四季折々、3ヵ月に一度ほどの割合で訪れている寿司屋がある。先日もカンター(6人掛け)に座り、海の幸を堪能した。白エビのイカごろかけ、イカのウニかけ、マグロのトロあぶり、彩りよく次々と出てくる。スピード感ある包丁さばきや握りの技術、小さなカウンターだが独特の食の空間が醸し出されて、これがまた味わい深い。
カンター越しに店主との対話も楽しめる。一度聞こうと思っていた質問をぶつけてみた。「この店では、お客さんから大将と呼ばれますか、あるいはマスターと呼ばれますか」と。すると、「3人に2人は大将、1人はマスターですね」と笑った。続けて、「マスターと呼ぶ人のほとんどはシニアの方ですね」と。すると、隣の30代とおぼしき男性客は「そりゃ大将でしょう。寿司屋でマスターという外来語は何かヘンですよね」とうなずいた。
60歳の真ん中、ひと昔前なら「高齢者」と呼ばれた自身も店主のことを「マスター」と呼んでいるので、確かにそうだ。でも、なぜいわゆるシアニ世代は「マスター」と呼ぶのだろうか。我々の世代は「大将」は「お山の大将」というイメージや、店主が我々より若いということもあって、「マスター」とつい呼んでしまうのかもしれない。もし、店主が70代だったら、「大将」あるいは「おやっさん」と呼んでいるかもしれないなどと話しながら、ブリ、サンマ、イクラ巻をつまんだ。
店主はもともと千葉の出身で、東京銀座の寿司店で修業を積んだ。金沢は縁もゆかりもなかったが、旅行で訪れた金沢の近江町市場に並ぶ魚介類の豊富さと鮮度の高さに惚(ほ)れ込んだ。すし屋として独立するなら金沢でと決めて単身で移住した。
北陸新幹線金沢開業の1年後の2016年3月開店にこぎつけた。しかし、金沢で「鮨道」を極めるには超えなければならない難関が待っていた。ところが開店はしたものの、江戸前の銀シャリの味が金沢の食通の人には馴染まず、酢の配合が定まるまで試行錯誤の日々が続いたという。
カウンター向こうの壁に『粋』と墨書の大額が飾られている。その右下に『人間到る処青山あり 極鮨道』と。世の中どこで死んでも青山(墳墓の地)はあるから、夢を達成するためにあえて郷里を出る。鮨道(すしどう)を極める。店主自らの書である。「大将」の道を極めようと人生修業に励む姿がここにある。
⇒15日(土)夜・金沢の天気 くもり