立場を代わることのできないものどうしが、代わり得ないために、かえって奥深いところで、つながる。歌の世界では、そのあたりの機微に触れることができます。
噴水のむこうのきみに夕焼けをかえさんとしてわれはくさはら
(永田和宏『黄金分割』)
歌集の出版が1977年なので、この歌はもう半世紀近く昔、作者が歌人河野裕子と結婚し、2児を儲けて、大学の研究者としての道を歩み始めたころの歌だと思います。
夕焼けを眺めていて、後ろを振り返ると噴水を挟んだ向こうに、同じように夕焼けを眺めている君がいる。その邪魔にならないように、自分はあちらの草原へ身を移そうと気遣うのです。
夕焼けに注がれる妻の視線を妨げないように、自分の位置をずらしてあげることで、妻の視線は詠み手の視線と重なり合います。
自分が「ものを見る」のでもなく、認識や感情を共有するために「ともに見る」のでもなく、「君が見ることで、われが見る」という、もうひとつの「見る」あり方がここにはあります。
家族や気の置けない仲間に対して視線を預けるとき、たとえば懐かしい写真を差し出して見せるときなど、魂の深いところでつながりあうような悦ばしい感覚は、珍しいことではありません。心のこもった贈り物を、開けて見せるときの相手の視線などもそうでしょう。
夕焼けを眺めていた河野裕子は、それから三十年以上経って、次の歌を詠みました。病を得て余命いくばくもないと告げられた後の一首です。
陽に透きて今年も咲ける立葵わたしはわたしを憶えておかむ
(河野裕子『葦舟』)
みずからが生きた証として、ひたすら自分のために立葵を見て、その姿を憶えておこうと詠んでいます。しかし、「ひたすら自分のために」と歌に詠むことで、かえってその視線は、親しい誰かの視線へと移っていくのです。
河野裕子が亡くなった年の秋に、娘で歌人の永田紅さんが文芸春秋に「これから母はいない」というエッセイを寄せていて、亡くなる間際まで家族の食事の心配をする、主婦であろうとし、母であろうとした姿が描かれています。
エッセイは、前掲の歌で結ばれており、永田紅さんの目に立葵の花が咲いているようです。
代わり得ないものの魂が、つながる瞬間だと思います。