自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★白い花のヒガンバナ 「彼岸の入り」あれこれ

2023年09月20日 | ⇒ドキュメント回廊

   きょうは「彼岸の入り」。これまでよく、「暑さ寒さも彼岸まで」と季節の会話を交わすことはあったが、ことしは使えそうもない。きょう金沢の予想最高気温は30度、最低気温は25度と真夏日だ。あすも32度だ。

   きのう近くのお寺の境内を歩くとヒガンバナが咲いていた。ヒガンバナというと、赤い花というイメージがあるが、この寺のヒガンバナは白い花で知られる=写真=。40年ほど前に白い花が咲いていたのを檀家が株分けして数を増やしていったという伝えがある。そのせいか、花だけでなく境内も整備されて、ちょっとした「お寺の公園」というイメージだ。

   話は少し逸れる。近くに「野田山墓地」という山そのものが墓苑という広大な墓地がある。加賀藩の藩祖・前田利家の墓などあり、金沢で由緒ある墓地といえる。たまに通るだけなのだが、10年ほど前に比べて「無縁墓」が増えている。放置されて雑草が生い茂っている。一部は墓石が傾いて、倒壊しそうなものもある。

   この光景を見て、能登の「一村一墓」のことを思い出す。能登半島の尖端・珠洲市三崎町の大屋地区での伝え話だ。江戸時代に人口が急減した「天保の飢饉」。能登も例外ではなく、食い扶持(ぶち)を探して、若者が大量に離村し人口が著しく減少した。村のまとめ役が「この集落はもはやこれまで」と一村一墓、つまり集落の墓をすべて集め一つにした。そして、ムラの最後の一人が墓参りをすることで「村じまい」とした。しかし、集落は残った。江戸時代に造られた共同墓と共同納骨堂は今もあり、一村一墓は地域の絆(きずな)として今も続いている。現在の「共同墓」の先駆けだったかもしれない。

   以前、東京に住む友人から共同墓の権利を購入したとのメールをもらった。費用が安く、供養してもらえるようだ。ただ、遺骨は永久供養ではなく33回忌で、他の遺骨と一緒に合祀されるとのこと。「家族に迷惑がかからない分、すっきりしていい」と本人は納得していた。

   葬式や墓造りには当然ながら多額の費用がかかる。墓を造ると墓守りもしなければならない。死後になぜこれほど経費をかけるのか、むしろ残された家族のために使うべきだという発想が現役世代には広がっているのではないだろうか。
   彼岸の入りにあれこれ思ったことをしたためた。意図した文脈があるわけではない。

⇒20日(水)午前・金沢の天気   くもり時々あめ


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