自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆ワインの独り夜話

2020年07月19日 | ⇒トピック往来

    今月22日から始まる政府の観光支援事業「Go To トラベル」について、時期の見直しや感染者数の少ない地域から段階的に始めるべきといった意見が出ているようだ。一方で、「巣ごもり」生活もまだまだ続くのではないだろうか。先日、近くのスーパーマーケットの空き瓶回収箱に空き瓶を持って行った。自らも酒量が少々増えたせいか、このところ行く回数が増えている。回収箱を開けてその都度思うことだが、ワインの空き瓶が圧倒的に多い。酒瓶の全体の8割はおそらくワインだ。

   巣ごもり生活で家飲みが増えた。家族団らんで飲むとなると、日本酒や焼酎よりワインかビールが多いだろう。コンビニでも最近、ワインのコーナーがかなりの幅を取っていて、しかもフランス産やイタリア産もある。1本2千円近いものもあり、コンビニの売れ筋はワインではないだろうか。おそらく、昨年2019年2月に日本とEUとの経済連携協定(EPA)が発効して、ヨーロッパ産ワインの関税が撤廃されたことにもよるのだろう。日本にワインブームが起きている。今年になってさらにそれを加速させているのがコロナ禍だろう。

   昨夜、金沢市内のワインバーを知人と訪れた。客はまばらだったが、オーナーソムリエが別室でオンラインによるワイン教室を開いていた。受講者は8名でほとんどが女性。自宅でワインを飲みながら学べる、そんな気楽さもあってオンライン教室は人気だそうだ。

   数年前までコンビや酒販店に並んでいたワインはチリ産が多かった。日本とチリが2007年にEPAを結び、段階的に関税が引き下がられた効果でもあった。それが、昨年EUとのEPA発効でブランド中のブランドであるフランス産、イタリア産の輸入が急増し、女性たちがワイングラスを手にするようになった。ソムリエとそんな話をしたことがある。

   ワインバーでは、ブルゴーニュのワインを味わった。ブドウ品種はピノ・ノワール。ソムリエの解説によると、ピノ・ノワールは水はけがよい石灰質の土壌で冷涼な気候で育つが、病気にかかりやすくデリケートで栽培が難しい。農家泣かせのこの品種のことを欧米では「神がカベルネ・ソービニオンを創り、悪魔がピノ・ノワールを創った」と言うそうだ。ヴィンテージものだがまだ果実味もあり、優しく熟成を重ねたブルゴーニュワインだった。とりとめのないワインの独り夜話になってしまった。

⇒19日(日)夜・金沢の天気     くもり

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★「世は常ならず」 ニューノーマルな日々

2020年07月17日 | ⇒トピック往来

   きのう高校時代からの友人と3人でランチを楽しむために金沢のステーキ店に入った。それぞれがステーキとサラダバーを注文した。さっそく、サラダを取りに行く。バイキング形式で色とりどりのサラダが並んでいて、好きなものを取って自らの皿に盛る。友人の一人がつぶやいた。「これでコロナ対策は大丈夫なのか」と。野菜をつまむトングは盛り皿ごとにそれぞれついているが、つまむ客が10人いれば10人が同じトングを使うことになる。友人の指摘は同じトングを使い回すサラダバーは、ウィズコロナのこのご時世に不適切という見方だ。確かに、箸のように1人で一つのトングを使う形式が時代のニーズだ。

   新型コロナウイルスの感染拡大で「ニューノーマル(new normal)」という言葉が広がった。新たな常識、という意味で解釈している。ウィズコロナの時代を生き抜く知恵としてのニューノーマルだ。身近な事例を拾ってみる。

   やはり、筆頭は「ソーシャルディスタンス(social distance)」だろう。人と人の距離を置く。スーパーマーケットのジレでは買い物客がさりげなく距離を空けて列をつくっている。レジで精算するときに買い物カゴとマイバッグをいっしょに出すと、以前は店員が商品をダイレクトにバッグに入れてくれたが、今はそれがない。買ったものは自らがマイバッグに入れる。これは客と店員のソーシャルディスタンスではある。

   「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉が金沢にあるが、このご時世は「弁当忘れてもマスク忘れるな」である。外出するときにマスクは必携だ。マスクをしていないと常識や人格までもが疑われる。さらに、マスクをしていても咳やくしゃみの音に周囲が過剰反応する。先日訪れたあるオフィスでマスクを着けていたものの、むせて2度咳をした。すると、「保健所にはやく行ってよ」と言わんばかりのきつい目線を浴びた。

   マスクのニューノーマールで言えば、使い捨てから洗濯で再利用が当たり前になった=写真=。マスクの色も黒や花柄など実にバリエーションに富んでいる。マスクに人の個性が表れている。人とマスクとの長い付き合いが始まったのだろう。

   最近では聞かれなくなったが、外出を控える社会現象を「巣ごもり」という言葉でたとえた。このブログで「巣ごもり」の言葉を使ったのが3月20日だった。ちなみに、アメリカでは「シャットイン(shut in)」と言うそうだ。この巣ごもりがその後、「テレワーク(telework )」や「リモートワーク(remote work)」という在宅勤務へと大きく展開した。安倍政権が「働き方改革」を声高に唱えても定着しなかったが、コロナ禍で一気にニューノーマル化した。自らもリモートワークで、会議はオンラインだ。たまに職場に行くとリフレッシュした気分になる。オンライン飲み会も結構楽しい。

   病院でのニューノーマルもある。4月22日に金沢市内の病院で検査で胃カメラ(内視鏡)を入れた。えずき(嘔吐反射)がつらいので、これまでは口からではなく鼻から入れてもらっていた。ところが、病院側では鼻から内視鏡を出し入れすると検査室にウイルスが飛び散る危険性があるということで、現在は口からでしか入れていない、と説得された。受け入れざるをえなかった。鎮静薬を注射して口から入れた。つらさはまったくなかった。

   病院でのニューノーマルをもう一つ。待合室はいつも混雑していたが、予約待ちの人たちだけなのだろう、コロナ以前に比べ人の入りが少ない。他の病院でも同じだ。「病院は3密、ちょっとしたことで病院にかからない」という社会風潮かもしれない。病院の経営にとってはマイナスだろう。逆にドラッグストアが混雑している。金沢市内でもこのところ新しいドラッグストアチェ-ンの店が次々と開店している。

   身近な事例でも、この社会的な常識の変化は著しい。「世は常ならず」。人の世には何が起こるか分からない。せめて、悔いのない毎日を送ろう。60歳も後半に入った友人たちとのランチもそんな会話でお開きとなった。

⇒17日(金)午前・金沢の天気   はれ

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☆リアリティ番組、いよいよ「BPO沙汰」に

2020年07月16日 | ⇒ニュース走査

   台本のない共同生活を描いたリアリティ番は実話、損害賠償金つきの誓約書兼同意書によって、出演者たちが制作者側の意図に沿って演じていた番組だった、のか。フジテレビの番組『テラスハウス』に出演していた女子プロレスラーが自死した問題で、遺族がBPO(放送倫理・番組向上機構)の放送人権委員会に人権侵害を申し立てる書類を提出した(7月15日付・共同通信Web版)。

   番組の中で、同居人の男性が女子プロレスラーが大切にしていたコスチュームを勝手に洗って乾燥機に入れたとして怒鳴り、男性の帽子をはたく場面が流れ、視聴者から誹謗中傷のSNSなどが集中し、本人が追い込まれた。母親によると、このシーンについて、スタッフの指示があったと本人がかつて話していて、「暴力的な女性のように演出・編集され、過呼吸になっても撮影を止めてくれなかった。人格や人権が侵害された」と訴えている(同)。

   BPOがこの問題を審議することになれば、リアリティ番組の中で、女子プロレスラーが凶暴な悪役を演じさせられたのか、それが誰の指示によるものだったのか、損害賠償金つきの誓約書兼同意書の意図はどこにあったのか議論になるだろう。台本のないリアリティさを売りにしていた番組だったので、映像に描き出される彼女の言動そのものが、人格・個性と視聴者に受け止められた。これが、娯楽バラエティー番組であれば役者による演技と受け止められ、視聴者からのSNSによる誹謗中傷もそれほどではなかったのではないか。リアリティ番組で過剰な演技が要求されていたとすれば、まさに「人権侵害」といえるだろう。

   フジテレビの社長は7月3日の記者会見で、「現在、検証作業中であり、事実関係の精査などを行っている」と前置きし、「一部報道にスタッフが“ビンタ”を指示したと書かれているが、そのような事実は出てきていない。一方で、『テラスハウス』という番組は性質上、出演者とスタッフが多くの時間を過ごしており、多くの会話をしている中で、撮影では、出演者へのお願い・提案などはある。 」と述べている(フジテレビ公式ホームページ)

   この問題は「BPO沙汰」にすべきだと考えている。5月にこの問題が発覚し、女子プロレスラーの自死はSNSでの誹謗中傷が招いたと社会問題となった。自民党はインターネット上での誹謗中傷対策を検討するプロジェクトチームを立ち上げ、匿名による中傷を抑制する法規制などを検討を始めている。ところが、この問題の根本はテレビ局側が出演者に過剰な演技を要請したことが原因ということになれば、別次元の問題だ。視聴者もテレビ局側にある意味で騙され、煽られたことになる。

   BPOは放送や番組に対して政治や総務省が介入することを防ぐ目的で、NHKと民放が自主的に問題を解決する姿勢を示すために設けた第三者機関である。「人権侵害」と認定されれば、テレビ局側もそれ相当の自己改革が迫られる。この際、リアリティ番組の放送基準を明確にすべきだろう。このままうやむやにしてはならない事案だと考える。

(※写真はイギリスのBBCニュースWeb版が報じた女子プロレスラーの死=5月23日付)

⇒16日(木)朝・金沢の天気    くもり

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★「論よりマスク」 説得力に欠けるWHO

2020年07月15日 | ⇒メディア時評

     アメリカのトランプ大統領のマスク姿の写真が今月12日付・CNNニュースWeb版で掲載されていた=写真・上=。首都ワシントン近郊の軍病院で負傷兵を見舞った際の写真で、黒マスクの姿は堂々とした印象だ。トランプ氏のマスク姿はこれまで写真や映像で見たことがなかったので、本人は「マスクは医療関係者か、ギャングがするもの」と勘違いしているに違いないと思っていた。そのトランプ氏もマスクをせざるを得ない状況に追い込まれてきたのではないか。

   ジョンズ・ホプキンス大学のコロナ・ダッシュボード(一覧表)の最新版では、アメリカだけで感染者累計が336万4918人、死者が13万5616人だ。コロナウイルス感染拡大は社会生活だけでなく、軍隊にも広がっている。同時に、外出時のマスク着用を義務化する州や都市も増えている。ニューヨーク州知事は「マスクの着用は戦いに参加していることを意味する。着用ほど愛国的なことはない」とマスクの徹底を呼びかけている(7月4日付・NHKニュースWeb版)。この緊急事態にトランプ氏自身も自らも感染の危機感を抱き始めたのではないか。

   もう一人、マスク姿を見せない重要人物がいる。WHOのテドロス事務局長だ。パンデミック宣言以来、ほぼ3日に一度、ジュネーブの本部で記者会見を開催しているが。会見でマスク姿を一度も見せたことがない。6月5日の会見=写真・下=で、テドロス氏は各国政府に向けて一般市民にマスクを着用するよう奨励すべきと勧告した。マスクの重要性を強調したこの日は、自らマスクを着けて会見に臨むべきではなかったのか。言っていることと行っていることのちぐはぐさを感じる。

   直近の会見(7月13日でも、テドロス氏は「Mixed messages from leaders are undermining the most critical ingredient of any response: trust. 」と、おそらくアメリカを意識して、国のリーダーは対応を間違って信頼を損なっていると強調している。そして、国内で手洗いやマスクの着用などの公衆衛生の原則が守られなければパンデミックは悪化するだけだと説いている。「論より証拠」という言葉がある。だったら、自らマスクをして会見に臨んではどうか。この公式ホームページは世界中の人たちが見ているが、テドロス氏に対する心象は共通しているのではないだろうか。側近にアドバイスする人もいないのか。

⇒15日(水)午前・金沢の天気    あめ時々くもり

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☆ブログ「5555日」 近未来への追記

2020年07月14日 | ⇒ドキュメント回廊

   昨夜、ブログをアップロードしてから気がついた。編集画面の左上にさりげなくブログ開設からの経過日数が表示されている。よく見ると、なんと「5555日」、ぞろ目の記念日だった。2005年4月28日付でこのブログをスタートさせたので、満17歳のブログではある。産声を上げたときの書き出しはこうだった。

  「ことし1月にテレビ局を退職し、4月から金沢大学の地域連携コーディネーターという仕事をしています。大学にはさまざまな知的な財産があって、それを社会に還流させていこうというのがその趣旨です。一口に知的な財産と言っても、それこそ人材や特許など有形無形の財産ですから、それを社会のニーズに役立てようとすると、そのマッチング(組み合わせ)は絡まった細い糸をほぐすような作業である場合もあります。」

   いま読み返すとなんとも緊張した書きぶりではある。ブログなので、読まれることを意識し過ぎたのかもしれない。何しろ「です」「ます」調がなんともレトロな感じがする。

   「5」のぞろ目といえば、同じ石川県出身の「55」の松井秀喜氏をテーマにこれまで21回も書かせてもらった。テレビ局時代に取材した甲子園大会での「5打席連続敬遠」(1992年)の思い出や、NYヤンキ-スの時代、そして2012年の引退のときなど、その都度取り上げている。そして「野球の天才というより、努力の天才」が 松井氏の姿ではなかったか、と述べてきた。

   このブログをテーマに、2017年12月に新書『実装的ブログ論―日常的価値観を言語化する』(幻冬舎ルネッサンス新書)を出版した。実際に見聞きしたこと、肌で感じたこと、地域での暮らしの感覚、日頃自ら学んだことというのは揺るがないものだ。それらは日常で得た自らの価値観である。その価値観を日常で刻む作業がブログだと思っている。ただ、ブログはフェイスブックやツイッター、インスタグラムなどのSNSと違って孤独な作業でもある。近未来で、この自らの価値観をAI化したいと考えている。AIにすべてのページを読み込ませ、価値観を共有するAIブログくんと対話ができれば、それはそれで新たな人生の付き合いが始まるのではないか。

           5555日目のきのう7月13日の訪問者(UU数)は640、閲覧数(PV)は1286だった。これまでにアップしたページ数は1673。「3.3日」に1回ということになる。

⇒14日(火)朝・金沢の天気     あめ

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★演出なきリアリティ番組はあるのか  

2020年07月13日 | ⇒メディア時評

   フジテレビのリアリティ番組『テラスハウス』に出演していた女子プロレスラーが5月23日に自死した事件がいまだにくすぶっている。視聴者から批判が殺到したビンタのシーンは番組スタッフの指示と母親が証言した(「週刊文春」7月2日発売号)。フジテレビ側は社長が今月3日の記者会見で「一部報道にスタッフが“ビンタ”を指示したと書かれているが、そのような事実は出てきていない」「感情表現をねじ曲げるような指示は出していないということだ」と述べている(フジテレビ公式ホームページ「6月度社長会見要旨」)。真向から対立している。

   番組のシナリオ台本はなかったとは言え、番組には必ずディレクターが立ち会い、視聴者の反応を意識した構成が練られていただろう。「台本なき演出」があったと考えるのが普通だ。

   かつて、テレビマンとして番組制作にかかわっていた。ドキュメンタリ-番組を制作するに当たって気をつけていたことは、「演出」の気持ちにかられないようにすることだった。なぜならば、ドキュメンタリーは事実を構成する番組なので、「演出」あるいは「やらせ」はタブーである。ところが、ディレクターとしては番組のストーリー性を常に考えるので、つい「こんなシーンがあると映像の流れ的にはリアリティがあっていいんだけれどな・・・」などと思ってしまう。番組の完成度を高めたいのだ。

   そのような思いを戒める「事件」が起きた。1992年に放送されたNHKスペシャル『禁断の王国・ムスタン』(9月30日・10月1日放送)。ムスタンはネパール領の自治王国で、「テレビ未踏の番組」が触れ込みだった。視聴率は14%をさらい、さすがNHKと好評を博した。それが一転、「やらせ番組」の代名詞の烙印を押されることになる。

   翌年1993年2月3日付の朝日新聞でスクープ記事が出た。疑惑はいくつもあった。登場した「国境警備兵」は実際は警察官だった。映像中の「少年僧の馬が死んだ」は実際は別の馬だった。「高山病に苦しむスタッフ」の映像は実際は演技だった。「岩石の崩落、流砂現象」のシ-ンは取材スタッフが故意に引き起こした、などの「やらせ」疑惑だ。NHKも内部調査を行い、「過剰な演出」「事実確認を怠り誇張した表現」と認めた。同年3月、電波行政を所管する郵政省(現・総務省)はNHKに対し虚偽報道であるとして大臣名で厳重注意の行政指導を行った。

   その後も、関西テレビの『発掘!あるある大事典Ⅱ』では捏造が発覚した。2007年1月7日放送「納豆でヤセる黄金法則」はアメリカの大学教授の研究をもとに「DHEA」と呼ばれるホルモンにダイエット効果があるとの説を紹介し、納豆に含まれるイソフラボンがその原料になるとし、被験者8人全員の体重が減ったとの内容だった。週刊朝日が関テレに質問状を送ったことがきっかけに、番組を制作会社に任せていた関テレが独自調査。コレステロール値や中性脂肪値や血糖値の測定せず、血液は採集をするも実際は検査せずに数字は架空といった捏造が明るみに出た。さらに、大学教授の日本語訳コメント(ボイス・オーバー)はまったく違った内容だったことが発覚した。

   結局、番組は打ち切りに。関テレも一時、民放連の除名処分を受ける事態になった。ある意味でこれは民放の構造的な問題ではなかったかと察している。当時、制作会社は制作9チーム(150人)で1チームが2ヵ月に1本の制作を担当していた。科学データが実証されるのを待っていると時間が必要で、放送に穴を空けることにもなりかねない。時間に追われたディレクターは「とりあえず、絵だけ撮れ」とカメラマンに指示したのだろう。「体にいいですよ」という番組の結論を導くために捏造したデータやコメントを構築していくことになった。

   話は冒頭に戻る。「リアリティ番組」と銘を打つから、演出だ、やらせだ、捏造だと批判を浴びる。最初から「娯楽バラエティー番組」にしておけば、演出は許される。そして、出演者も視聴者もそれほど抵抗感はなかったのではないか。番組づくりと演出はテレビ制作者の永遠の課題ではある。

⇒13日(月)夜・金沢の天気    あめ

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☆「賭けマージャン」不起訴 「ネズミ」の気持ち

2020年07月12日 | ⇒メディア時評

    もう8年も前の話だが、「ネズミ捕り」にひっかかったことがある。66㌔で走っていて安全運転のつもりだったが、交通警察から「ここは制限速度50㌔です」と言われ、16㌔オーバーの違反切符を切られた。66㌔で走っていてスピード違反は納得できなかった。かといって、拒否して裁判にでもなれば罰金という刑事罰を食らうことにもなりかねない。警察権力は国民に対して建前を強要して、国家の秩序を維持しているのだ、と自分を納得させ抵抗をあきらめた。後日、1万2000円の反則金を払った。   

   このブログでも何度か取り上げた事件。新型コロナウイルスの緊急事態宣言の中で賭けマージャンをしていたとして刑事告発されていた東京高検の黒川前検事長と新聞記者ら4人について東京高検は10日、4人の不起訴処分(起訴猶予など)を発表したとメディア各社が報じている。黒川氏は5月1日と13日の夜、都内にある産経新聞の記者の自宅マンションを訪れ、同社社会部の次長と記者、朝日新聞の記者だった社員1人と4人で賭けマージャンをしていた。この日だけではなく、3年ほど前から月に1、2回の頻度だった。賭け金は1千点を100円に換算する「点ピン」と呼ばれるレートで、1回で1万円から2万円程度の現金のやり取りだった。

   事件が発覚したきっかけは「文春オンラン」(Web版・5月20日付)と週刊文春の記事だった=写真=。「黒川弘務検事長 は接待賭けマージャン常習犯」。その後、市民団体から賭博の疑いで刑事告発が相次ぎ、東京地検が捜査を進めていた。高検は起訴猶予の理由として、4人が旧知の間柄で、動いた金額も多額ではなく、賭博性を高める特殊ルールを採用していないため「娯楽の延長線上にある」とした上で、4人が辞職や停職処分で社会的制裁を受け、いずれも事実を認め反省していることを挙げた(7月11日付・朝日新聞)。

   冒頭で述べた、50㌔規制の道路を66㌔で走行したスピード違反は、警察に「今後絶対に違反はしません。交通ルールを守ります」と反省の気持ちを込めて土下座したとして、許しを得ることはできただろうか。許されるはずがない。では、法の番人である検察最高幹部による刑法の「賭博」に抵触する行為が、「社会的制裁」「事実を認め反省していること」をもってなぜ不起訴となるのだろうか。

   令和元年(平成31年)のスピード違反の検挙件数は113万7255件(警察庁「交通関係法令違反の検挙状況」)だ。交通警察はそれを実績として誇るかもしれないが、「ネズミ捕り」への恨みはけっこう根深い。ましてや、今回の「賭博 不起訴」のニュースで「また、上級国民への配慮か」と格差感を抱いてしまう。検察の不起訴処分が妥当だったかどうかをチェックする検察審査会の判断に注目したい。

⇒12日(日)午後・金沢の天気   くもり

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★農ある生活「パーマカルチャー」の第2波 

2020年07月11日 | ⇒メディア時評

   新型コロナウイルスの感染拡大を背景に、石川県の自治体への移住相談が増えていて、とくに能登地域にある七尾市では前年同時期の約12倍、珠洲市は約4倍になったと、きょう11日付の日経新聞北陸版が報じている。首都圏などから自然豊かな地方に転居したいというニーズ、そして、人口減少に悩む自治体は移住者の獲得を目指している(同)。

   この記事を読んで、「パーマカルチャーの第2波が来た」との印象だ。パーマカルチャーは農業を志す都会の若者たちの間で共通認識となっている言葉だ。パーマネント・アグリカルチャー(パーマカルチャー=Permaculture、持続型農業)を実践したいと農村へ移住を希望する若者たちがいる。農業経験はないが、農業の伝統を守るだけではなく、伝統の上に21世紀の農業をどう創り上げていくか、そこまで考えている。

   第1波は2011年の東日本大震災のときだった。金沢大学が2007年度から能登半島で実施している人材育成事業「能登里山マイスター養成プログラム」の2011年度募集に初めて東京からの受講希望が数名あった。面接で受講の動機を尋ね、出てきた言葉が「パーマカルチャー」だった。里山や農業のことを学び、将来は移住したいとう希望だった。実際、東京から夜行バスで金沢に到着し、それから再びバスで能登に。あるいは前日に羽田空港から能登空港に入り、月4回(土曜日)能登で学んだ。その後、実際に能登に移住、あるいはUターンした受講生もいる。

   彼らと接して、パーマカルチャーは人間の本能ではないかと察している。天変地異が起きたとき、人はどう生きるか、それは食の確保だ。敏感な答えだ。それを彼らは「農ある生活」とよく言う。最近、そのトレンドを能登で散見する。ITエンジニアやデザイナーが移住し、仕事をしながら野菜の栽培に取り組む。仕事の契約など必要に応じて東京へ打ち合わせに日帰りで行く、というパターンだ。石川県の統計で、2018年度で能登地区へ296人の移住があった。その多くが農業を志している。まさにパーマカルチャー志向ではないか。

   コロナ禍をきっかに、リモートワークは普通になった。光回線や5Gなど通信インフラが整っていれば、東京に在住する必要性はない。ならば地方移住という発想が広がっているのではないだろうか。日経新聞の記事に、パーマカルチャーの第2波を感じる。もちろん、この傾向は能登だけでなく全国の地方に広がっているだろう。
(※写真は二宮金次郎像。背中に薪を背負い、学問をする姿は現代流に解釈すれば、多様なライフスタイルの実践主義者のシンボルでもある)

⇒11日(土)夕・金沢の天気    くもり

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☆風呂敷の美学

2020年07月10日 | ⇒トレンド探査

   これは風呂敷の美学ではないか、見た瞬間、感動した。先日、知り合いの方からウイスキーをいただいた。ボトルが花柄の風呂敷で包まれてなんとも優雅なのである=写真=。風呂敷は包んで運ぶ道具という単純な概念だったが、包み方、そして結び方によってこれだけ優美に見える。同時に風呂敷の姿にバリエーションというものを感じる。

   これまで個人的には風呂敷は日本の古い道具だと思っていた。さらに「大風呂敷を広げる」という言葉があり、現実に合わないような大げさなことを言ったり、計画したりする意味で使うため、言葉のイメージそのものがよくなかった。その一方的なイメージが間違っていたと気付かせてくれたコメントがあった。7月1日付のブログ「★『マイバッグ』と『マスク』の両立問題」をチェックしてくれた京都の大学教授からのコメントだった。以下引用させていただく。

   「私は15年以上前から風呂敷研究会のメンバーとなり、大学生を対象に風呂敷が日本の伝統文化であり、いかに便利かを教えてきました。昔のような使い方ではなくて、バッグにして使えばとてもおしゃれな風呂敷バッグになります。ナイロンの90㌢角の風呂敷なら折りたためば100㌘もなくてポケットに収まります。エコバッグに比べればとても軽くていつでも持ち運べますね。」

   このコメントで気づかされたのは、今月から始まったレジ袋の有料化は、プラスチックの利用を減らし、再利用可能な袋やバッグを使うという「エコロジー運動」でもある。とうことは、風呂敷は再利用可能な包みの最先端ではないだろうか、ということだ。それがさらに使いやすく、折り畳み式の風呂敷バッグへと進化しているという。   

   大学教授のコメントは続く。「私は愛用してますが、風呂敷バッグの作り方を説明した本は10冊程度でてますが、実際に使っている人を見たことは皆無に近いです。風呂敷は何100年も前から使われてきた日本の伝統文化だと思いますが、ほとんどの日本人は西洋文化であるバッグしか使いませんね。大変残念ですが、もっともっと使う方を増やしたいと頑張ってます!!」

   風呂敷そのものは道具のメインではなくあくまでもわき役である。包みと結びで姿を変えていろいろなシーンを演出する。そして、用済みになれば元の一枚の布に戻る。風呂敷の美学ではないだろうか。

⇒10日(金)夜・金沢の天気    あめ

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★日本も例外ではない「ズーノーシス」の接近

2020年07月09日 | ⇒ニュース走査

   「ズーノーシス(zoonosis)」という言葉を初めて知った。UNEP(国連環境計画)がこのほどまとめた報告書に出てくる。新型コロナウイルスの発生源として論議を呼んでいるコウモリなど動物由来で人にも伝染する感性病を総称してズーノーシス(人畜共通伝染病)と呼ぶそうだ。新型コロナウイルスの感染症やエボラ出血熱、中東呼吸器症候群(MERS)、HIV、ライム病といったこれまで人間が罹ってきた感染症はズーノーシスに含まれる。

   では、なぜズーノーシスが繰り返されるのか、UNEPのインガー・アンダーセン氏らが報告書=写真=をまとめた。以下、UNEP公式ホームページで掲載されているダイジェスト版「Preventing the next pandemic: Zoonotic diseases and how to break the chain of transmission」(次なるパンデミックの防止:人獣共通感染症と伝染の連鎖を断ち切る方法)から以下引用する。

   低・中所得国では毎年200万人がズーノーシスである炭疽病、牛結核、狂犬病で死亡している。これらの国々は家畜への依存度が高く、野生生物に近い地域社会である。その原因は人の生産活動にある。肉の生産量は50年間で260%増加し、農業生産も強化された。大規模な耕作地や灌漑、ダムなどの農業インフラを拡張したものの、同時に野生生物の空間を犠牲にした。その結果、人と野生動物は近くなり、ズーノーシスとも密接になってきている。

   野生生物の領地やその他の天然資源の過剰な開発をやめ、持続可能な農業を行うことで、土地の劣化を逆転させ、生態系の健全性を守るための投資が必要、と提言している。

   これを読んで、日本ではまったく逆のズーノーシスが起きる可能性が高まっているのではないかと感じた。たとえば、金沢でも人里や住宅街にクマやサル、イノシシ、シカが頻繁に出没している。ドングリなどのエサ不足に加え、里山と奥山の区別がつかないほど里山や耕作放棄地が荒れ放題になっていて、クマ自身がその領域の見分けがつかず、人里や住宅街に迷い込んでくる、とも言われている。

   ズーノーシスに感染したこれらの野生生物が街中を徘徊することを防げるだろうか。

⇒9日(木)夜・金沢の天気    くもり

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