みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

略してみちゃばこ。泣いたり笑ったり

ピラカンサ鈴なり

2012年11月20日 22時56分29秒 | 草木をめでる
ピラカンサの実が鈴なり。木に実がなっているというより、実が集まって木を成しています。

北風が運ぶ朝の空気は、既に色が抜け始めて乾いています。少しひんやりとしますが、つい寄り道をしたくなる空気です。

leaf0028.jpg: ピラカンサの葉

つややかで厚みがあって色が濃い、冬の葉。

leaf0029.jpg: ピラカンサの葉の裏

葉の裏は、初夏に芽吹いた新芽のように柔らかい色をしています。

アサガオの種を採取

2012年11月19日 22時20分45秒 | 草木をめでる
暑い間はほとんど種がつかなかったアサガオも、寒くなって種を採れました。

この朝顔はずいぶん長い間花を咲かせていました。最後に確認したのは10月28日の朝。寒くなるにつれて花は小さくなりましたが、木々が紅葉する時期まで咲いていたことにびっくり。花期が長い品種なのでしょう。

この種から来年も花を咲かせてくれるでしょうか。すっかり花が枯れた後の種なので、どの種が何色の花を咲かせるか分かりませんが、それもまたよし。みんなかわいい子供です。



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騒ぎが治まり一安心

2012年11月18日 23時06分52秒 | 日常のあれこれ
人からすすめられて時代劇を見るようになりました。

気に入って見ているのは「大岡越前」です。10日ほど前に第13部の再放送が終わり、今は第7部が再放送されています。

第13部が終わってホッとしています。

第13部の話は、登場人物が些細 (ささい) な理由で大声で感情をぶつけ合う場面が多く、いい加減嫌気が差していました。

例えば、第13部の終わり頃の回では、大工と左官が意地を張り合います。事の発端は、大工が財布をなくし、その財布を拾った左官が持ち主の大工に財布を届けたこと。財布には3両という大金が入っていました。大工は左官が財布を盗んだと考えて「泥棒だ」と声を張り上げ、近所の人とともに左官を取り押さえて袋だたきにします。ところが、それが誤解だと判明。大工は一度なくした財布であるし、誤解がもとで親切な人をひどい目に遭わせてしまった手前、無償で財布を受け取るわけにはいかないと、財布の受け取りを拒否し、財布を左官にやると言い出します。左官は、拾った財布に入っていたお金を自分のものにしようという意図が最初からなかったことから、財布の受け取りを拒否します。この件はたちまち江戸の町に広まり、町民が顔を合わせれば決まってこの話が出てきます。大工が正しいと言い張る人もいれば左官が正しいと言い張る人もおり、互いの主張の食い違いから激しい口論に至る始末。それも、ほんの数回言葉を交わした後の口論です。

些細な理由でいちいち激しく感情をぶつけ合う場面に、もううんざり。私は感情のぶつけ合いが苦手です。第13部はこのような感情のぶつけ合いが多く、見るたびにイライラしていました。

この嫌ーな第13部も終わり、第7部が始まってホッとしています。第7部は感情表現に抑制がきいており、落ち着いて見ていられます。

Wikipediaによれば、第13部の当初の放送は1992年11月から翌年5月まで。私が気に入っていた第5部の放送は1978年2月から7月まで。今、再放送中の第7部は1983年4月から10月まで。つまり、落ち着いた話の展開が1980年頃で、ギャーギャー騒ぎが1992~93年。10年の間にドラマの作り方が変わったのでしょう。私の苦手なギャーギャー騒ぎは、もう20年も前に始まっていたのです。そのドラマの作り方は今も変わりません。今製作されているドラマも私は苦手です。この下品なドラマ作法はいつまで続くのかなぁ。

自分を信じること

2012年11月17日 23時05分02秒 | お仕事・学び
引き続きレッスンに通っています。

今は、スクールを道場のようなものと考えて、自宅で独自の勉強を積んでその成果をレッスンで試す、という流れにしています。

自習と方向性が似た課題がレッスンで出された場合は講師から高い評価を得られますが、自習と課題の方向性が違う場合は、当然ながらろくな評価が得られません。自習では、広く浅く学ぶより、特定の得意分野を伸ばしてひとつの足場を作り、今後の積み重ねの土台にしようとしています。分野によって出来・不出来の差が大きいのは致し方ないとしても、自習と方向性の違うレッスンが続き、評価を得られない日ばかりが続いたときの落ち込みようがハンパない。成果が出せないと、暗中模索しているような心境に陥り、自習の意欲も低下しがちです。その分野がすべてではないので落ち込まなくてもよいのですが。

そんな折、たまたま自習の成果を存分に出せる課題がレッスンで扱われると、急に生き生きとしてきて、家でも俄然 (がぜん) やる気が出るという、何とも単純な脳をしています。

そんなことで一喜一憂しなくていいのにね。得意な分野で成果を出せるのは、土台ができつつある証拠です。たゆまず自習を続け、手ごたえを得たところで、その得意分野を基盤として周辺分野に手を広げればいいのです。自分を信じること。

1年生の教室で

2012年11月16日 22時55分12秒 | 日常のあれこれ
図書館からの帰り、横断歩道を小さな子供が走って行きました。幼稚園児かと思いきや、背中が隠れてしまうほど大きな水色のランドセルを背負っています。小学生のようです。

低学年の子供はあんなにちっちゃいんだ。

そう言えば、小学6年生のときに、1年生の教室を掃除する当番が回ってきたことがありました。私が1年生だった頃の記憶では自分たちで教室を掃除したはずですが、当時の私が気づかなかっただけで、入学して間もない頃は上級生が掃除していたのかも知れません。掃除は先生から当番を割り当てられて義務としてやっていたことですが、1年生の教室を掃除するのは、なぜか楽しかったです。

その1年生の教室を掃除しているときに、机がとても小さいことに驚きました。もちろん1年生は体が小さいので机も小さいのは当たり前ですが、机の高さは私が座れるくらいしかありません。5年間でそれだけ私の体が大きくなったということです。

自分の体は毎日変化していますが、その変化はほんのわずかであり、自分では変化に気づかないことがほとんどです。成長に伴って机がイスになってしまうというスケールの跳躍を目の当たりにしたあのときの衝撃は今も忘れません。