗だと云う情報があった。
午後、おっとり刀で出かけてみたのである。



富士山は綺麗であった。
けれども、雲がかかっていて鮮明な姿とはならなかった。



富士の夕景は、一個で完結する。
あまりにも綺麗なので・・・と言い訳しつつ。
句が出来ないのだ。







「ビルの街海溝にある冬の富士」







カメラを絞って、写した。
ビルの谷間から覗く富士は、生きている。

その生き様は、鮮烈である。
富士山の呼吸は、あまねく広く日本人の琴線を搔き鳴らすのである。

因みに、先の二枚はスーパーのビルの屋上から。
後の二枚は、東久留米駅の「富士見テラス」から、駅前大通りの先にある富士山である。



       荒 野人

落葉一葉「ゆりのき」

2014年11月22日 | ポエム
この木の花は、チューリップに似ている。
百合というより・・・である。
花は上向きである。

ススラスッとした木の姿は、とりわけ黄葉期には目だっている。
その立ち姿が好きだ、という人は多いのである。

百合の木・・・漢字表記である。
ユリノキと書く事が多いのだけれど、今日のタイトルは「ゆりのき」とした。
柔らかい印象になるからである。




「ゆりの木の花より黄葉多く散り」




因に、この一葉は昨日紹介したユリノキの下のベンチで撮ったものだ。
この巨木は、息をしている。

幹に、耳を当ててじっとしていると息吹が聞こえてくる。
何かを語ろうとするのだ。

愛おしい樹である。



      荒 野人

鴨飛来す!

2014年11月21日 | ポエム
いつもの、散歩道。
その延長にある「光が丘公園」の池に、今年も鴨が飛来してくれた。

水も汚いし、周囲は騒がしい。
さらに言えば、訳の分からない人もいて「餌」を池に投げ込んで得々としている。
従って、毎年肥大してしまって渡りの時期に飛び立てない鴨がいる。
「留鳥」になってしまうのである。
毎年10羽以内だけれど、その現実は哀しいのだ。



この銀杏並木の先に、その池はある。
その池に至る前・・・。



ぼくは、この「ユリノキ」の下のベンチで時間を過ごすのである。
その時間は、至福である。

だがしかし、この日は先客がいたのであった。
残念!






「鴨来る気圧の壁を突っ切って」







この池には、時々サギも飛来して羽を休める。
また、カワセミもくるのである。



この季節、写真にすると綺麗に写ってしまう。



この日、サギは随分と長い間池にいた。
小魚がそれほど多くは無いのに、鴨とのランデブーを楽しむかのようであった。




      荒 野人