エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

枇杷

2015年05月26日 | ポエム
枇杷が色づき、その黄色が滴り落ちそうになっている。
間もなく、この地植えの枇杷も食べられるだろう。

グリーンベルト・・・街中を貫く遊歩道だけれど、そこに生っている。
だから、誰のモノと云う訳でもない。



この枇杷、�据いで食べると以外に甘いのである。
誰がいつ�据いでいくのか、気がつくと無くなっている。
タイミングこそが、ありつけるかどうかのポイントである。







「手の届く枇杷の産毛の柔らかし」







既に、大分前から果物屋さんの店頭に並んでいる。
まだ旬ではないからだろうか、価格は幾分高い。

けれど、我が孫たちは既にずっと前に食べている。



孫には甘い。
走りの頃、買って食べさせているのである。

食べなくては、季節を感じられない。
季節の食材を頂くと云う行為は、ワクワクする。
自然の力を取込むのは、生きている証である。



     荒 野人

ピンクの山法師

2015年05月25日 | ポエム
ヤマボウシが、今をさかりと咲き乱れている。
その様は、重き荷を負うが如くである。



過日、淡いピンク色のヤマボウシと出会った。
不思議な感覚に襲われて、ぼくは車をUターンさせた。



白のヤマボウシは良く見かけるけれど、このピンク色は年に一度くらいで会う事がある。
出会っても、なかなか近くに行かず「しげしげ」と見つめる事が無かった。



今年は、なんとしても写真に収めるべくUターンしたのであった。







「透過する光の淡きヤマボウシ」







今年初めて目にした、ピンクのヤマボウシである。
立ち去り難く、いつまでもその木の下でカメラを構えていたのであった。



花越しに見る、碧空もまた見事であった。
いよいよ季節は万緑に入る。

重ねる翠が、碧空に溶けいる感覚が懐かしくもありドキドキする。
また、年を重ねてしまう。
いつになったら野人の代表句が生まれるだろうか・・・。



     荒 野人

十薬

2015年05月24日 | ポエム
十薬、ドクダミのことである。
ドクダミは、夏の季語。



十薬は生薬として夙に有名である。

開花期の地上部を乾燥させたものは生薬名十薬(じゅうやく、重薬とも書く)とされ、日本薬局方にも収録されている。
十薬の煎液には利尿作用、動脈硬化の予防作用などがある。
なお臭気はほとんど無い。
また、湿疹、かぶれなどには、生葉をすり潰したものを貼り付けるとよいとされる。



漢方薬としては、万能選手である。
姿勢の人でも葉を乾燥させて、茶として喫する。
火傷した場合、その葉を貼付ける。

十薬が臭いとするのは、間違いである。
人々の生活に貢献する薬草であるのだ。



ドクダミの花には、八重咲きもある。
こんもりとして、姿は美しい。







「十薬や眠りの深き八重一重」






ドクダミ・・・十薬にこの時期だからこそ思いを寄せるのである。



今ぼくは、グァバ茶を飲んでいる。
時にはドクダミ茶を飲むのも良い。

気分を変えるためにである。



    荒 野人

楓の実

2015年05月23日 | ポエム
楓の実が、蒼く赤く・・・。
カエデは、今こそ楽しめるのである。

さて・・・。

今日も今日とて、いつもの散歩道でカワセミに出会ったのであった。
子育て一段落。
伸びのびと、餌を求めて池の面を滑空する。
翅を休める姿は、優雅でさえある。



この姿と、ホバリングする姿と、餌を求めて直滑降で池に突っ込む姿にアマチュアカメラマンが殺到している。
カワセミは、そうした喧噪を物ともせず泰然自若。

本能の赴くままに生きる。
自然の生んだ傑作であるのかもしれない。
いやいや・・・あるいはブログを通じた友の「まさこさん」に云わせると神の思し召しなのかもしれない。



今日のカワセミは、さまざまな感慨を呼び覚ましてくれる。
やはり、神の子なのかもしれない。

彼の池から、少しだけ進むと「楓の実」のついた木がある。
楓の実は、夏の季語である。







「落果することの無かりし楓の実」







この楓の実で俳句を詠もうとするのだけれど、なかなか詠めない。
季節が横溢していすぎる、からである。

だがしかし、呻吟して懊悩して一歩前に!
である。

楓の実は、落ちる事は無いのだ。
くるくると舞うのである。




        荒 野人

まさこさんから、写真処理に関してご意見を頂いた。
早速そのようにと思いつつ、既に処理済みの写真はそのままアップとなってしまった。
ごめん!


雨上がりの薔薇

2015年05月22日 | ポエム
雨滴が残っている薔薇は、扇情的でさえある。
誠にエロチシズムの極地にある、と云えよう。



この薔薇は「紫雲」である。
高貴な色合いであって、華やかさの中に静謐を内包している。

その危うさが、良い。







「花芯まで沁み入る薔薇の化粧水」







白と赤が、スタンダードだと思うけれどバイオ技術の進歩は・・・有り難いほど嬉しい。
いろいろな薔薇が楽しめるのは、愉悦の時でもあるのだ。



淡いピンクは、恋心とでもいったら良かろうか。
そうした花言葉が付けられると、限りもなく嬉しいではないか。



黄色は注意。
迂闊に近づくと、虜になってしまう。
そう語りかけている。

ぼくは、そっと語りかけるだろう。
「いいね!」



       荒 野人