「一期一会」という言葉について考えています。
今日の出会いのかけがえのなさを、しみじみと述懐するときに用いられるこの言葉の、本当に意味するところについてです。
この言葉が最初に取り上げられたのは、利休の高弟山上宗二の『山上宗二記・茶湯者覚悟十体』のなかに、利休の言葉として残された、次の一節とされています。
露路へ入るより出づるまで、一期に一度の会のように、亭主を敬い畏るべし
「亭主を敬い畏るべし」という実践規範として掲げられていることに注目したいと思います。
時代が下って、井伊直弼は、その著書『茶湯一会集』のなかで、茶湯の極意として一期一会を挙げ、次のように述べています。
そもそも、茶湯の交会は一期一会といいて、たとえば幾度同じ主客交会するとも、今日の会に再びかえらざる事を思えば、実に我一生一度の会なり
井伊はこれに続けて、亭主の「深切実意」(まごころを尽くすこと)、客の「実意」(まごころ)をもって交わるべきことを、一会集の規範として記しています。
一期一会の尊さを言挙げしていた山上宗二は、小田原攻めに同行の折に秀吉の勘気を蒙り惨殺され、井伊直弼は桜田門外で水戸浪士らに殺害されました。この言葉を最初に発したという利休も、壮絶な最期を遂げています。いずれも人の怒り、恨みをかうことも厭わずに、我が道を歩んだ者の末路とも言えます。
その生涯の苛烈さを顧みると、その一生における一期一会は、また違った意味を帯びるように感じます。安易な妥協に走ることなく、今日のこの場が二度と繰り返されないことを肝に銘じよ、という呼びかけだったのではないかと。
一つ覚えのように繰り返し、引き合いに出して恐縮なのですが、藤原家隆の「花をのみまつらん人に山里のゆきまの草の春をみせばや」には、今まさに芽吹こうとする命の躍動が見られます。そこに息づく命は、われわれの期待や思惑には決して回収されない一回性を宿してもいます。
そして、そこにこそ「春を見せばや」と、他者に思いを向けるのです。内省によってではなく、他者に注意を向けることによって喚起されるのは、畏れをもって相手に向き合う態度ではないでしょうか。
一期一会にも、その場に対する畏れを喚起するための、「呼びかけ」が込められていたのではないかと思うのです。