自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆ノーベル平和賞の遺伝子

2021年10月09日 | ⇒ニュース走査

   第二次世界大戦後長らく続いたアメリカとソビエト連邦のいわゆる「冷戦」を終結に導き、ソ連で最初で最後の大統領として知られるミハイル・ゴルバチョフ氏がノーベル平和賞を受賞したのは1990年だった。中距離核戦力の全廃条約に調印したことや、グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(再建)を掲げてソ連の民主化を進めたことが受賞理由だった。1991年に辞任に追い込まれたが、同時に賞金などを元手にゴルバチョフ財団を創設し、独立系新聞の創設を支援してきたことなど、後年、何度か出演した日本の民放テレビで語っていた。

   きのう8日、ノーベル平和賞のニュースをテレビで視聴していて、その記憶と同時に「ノーベル賞ストーリー」というものを感じた。

   ノルウェーのオスロにあるノーベル平和賞選考委員会は、ことしのノーベル平和賞にフィリピンのインターネットメディア「Rappler(ラップラー)」代表マリア・レッサ氏と、ロシアの新聞「Novaja Gazeta(ノヴァジャ・ガゼータ)」の編集長ドミトリー・ムラトフ氏の2人を選んだと発表した(「ノーベル平和賞2021」プレスリリースWeb版)=写真=。ノヴァジャ・ガゼータ紙こそ、ゴルバチョフ氏がファンドで支援した新聞だった。以下、プレスリリースを引用する。

   ドミトリー・ムラトフ氏は1993年創刊の独立系新聞「ノヴァジャ・ガゼータ」を立ち上げた一人。24年間、同紙の編集長を務めている。権力に対して批判的な論調を崩さず、権力の汚職、警察の暴力、不法逮捕、選挙詐欺の汚職など重要な記事を発表し、現在のロシアで最も独立性の高いメディアと評価されている。一方で、権力サイドからは嫌がらせ、脅迫、暴力、殺人にいたるさまざま迫害を受けていて、創刊から現在まで、チェチェンでの戦争に関する政府への批判記事を書いた女性記者ら同紙の6人のジャーナリスト記者が殺害されている。殺害と脅迫にもかかわらず、編集長のムラトフ氏は新聞の独立性を守り続けている。

   プレスリリ-スは、フィリピンのドゥテルテ大統領とロシアのプーチン大統領の名前を記していないが、両国での人権侵害や報道の自由が危うくなっていると指摘している。フィリピンでは麻薬犯罪の取り締まりで容疑者の超法規的な殺害が続き、ドゥテルテ大統領はこれを容認している。マリア・レッサ氏はこれを正面から批判している。また、ロシアではプーチン政権に批判的なジャーナリストへの迫害が相次いでいる。今回受賞した2人は政権に妥協しない報道の自由を死守している。その姿勢を高く評価したものだ。

   冒頭で「ノーベル賞ストーリー」と述べたが、ソ連の民主化を毅然と推し進めたゴルバチョフ氏。その賞金で支援した独立系新聞社の報道の自由を守る戦い。この部分を切り取って考えると、まさに「ノーベル平和賞の遺伝子」ではないかと想像してしまう。こんなことも考える。今回のノーベル賞受賞でフィリピン、ロシア政府がそれぞれに2人に対して圧力を強めるかもしれない。ノーベル賞というスポットライトを当てることで、国際世論を喚起することの効果をノーベル選考委員会は期待しているのかもしれない。

   プレスリリースはこう締めくくっている。「Without freedom of expression and freedom of the press, it will be difficult to successfully promote fraternity between nations, disarmament and a better world order to succeed in our time. This year’s award of the Nobel Peace Prize is therefore firmly anchored in the provisions of Alfred Nobel’s will.」(意訳:表現の自由と報道の自由がなければ、国家間の友愛、軍縮、そしてより良い世界秩序を促進することは困難である。したがって、今年のノーベル平和賞はアルフレッド・ノーベルの意志に合致している)

⇒9日(土)夜・金沢の天気    くもり時々はれ


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