自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆ 避難所の情報インフラは昔テレビ、今スマホ

2024年04月08日 | ⇒ドキュメント回廊

  先日(3月24日)能登の被災地の穴水町の避難所を訪れた。支援ボランティアとかではなく、トイレを拝借するためだった。穴水町はすでに断水が解消されていて、普通にトイレが使える状態だったので、公共施設でもある避難所を訪れた次第。中を見渡すと、避難所だけあって衣類や食糧(カップ麺、缶詰など)、菓子類などが自由に取れるように積んであった。1月に訪れたときは、台湾のボランティア団体がここで炊き出しを行っていた。

  この避難所には和室(畳部屋)だけでなく 椅子に座ってくつろげるロビーもある。そこで見かける光景は被災者の人たちが談笑している様子のほか、スマホを熱心に見ている人たちの姿だ。おそらく被災情報にアプローチしているのだろう、スマホを片手に罹災証明書の取得について話し合っている人たちもいた。避難所の和室の入り口にはスマホの充電コーナーがあり、自由に使えるようになっていた=写真・上=。この避難所の光景を見て、2007年の能登半島地震で訪れた避難所での様子とはずいぶんと変わったと時代の流れを感じた。

  2007年3月25日の能登半島地震(震度6強)の後、震源地と近かった輪島市門前町で避難所となっていた公民館を訪れたことがある。公民館のホールでは避難者が敷布団を敷いて寝転がり、テレビを食い入るように見ていた=写真・下=。新聞は避難所の入り口付近に束のまま置かれていた。避難所の中では新聞を広げるスペースがないため、読む人は少なかったのだろう。テレビの設置はNHK金沢のスタッフが各避難所を回って取り付け、広めの避難所には大型画面のテレビを置くなど、情報インフラにチカラを入れていた。

  しかし、今回見た避難所ではテレビは設置されていたものの、避難者の多くの人はスマホ画面を指でなぞっていた。AppleがiPhoneをアメリカで発売したのは能登半島地震から3ヵ月後の2007年6月だ。あれから17年、知りたい情報を自分で探す、日常生活でそれが当たり前になった。避難所の風景も変わった。ただ、充電設備を整えるという点は「ガラケー」時代と変わらない。 

⇒8日(月)夜・金沢の天気   くもり


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