自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆能登半島の尖端で震度6弱、やはり来たか

2022年06月19日 | ⇒ドキュメント回廊

   そのとき、民放テレビが放送していた能登がテーマのバラエティ番組を楽しく見ていた。グラグラと揺れを感じた。同時に、スマホの緊急警報(Jアラート)が高々と鳴り響いた。「19日午後3時08分ごろ、能登地方で強い地震」。NHKは番組そのものが地震速報に切り替わった。地元・北陸放送のアナウンサーはヘルメット姿で速報を伝えていた=写真・上=。

     能登半島の尖端部分を震源とする、深さ10㌔、マグニチュードは5.2の揺れ。震度6弱は珠洲市、震度5弱は能登町、震度4が輪島市と。石川県内だけでなく、震度3の揺れが新潟県上越市、富山県高岡市、氷見市、福井県あわら市で観測された。(※その後、震源の深さは13㌔、マグニチュードは5.4に修正されている)

   番組では、珠洲市の泉谷市長が電話でのインタビューで揺れについて語っていた。「発生当時、市役所の3階の市長室にいた。突然、突き上げられるような揺れが10秒ほど続いた。棚から書類などがほとんど落ちた。現時点で被害情報はまだ入ってきていないが、市内をパトロールしてなるべくはやく被害を把握したい」と述べていた。NHKでは午後3時50分から、松野官房長官が記者会見を行い、志賀原発ではいまのところ異常は報告されていないと語っていた。「やはり来たか」。テレビにくぎ付けになった。

   能登地方では2018年から小規模な地震活動が確認され、おととし2020年12月以降で活発化している。去年9月16日には珠洲市で震源の深さ13㌔、マグニチュード5.1、震度5弱の地震があった。同市では「奥能登国際芸術祭2020+」が始まっていたが、展示作品などに影響はなかった。能登半島では震度6以上の強い地震がこれまでも起きている。15年前の2007年3月25日の「能登半島地震」ではマグニチュード6.9、震度6強の揺れが七尾市、輪島市、穴水町を襲った。

   話は変わる。きょうの午前中、菩提寺(曹洞宗)で催された「普度会(ふどえ)」の法要に参列していた=写真・下=。10年に一度開催される法要でそれまでは父親が参列していたので、自身は初めてだった。和尚の説明書きによると、冷害や干ばつ、震災などの自然災害で江戸時代中ごろに飢饉(きん)が全国でまん延した。飢饉でなくなったすべての人たちを弔う法要として、曹洞宗では普度会が始まったそうだ。「普(あま)ねく度(ど)す会」、これは僧と檀家が一堂に会して、この法要を営む。

   日本史で習う「天保の飢饉」は加賀藩も例外ではなかった。能登には「一村一墓(いっそんいちぼ)」という仕組みができた。集落の墓をすべて一つにまとめ、最後の一人が墓参することで「村終い(むらじまい)」とすることを村の定めとした。その集落は消滅せずにいまも存在する。集落は珠洲市にあり、一村一墓の定めは現代でも継がれている。

   きょうの能登半島の地震、そして普度会法要でふと一村一墓の集落のことを思い起こした。

⇒19日(日)夜・金沢の天気     はれ  


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★小麦高騰、ならば米粉スイー... | トップ | ★群発地震で土煙を上げて細る... »

コメントを投稿

⇒ドキュメント回廊」カテゴリの最新記事