写真を撮る場合、アングルを自分なりに考えてシャッターを切ることを心がけている。だから一度の撮影でせいぜい3、4回だ。兼六園で秋の風景を撮った時も10回だった。ところが、きのう(11日)訪れた富山県砺波平野の散居村のお宅では実に31回もシャッターを切った。
ことし5月9日付の「自在コラム」でも紹介した森満理(もり・まり)さんたちの子育てグループが収穫祭を開くというので友人たちと出かけた。森さんたちの活動については前回書いたので繰り返さない。ただ、一言で表現するなら、自らの住宅=古民家を「まみあな(狸穴)」と称して、「出会う、関わる、気遣い合う、支え合う」を実践している。
撮影に夢中になった一枚はご覧の通り、壁の落ちた土蔵である。この壁の落ちた跡にのぞいた竹網に何とも言えないアジア的な風情を感じた。ビワの木の枝と重なり合ったアングルはどこか異国情緒さえ醸し出す。
もともと散居村ではそれぞれの家が「屋敷森」をつくっていて、数十㍍四方にその森の世界が広がる。何世代もかけてつくり上げた森だ。笹の群生の向こうに石灯篭を配置することで、庭園の風格がにじむ。計算された敷石や樹木の配し方といった「屋敷森のプラン」を一つひとつ読み解いていくと、この家の先祖と語り合っているような楽しさがあった。
最初の画像は、この家の式台(しきだい)で行われたもちつきの様子だ。式台はかつて客人を迎え入るための玄関だった。いまは集いの場である。人々の交流の輪が楽しく、携帯電話カメラでムービーを撮った。ブログサーバーではデータ容量は240kが限界なので30秒足らずの動画だが、その場の雰囲気が凝縮されてもいる。
夜、金沢の自宅に戻り、野外で煮炊きに使った木の燃えた独特のすっぱいにおいがジャンパーについているのに気づいた。どこか懐かしいにおいだった。
⇒12日(月)午後・金沢の天気 くもり時々雪