福岡城の濠では、蓮の茎が隆々と伸び、葉が水面を覆い尽くしていて、朝ここを訪れると、白い花が濠に光を放っているのが見えます。
十数年前、3号濠と5号濠の蓮が壊滅状態だったのを、外来種の亀の食害が原因と特定して対策を講じた甲斐あって、今のこの姿があるのだそうです。ただし復活した蓮の葉が水面を隠すので、夜の水面は月を映すことはありません。
亀と蓮のせめぎ合いの話を聞いて、西行の次の歌を連想しました。せめぎ合う月と蓮を詠ったものです。
おのづから月宿るべきひまもなく池に蓮の花咲きにけり
蓮の葉が生い茂って、月が水面に映ることはないけれども、池に蓮の花が咲いている、という意味だと理解しました。
西行にとって、月は愛でる対象というよりも、みずからの心を映し出すものであり、それゆえおのれを磨くことによって、より輝きを増すものでした。
北面の武士という勤めを捨て、若くして出家して都を去る西行は、月を見て、次のように詠っています。
月の色に心を清く染めましや 都を出でぬわが身なりせば
出家をしても、保元平治の乱にはじまる大混乱の、節目節目に関わることになる西行にとって、「おのづから月宿るべきひまもなく」というのが実感だったのではないでしょうか。
しかし、そうしてみると蓮の花は、西行の目にどのように映っていたのでしょう。出家の身の西行にとって、悟りの境地を表すもののはずですが、私は次のように考えたいと思います。
みずからを鍛えて、その色に染まりたいと切望する対象が「月」だとするならば、たとえ目標から遠くとも、今精一杯生きていることの証しとして「蓮の花」は映ったのではなかっただろうかと。
「願はくは花の下にて春死なむ」と詠んだ「桜」には、天上へのあこがれがあったとすると、蓮の花には、今あることへの肯定が込められていたのではと思います。