今月13日に亡くなった指揮者の岩城宏之さんのことを今回も書く。岩城さんはベートーベンの「田園」が好きだった。交響曲第6番である。ちょっとしたエピソードがある。
2004年の大晦日(12月31日)、東京文化会館でベートーベンの交響曲1番から9番をすべて演奏するという大勝負をした。その時のことである。5番「運命」を終えて、夕食をとり、続いて6番へと続けた。ところが05年の大晦日に再度ベートーベンの連続演奏に挑戦したときは、4番を終えてから夕食に入った。この違いについて岩城さんはこう説明した。「曲の順番からも『運命』が一つのヤマなのでこれを越えてひと安心して、前回は夕食を食べた。ところが、『運命』が終わったのと、夕食を食べたのとで、『田園』になかなか気持ちのエンジンがかからなかった。そこで、今回は工夫して『運命』の前に食事を済ませることにしたんだ」と。気が乗らないとの理由で、大休憩(食事)の時間を大幅に前倒しした。そのほどの思い入れが「田園」にあった。
もう一つエピソードを。このベートーベンの連続演奏に鹿児島の麦焼酎の造り酒屋がスポンサーについた。なぜか。この焼酎メーカーが発売している「田苑ゴールド」という銘柄は、すばり「田園」を聞かせて熟成させた酒なのである。コンサートのスポjンサーになったのも、あやかったというわけだ。会場でその説明を受けた岩城さんが思わず手を打って、「モーツアルト熟成は聴いたことがあるけど、ベートーベン熟成ね…」とニコリ。それまで緊張の面持ちだったのが相好を崩した瞬間だった。
ベートーベンは、この曲に小川のせせらぎや小鳥のさえずりをイメージさせた。詩人のロマン・ローランは次のように言ったという。「私は第2楽章の終わりに出てくる小鳥のさえずりを聴くとき、涙が出てくる。なぜなら、この曲をつくったとき、ベートーベンにはもはや外界の音は聞こえなかったからだ。彼は心の中の小鳥のさえずりを音符を書きつけたのである」と。
「マエストロの最期」で岩城さんが容態が急変するまで病院のベッドの中にあっても両腕で小さく円を描き、まるでタクトを振っているかのようであったと書いた。話せる状態ではなく、何の曲を指揮していたのかは周囲も分からない。が、ひょっとして、その曲は小川のせせらぎや小鳥のさえずりの「田園」ではなかったのか…。ベートーベンをこよなく愛した岩城さんの冥福を祈る。
⇒19日(月)午後・金沢の天気 はれ
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