花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

選挙前日 妙円寺詣り行事 2024/10/26(鹿児島)

2024-10-29 17:16:27 | 祭り・伝統行事
10月26日(土)日置市伊集院町で妙円寺詣りの行事がありました。

13時41分 今日はカーボン三脚を利用 以下の画像は10月26日に撮影


今日は日置市伊集院文化館に車を止め、行事開催地の徳重神社まで900mほどを歩きます。

9月の伊作太鼓踊りで三脚を担いだ後の肩こりが気になり、殆ど未使用のカーボン三脚を思い出して引っ張り出しました。

普段使うアルミ製と違って格段に軽く、安定性や強度は若干気になりますが、カメラ位置の調整がしやすく便利でした。

母校前から神社方向へ歩く 有馬中将の墓地石碑


伊集院高校の正門近くに鹿児島交通のバス車庫があり、徳重神社方向へは昔からの道が残っています。

道沿いのお寺跡地は墓地になっており、昭和19年に「特攻の魁」となり散華した有馬中将の墓があります。

14時ちょうど徳重神社 大田太鼓踊りが終わった


行事日程が判らないまま神社に近づくと鉦と太鼓の音が響てきました。先着カメラマンさんの話では例年よりも少し早めに行事がスタートしていました。

明日27日の衆議院選挙投票日が影響しているのか、徳重太鼓踊りは先に終了し、大田太鼓踊りが今終わったところでした。

14時7分 妙円寺詣りの歌 暗唱披露 関ケ原の戦いの様子などを歌う


高校の頃まで何度も口にした歌で、二十二番まであり 一番の歌詞は

明くれど閉ざす雲暗く 薄(すすき)かるかやそよがせて 嵐はさっと吹き渡り 万馬いななく声高し

妙円寺詣りについて鹿児島県観光サイトから引用して紹介します。

鹿児島市内から日置市伊集院町までの約20kmの道のりを歩いて参拝する伝統行事。敵中突破後苦闘の末、帰還を果たした島津義弘公をしのび、泰平の世に士気を鼓舞し、心身の鍛錬をするため、鹿児島城下の武士たち(庶民は明治以降)は関ヶ原の合戦前夜の9月14日(旧暦)、往復40キロの道のりを鎧・兜に身を固め、夜を徹して義弘公の菩提寺である妙円寺に参拝し始めました。

明治初期の廃仏毀釈で徳重神社に変わってからも参詣は続きました。やがて、鹿児島3大行事として受け継がれますが、県民性の欠点である忍耐姓や持続性の不足を補うものとして大きな意義があります。現在は郷土芸能の奉納や武道大会、家族連れで賑わうウォークリーなど、5万人を越す人出でにぎわいます。(引用終わり)

14時25分 錬心舘空手の演武


大きなテントが設営された観客席を正面とした演武


これまでは社殿側を正面として伝統芸能や演武が披露されていたと思いますが、今回は団体ごとの判断に従ったようです。

14時44分 ビクトリア街(スポーツジム)前での伊作太鼓踊り


伊集院駅の北隣にあるスポーツジム前でも太鼓踊りが披露されていました。

14時58分 薩摩日置鉄炮隊の演武


安全対策のため周辺への立ち入りを規制したうえで、火縄銃発射などの演武が行われました。

轟音と煙


火縄銃発射前の緊張感や轟音に驚く観客の声など動画で記録できました。

立ち入り規制範囲が広いので、火縄銃発射の詳細を写すには望遠レンズが必要です。

15時30分 伊作太鼓踊り(中之里保存会)


今年は地元伊作地区での踊りが、台風の影響で日程が何度も変更されてご苦労の多かったことと思います。今日も元気一杯の踊りが披露されました。

踊りを終えて退出の場面


着物姿の少年たちの笑顔が微笑ましく感じられました。良い思い出になったことでしょう。

15時54分 薬丸野太刀自顕流の演武


16時22分 最後の方では体験会もあった


勢いよく木刀を振り下ろすと大きな音が響き、親子連れの子供たちを中心に体験者の笑顔が見られました。

昨年の妙円寺詣りのブログはこちらからご覧ください。

16時47分 日置市役所前 伊作峠トンネル建設推進運動


普段利用しないのであまり意識しませんが、鹿児島市谷山地区と日置市吹上町を結ぶ県道22号谷山伊作線は、山間部を走るカーブの多い峠越えの道です。

利用時間短縮と安全性向上のため、トンネル建設推進運動が長年続いています。伊作と言えば吹上町でしたので、伊集院になぜこの旗があるのと思ってしまいました。

平成の大合併前の日置郡内には郡山、松元、伊集院、東市来、市来、日吉、吹上、金峰の8町がありました。

大きく4つに分かれて合併が進み、松元町と郡山町は隣接する鹿児島市が広域化する形で2004年11月に合併し、鹿児島市の一部となりました。

伊集院町を中心に西側の東市来町、南側の日吉町と吹上町は広域合併して2005(平成17)年5月に日置市が誕生。

市来町は西側に隣接する串木野市と合併し、2005年10月にいちき串木野市が誕生。日置郡南部の金峰町は2005年11月に隣接する加世田市と合併し、南さつま市の一部となりました。

月日の過ぎるのは早いものですが、私の頭の中にはまだ吹上町が残っていました。2日続けての祭り撮影でしたが、雨に降られることなく楽しめて幸いでした。
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津貫豊祭太鼓踊り 小雨模様 2024/10/25(鹿児島)

2024-10-27 17:29:28 | 祭り・伝統行事
10月25日(金)、空模様を気にしながら久しぶりに出かけました。

このところ天気がぐずつき気味 以下の画像は10月25日に撮影


コロナ禍が続き踊る団体が減ったこともあり、ここ数年撮影していませんでした。

津貫豊祭(つぬきほぜ)太鼓踊りは例年10月27日に、南さつま市加世田津貫の天御中主(あめのみなかぬし)神社に奉納されています。今年は選挙投票日と重なり日程変更のようでした。

少しぬかるんだ境内 砂を入れて補修


予報は曇り時々雨ですが、雨雲はまだ陸地にかかっておらずギリギリ降らずにすみそうでした。

南さつま交流センターにいななまる(270号線沿い)に車を止め、神社まで400m程度を歩きました。神社境内は祭り関係者の車が殆どのため、午後の踊りが終わるまで車が出しにくいので要注意です。

津貫小学校は閉校していた


県内各地で子供が少なくなり、小中学校の統廃合が進んでいます。今日は加世田中学校の1年生が団体で見学に訪れていました。

かつては中間(なかま)、干河(ひご)、上門(うえんかど)の3団体が踊っていましたが、コロナ禍も影響して1団体だけの時もあったようです。

鹿児島県指定無形民俗文化財 津貫豊祭太鼓踊


少し長くなりますが、鹿児島県のページから一部を引用して紹介します。

踊り手は総員20 名で 太鼓打ちの青年 (ヒラ)16 名 、中打ちの少年 (カネと小太鼓)、歌あげの老人数名が,それぞれ男神・女神・老神をあらわす。大太鼓の青年たちは,白装束に白いはちまき(昔は植物のカズラであったという)をし,孔雀や山鳥の羽根や造花で飾った矢旗を背負う。

また中打ちの少年たちは女物の衣裳をつけ造花の花かんむりをする。歌あげの老人たちは,紋付の羽織を着て細長い白いシベを下げた菅笠をかぶって歌に合わせ,青年の踊り手が円陣をつくり,太鼓やカネの連打で勇壮にリズミカルに踊る。(引用終わり)

中間保存会 ミッキが始まった


社殿での神事終了後、鹿児島県内の太鼓踊りでは珍しい「ミッキ」が始まりました。ミッキは「道切り」を意味する準備運動やデモンストレーションのようなものです。

若者が刻むカネのリズムに合わせて、太鼓打ちが輪になって5分間ほど掛け声とともに太鼓を打ち、踊りの機運を盛り上げます。

干河保存会のミッキ 外からは見えないほどの大人気


前回訪れた2019年には動画記録のボタンを押し忘れる大失敗で全く記録できませんでした。一脚に乗せたカメラを頭上高く持ち上げていたため、ミスに気付かず間抜けなことでした。

太鼓踊りは踊りの動きや衣装などの美しさもありますが、カネ太鼓の刻む音とリズムが心地良いものです。動画記録機能のある一眼レフカメラをお持ちの方には、一度は試してほしいものです。

以下4枚は2013年10月27日のミッキの様子








帯をきつく締めて さあ踊るぞ






これまでに数回撮影したことがあり、見覚えのある踊り子さんの姿もありました。今日は動画中心に記録し、三脚横に留まったので踊りの変化や周辺の様子などは殆ど記録できませんでした。







10時20分頃から中間(なかま)と干河(ひご)の順に踊り、前庭(まえにわ 午前の部)は11時35分頃に終わりました。昼食休憩後には後庭(あとにわ 午後の部)が踊られる予定です。

生憎と小雨が降り始めたこともあり、ここで神社を後にしました。夕方まで地区内各地で踊りが披露される予定です。

久しぶりにあでやかな衣装で息の合った踊りを拝見しました。小雨も降り出す中で、皆さまお疲れ様でした。ありがとうございました。

2019年に訪れた津貫豊祭太鼓踊りのブログはこちらからご覧ください。

この後は南九州市川辺町の大久保集落のヒマワリを探しに行きました。
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金吾様踊り さつま町大石神社 2024/09/29(鹿児島)

2024-09-30 16:40:40 | 祭り・伝統行事
9月29日(日)大石神社秋季大祭に多くの踊りが奉納されました。

さつま町中津川地区の方々が奉納されている踊りの総称が、金吾様踊りです。鹿児島の方言(いわゆる鹿児島語)では「きんごさあおどい」と呼ばれ親しまれています。

さつま町観光サイトから引用 ポスターとプログラムの一部


さつま町中津川地区に伝わる金吾様踊りは、織田・豊臣の時代にこの地域を治めていた祁答院島津家初代「金吾左衛門尉歳久」を祀る「大石神社」秋季大祭に奉納される踊りです。『大石神社』は武の神・安産の神・稲作の神として崇敬されています。

奉納踊りは、地区の青壮年による「地割舞」「虚無僧踊り」「鷹刺し踊り」「兵児踊り」「三尺棒踊り」「北方町六尺棒踊り」「棒打ち舞」、小学生の「俵踊り」、保育園児の「稚児舞」「こどもハンヤ節」などが演目として予定されています。

9時8分 すでに多くのカメラマン 以下の画像は9月29日に撮影


昨年は小雨に濡れながら撮影しましたが、今年は天気が良すぎて明暗差が強く難しい撮影でした。

各地の祭りでよく一緒になるカメラマンさんが来ていて、カメラや祭りの話にしばし時を忘れました。

今年のプログラムの一部 


開会あいさつは9時半ですが、9時過ぎから踊り団体ごとに参拝が始まっていました。

次の機会には踊り一行が鉦や太鼓を鳴らしながら、神社に向かう様子も写したいものです。

9時41分 最初は子供たちが主役 稚児行列


踊りは午後にも奉納されますが幼児の出演は午前中のみ


稚児行列、子どもみこし、子どもハンヤは午前中だけの奉納です。午前の部が終わると地元特産品が当たる抽選会があり、その後多くの人が帰ります。

午後の部は13時から俵踊りが始まり、大人たちの踊りが主で14時40分に閉会予定となっていました。

境内の出店


午後の踊りはカメラマンが少なく撮影しやすい反面、朝から頑張り続けるには体力が続かず私もギブアップしました。

9時56分 子供みこし(薩摩小学校)


10時33分 俵踊り(薩摩小学校3~6年生が中心)


10時53分 子どもハンヤ(恵光保育園)


11時2分 三尺棒踊り(武白猿民芸保存会)


11時10分 鷹刺し踊り(弓之尾 恵友会)


11時24分 手踊り 息の合ったダイナミックな踊りで盛り上がる


11時33分 虚無僧踊り(別府公民館踊子連)


11時45分 六尺棒踊り(北方町 清友会)


11時43分 まもなく出番 兵児踊り(尾原 友励会)


11時58分 高く飛び跳ねる 兵児踊り


鹿児島に残る伝統行事の中でも、幼児から青壮年まで出演して各種の踊りが奉納されるのが金吾様踊りの特色です。

兵児踊りのことを金吾様踊りと呼ぶのかと思っていたほど、兵児踊りはマスコミに多く取り上げられます。

30日付の地元紙にも兵児踊りの写真が出ていて、観客は約1600人と書かれていました。

地域を挙げて伝統芸能の保存に頑張っておられることに、毎年のことながら深く敬意を表します。

今日もカメラ2台を使い、一つでは一部動画を記録、もう一台で踊りを追いました。ここは踊り会場の境内が広く、周囲を林に囲まれて明暗差がきついのが特徴です。

さらに観客だけでなくカメラマンも多いため、踊りの途中で場所移動が難しく撮影が単調になりがちです。

300ミリ以上の望遠レンズで引き寄せると踊子の表情が出そうですが、周囲が写らないことで祭りの雰囲気が出ない気がして難しい面もありそうです。

カメラ性能や撮影技術が追い付かないことを嘆いても面白くないので、祭りを楽しむことに徹しました。

さつま町の方々には今年も多くの踊りを見せて頂きありがとうございました。台風18号が気になりますが、収穫の秋が順調でありますように・・・祈りながら帰途に就きました。
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伊作太鼓踊り 中之里保存会 2024/09/21(鹿児島) 

2024-09-21 17:59:08 | 祭り・伝統行事
9月21日(土)3連休の初日、伊作太鼓踊りに出かけました。

9時32分 日置市吹上町湯之浦 南方神社 以下の画像は9月21日に撮影


日置の実家に立ち寄り、庭先に伸び出した竹を取り除き、氏神様に米や塩など供えるうちに遅くなりました。

すでに踊り一行は境内に入り一踊りして整列、神事が始まろうとしていました。

伊作太鼓踊りは例年8月28日と29日に開催されていますが、今年は台風10号の影響で2度延期されました。



鹿児島県内各地に今も残る太鼓踊りの中で、2日連続の開催は珍しいことです。

今日は南風に乗って朝から雲が広がり、10時過ぎには一時小雨が降りました。

9時35分 神事が始まる


撮影しやすい曇り空


例年南方神社の境内は木の間から差し込む日差しが強烈で、明暗差が大きくて撮影しにくいところです。

多くのカメラマン


3連休初日で多くのカメラマンが集まっていました。観客の多くがスマホを向けているので撮影場所の移動が困難でした。

人をかき分けて前に出て迷惑をかけたくないので、踊りの様子さえ写れば、それで良しと割り切ることにしました。

団扇で風を送る


強い日差しはなくても踊子は汗びっしょり、団扇で風を送る人たちがいました。

10時9分 引きの場面 カメラマンが押し寄せる


隊列を組んで勢い良く太鼓を打ち鳴らし境内から退出する場面で、大いに盛り上がり多くの人が殺到しました。

今日もごく短い動画を記録しました。わずかな時間でも鉦と太鼓の素晴らしい響きが加わり楽しいものです。

10時48分 多宝寺跡での踊り


南方神社のすぐ西側に残る海蔵院跡を見て、三脚を担いでゆっくりと多宝寺跡に向かいました。

踊り一行は休憩中で間に合いました。ここにも多くのカメラマンが訪れていました。

日差しが戻り暑い 鹿児島の最高気温は 32.4℃  最低気温は 27.1℃


雲が少なくなり強い日差しが照り付けてきましたが、2か所目の撮影ができて幸いでした。

踊りの皆さんは今日は夕方まで、明日も朝から夕方まで予定が組まれています。蒸し暑い中の踊りお疲れ様です。

11時18分 撮影切り上げ 車に戻る


今日は臨時に設置された駐車場に車を止め、南方神社から麓(ふもと)地区を経て多宝寺跡を巡りました。

踊りは夕方まで町内各地で続きますが、体力が続きそうになくゆっくり歩いて車に戻りました。

帰り道のカーラジオで、石川県に大雨特別警報が出されたことを知りました。

多くの河川で氾濫が発生し、能登半島地震の仮設住宅が浸水、行方不明者も出ているようで痛ましいことです。

鹿児島でも明日は大雨が心配されており、伊作太鼓踊りの2日目が開催できるのか危ぶまれます。
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久しぶり 串木野の羽島太鼓踊り 2024/08/25(鹿児島)

2024-08-26 18:44:47 | 祭り・伝統行事
8月25日(日)市来の川上踊りの後、串木野の羽島神社に向かいました。

9時57分 昔からの参道鳥居 以下の画像は8月25日に撮影


コロナ禍もありましたが9年ぶりに訪れました。今日頑張らないと次の機会はないかもと、足を伸ばしました。

2014年はこの参道を上がる踊り一行の姿がありましたが、今日は誰もいません。

風化が進む石仏? 


複数の手があるようで千手観音様でしょうか、今も地元の方が大事にされていて、帰り道では花を供える姿を見かけました。

神社階段の踊子たち 先に他の場所で踊りをすませ待機中


大汗を流して境内にたどり着くと、近くの方が団扇であおいでくださり、うれしくも恐縮なことでした。

各地の祭りでお会いする鹿児島のカメラマンHさんに、腰かけを勧められました。

写真愛好家の大先輩で、手にされていたカメラは私と同じニコンD7500。あれこれ語り合いながら踊りが始まるのを待ちました。

11時3分 ようやく踊りが始まった


踊子たちが境内の鳥居をくぐったのは10時35分。短い踊りを披露して、すぐに折りたたみ椅子に腰かけてずっと待機。

神事が進み、来賓あいさつなど終わり太鼓踊りが始まったのは11時でした。

11時20分 わずかに日が陰り踊子の表情が見えた


2014年、はじめてこの踊りを撮影した日は曇り空で最後は雨に降られてびしょ濡れになりました。

今日は強烈な日差しが照り付けて、大きな木に囲まれた境内は明暗差が極端でした。花笠を被っている踊り手の表情は判りくいものでした。

雲が日差しを遮ってくれるのを待ち続けましたが、この時だけで全般に不本意な撮影となりました。

踊りの邪魔になるので、ストロボは使用しないことにしています。

給水のため何度か休憩


ここの踊りも川上踊りと同様に、短めの踊りを20種類以上も踊ります。関係者の方が小まめに冷たい飲み物と、濡れたおしぼりを配っていました。

11時40分 力強く飛び跳ねる場面


若者でないと体力が続かない場面が何度も続きました。

加治木・蒲生の太鼓踊りとは違って楽(がく)や山田楽(やまだがく)の流れをくむもので、1~2分程度の様々な踊りが20演目ほども続きました。

踊子は中学生と高校生が主で、小学生から大学生までの20人(鉦7人、太鼓13人)。長い期間練習を積んだのでしょう、所作は滑らかで力強いものでした。

社殿側の様子


今日は社殿横の高い位置から何回か短い動画を記録しました。

強烈な明暗差に悩まされながらも、僅かですが踊りの雰囲気を音と動きで記録できて幸いでした。

久しぶりに羽島太鼓踊りを見ることができてありがたいことでした。関係者の皆様には暑い中お疲れ様でした。

12時4分 羽島保育園 マーチング演奏


可愛い子供たちが一生懸命に演奏し、この日一番の人気で多くの人がスマホを向けていました。

踊りの説明などを書いた2014年の羽島太鼓踊りのブログは、こちらからご覧ください。

12時11分 まだ踊りなど続くが帰途に就く


この後も手踊り、琉球のエイサー、抽選会などがあり、14時からは2回目の太鼓踊りがあります。

その後は羽島地区内各所に移動して太鼓踊りが披露される予定です。

鳥居への坂道を下ると南東側の遠くに見えたのは、南さつま市の金峰山(636m)でした。

久しぶりの羽島でしたが、朝からの疲労が重なり美しい海をじっくり見る余裕がありませんでした。

暑さが和らいだころに、ゆっくり訪れたいものです。
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市来の川上踊り 団扇と麦茶 2024/08/25(鹿児島)

2024-08-26 15:02:03 | 祭り・伝統行事
8月25日(日)夏休みは残り僅か、いちき串木野市の川上踊りに行きました。

川上小学校近く 道路脇の石塔など 以下の画像は8月25日に撮影


7時に出発し、グーグルマップで見当を付けていた場所に駐車。近くには氏神様を祭ったような場所がありました。

すぐ横で草刈作業休憩中の若い方に話を伺うと、昔からのものでこの場所に集められたようです。

代々受け継がれたものを大切にされている、優しい地域の方々の心が感じられてうれしくなりました。

7時51分 長田神社に向かう親子連れ


21日の蒲生太鼓踊りに続き、例年8月下旬の日曜日には各地で太鼓踊りなどが披露されています。

小中学などは夏休み終盤で、暑さが少し和らぐ一方で宿題が気になる頃ですが、今年は猛暑が止まりません。

昨年の鹿児島市は最高気温が35度以上の猛暑日は2日だけでしたが、今年は30日ほどにもなりそうな勢いです。

7時55分 長田神社では踊りが始まっていた


杉林に囲まれた狭い境内では、8時からの予定を少し早めたようで踊りが始まっていました。

順番に短い踊りが続く


大半が小中学と高校生の踊子、保存会の方と関係者家族、その後ろに数人のカメラマンで狭い境内は一杯。

邪魔にならないよう木立をすり抜け、不安定な足元を気にしながら撮影しました。

20番以上の踊り


一つの踊りは長くても2分程度ですが、20番以上ある楽譜順に、所作の違う踊りが奉納されます。

踊りの間もずっと団扇であおぐ


家族や関係者は暑さ対策に気を使い、すぐ近くから団扇であおぎ続ける姿が目に付きました。

踊りの合間には短い休憩が入り、給水しながら踊子の体調を気遣っておられました。

長田神社の境内は狭い


8時開始のためまだ日差しが入らず、境内が狭いこともあり踊りの動きが制約されている感じで、撮影にはあまり向いていません。

踊り手の伸びやかな所作をしっかり写すには、2番目以降の会場の方が撮影しやすいと思います。

同じような写り具合が続くため、この場を離れた方が周りにも迷惑をかけないと考え、川沿いに移動して休憩。

交通整理で待機中の地元消防団の方々と、今年は暑さで草取りもできないこと、イノシシ、アナグマ被害のことなど、しばし世間話。

この時に冷たい麦茶を私にも頂き、ありがとうございました。

8時39分 踊りが終わった


元気なベテランの姿も


花笠などは軽トラで移動


8時42分 朝から強い日差し


この後9時から諏訪神社、10時半から葛城神社、最後は11時半から川上小学校での踊りが予定されています。

例年になく暑い中での踊りは、いつまでも故郷の思い出として残ることでしょう。

8時55分 道沿いの田の神様


まだ9時なのに・・・この暑さには閉口しましたが、串木野羽島地区の太鼓踊りまで足を伸ばしました。
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猛暑に負けず 蒲生太鼓踊り 2024/08/21(鹿児島)

2024-08-22 15:58:51 | 祭り・伝統行事
8月21日(水)強い日差しの下で、今年も蒲生太鼓踊りが奉納されました。

9時17分 すでに踊りは出発していた 以下の画像は8月21日に撮影


神社近くの観光交流センターが駐車禁止のため、姶良市役所蒲生支所横を西側に入った大楠運動公園に車を止めました。

祭りは9時から、昨年に続き今年も遅刻。すでに辻通での道太鼓が始まり、蒲生八幡神社方向へ団体ごとに踊りながら進んでいました。

参加は4団体で、下久徳(しもきゅうとく)、春花(はるけ)、川東(かわひがし)、北の順に出発しました。

鹿児島銀行前を北側に進む踊り一行(下久徳)


通りを通行止めにして踊りは進みますが、電柱電線、建物の影や道路白線が目立つので、私はこの辺りでの撮影が苦手です。

神社境内での庭踊りと違って、ずんずん前へ進んで行きますので撮影タイミングが合いません。

早くから汗を流して通り沿いの踊りを追いかけず、神社境内で待ち構えて参道を進んで来る踊り一行を写す方が、絵柄はきれいだと思います。

9時34分 交差点での踊り(北)


今年は例年にない暑さで、日陰でも観客の姿は少なく、懸命に踊る人たちには少し張り合いがなかったかも?

長年この踊りを撮影していると年ごとに観客が減り、通り沿いの建物に空家が目立ち、町が衰退していることを感じます。

9時37分 道太鼓を終えて蒲生八幡神社へ移動(川東)


蒲生小学校南側の道を進みますが、この辺りでは鉦・太鼓は殆ど打たずゆっくりと移動します。

9時48分 蒲生八幡神社 参道階段下に集まった踊り一行


広くはありませんが木陰になっており、神社到着の挨拶のような短い踊りを各団体が順に踊りました。

9時57分 春花のホタ振り(踊りの先導役)は2人


小学生でしょうか、踊り参加者は女性の比率が高くなっていることを感じました。

猛暑の影響もあるのか高齢男性の踊り手は殆ど見かけず、踊りの指導役や裏方として祭りを支えているようでした。

お母さんと一緒


踊りに合わせゆっくりと、幼子の手を引いて回るお母さんの姿がありました。踊りは途切れることなく一団体で25分ほども続くので、大変なことでしょう。

境内南西側の木陰には今日が登校日の小学生団体が来ていました。郷土学習の一環として有意義なことです。

境内通路沿いには段差解消の白い土嚢が目立ちました。撮影上は大変目障りですが、けが防止のためにはやむなし。

小学生でしょうか 暑い中良く頑張りました


暑さのためかぶり物は脱いだ感じですが、途中で脱落することもなく長時間頑張りました。大切な故郷の思い出になることでしょう。

鉦叩き 鉦の音を聞くと元気が出る


各団体ごとに少しずつ鐘の音色は違いますが、踊りの進行には欠かせない役割です。

踊りの先導役のホタ振りよりも、踊り全体をリードしてリズムを取っているのは鉦叩きのようです。

30分近い休憩もない踊りですが、所作を違えることもなく、戸惑う様子もなく踊りが続くことには感心します。

よほど長い期間、何度も練習を重ねてこられたのでしょう。

境内を走る太鼓打ち


太鼓打ちは時にゆっくり、時に全速で境内を走る場面もあり、かなりの体力が必要でしょう。

一通り踊りが終わった後で、太鼓打ちだけが一人または数人で飛び跳ねながら太鼓を打つ場面があります。

加治木太鼓踊りでは見られない、蒲生太鼓踊りだけで行われるものです。

10時58分 蒲生の大楠


左奥は国指定の天然記念物の大楠です。案内板には推定樹齢1500年、樹高30m、根周り33.57mとあります。

一時期弱っていましたが、保護事業が行われ樹勢を回復しています。

例年では社殿側や階段には観客が多いですが、猛暑のため観客は少なめで時間が経つとともに数が減って行きました。

11時12分 お疲れ様でした 境内での奉納を終える


10時から始まった境内での踊りが終わりました。最初と次の踊りは社殿側階段下の東側から撮影、3団体目は南側の木陰に移動しました。

猛暑を考慮したのか、川東地区の境内での踊り奉納はありませんでした。

今日も踊りの一部を動画記録することができました。力強い鉦と太鼓の音を聞けば元気が出ます。

いつもの顔ぶれのカメラマンとは短く挨拶を交わした程度でしたが、皆さんお元気で何よりです。

8月中はまだ各地で太鼓踊りがあるようですが、この暑さでは体が続きません。

次は日置市吹上町の伊作太鼓踊りに行けたら良いなと思っています。
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記録的な猛暑 加治木太鼓踊り 2024/08/16(鹿児島)

2024-08-17 16:37:56 | 祭り・伝統行事
8月16日(金)お盆明けの伝統行事、加治木太鼓踊りを撮影しました。

16日の鹿児島市の最高気温は36.4度で20日連続の猛暑日。今年29日目となり、これまでの最多日数を更新しています。

8月16日 朝のNHKニュース 台風7号厳重警戒


台風7号が関東地方に接近し、16日は東京名古屋間の新幹線運休、飛行機欠航など交通機関に大きな影響が出ました。

台風は予想よりも東側沖合を進み、首都圏は台風の左半円でもあり大きな被害を免れました。

8時33分 春日神社参道に集まり集合写真撮影


8時20分頃、すでに小山田(こやまだ)保存会が準備を終えて川沿いで待機していました。

西別府(にしべっぷ)保存会が加治木中学校から橋を渡り神社鳥居をくぐり、小山田保存会の一行が続きました。

階段に整列して集合写真撮影後に、階段下の参道で軽く踊り、境内では8時40分頃から踊りが始まりました。

加治木太鼓踊りは姶良市加治木町内の4団体が継承しています。木田(きだ)、反土(たんど)保存会は、8時から春日神社の南東方向にある精矛(くわしほこ)神社に踊りを奉納しました。

春日神社の境内は林に囲まれた適度な広さで、例年カメラマンが少なく私には好都合です。

8時45分 西別府保存会 吉左右(きそ)踊り 


左側は朝鮮軍、右側は薩摩軍で奥に赤狐と白狐が動いています。かごしま文化財事典から引用して踊りを紹介します。

吉左右踊・太鼓踊(きそおどり・たいこおどり)

姶良市加治木町に伝わる太鼓踊は,現在8月16日に踊られており,特に西別府地区の太鼓踊には吉左右踊があることに特色があります。吉左右踊はドラ打ちという道化役2人(赤狐・白狐)と朝鮮軍と薩摩軍に見立てた踊り手2組で構成されます。太鼓踊はじんがさをつけた兵士姿の人が左右に足を上げ太鼓を打ち勇ましく踊ります。(引用終わり)

刀を打ち合わせる


赤狐と白狐がドラを打ちながら整列した踊子を見回った後に、唄の後に両軍が刀を打ち合わせる仕草があります。

短時間ではありますが息のそろった踊りで、一般的な太鼓踊りとは少し異なりユーモラスな感じもします。

観客の中にはスマホ撮影の方が目に付き、一眼レフカメラを手にした人は写友のBさんなど5人程度。黒い服装で大き目のビデオカメラを手にした、テレビ取材らしき女性が一人。

8時53分 西別府保存会 太鼓踊り


吉左右踊りの一行が見守る中で太鼓踊りが始まりました。二つの踊りのために参加者はかなりの人数で、毎年のことながら練習や準備など大変なことと思います。

右は踊り先導役のホタ振り 後ろに鉦叩き さらに太鼓打ちが続く


今日は一眼レフカメラ2台を使用し、1台は社殿前の東側石灯篭横に設置して祭りの一部を動画記録しました。

静止画は絵になる場面を狙いますが、動画は前後の動きに加えて力強い鉦太鼓の音が入り、祭りの様子がすぐに再現できてありがたいです。

一部ではレンズ前を横切る人などで動画記録が邪魔されることもありますが、今朝は全く問題なく助かりました。

三脚の近くで動画記録を注視しながら、もう一台で静止画記録なので撮影位置や条件が制限されるのは仕方ないところ。

今朝は薄雲があり暑さを感じず


朝方の奉納で、強い光が当たることなく撮影しやすい場所です。今日は薄雲があり暑さを感じずに幸いでした。

9時1分 小山田保存会の太鼓踊り


県内では祭り参加者の減少に加えてコロナ禍によって、消滅した伝統芸能もあります。

30年以上加治木太鼓踊りを撮影していますが、近年は参加者だけでなく観客の減少も目立ってきました。

9時15分 頑張ったね 踊りを終えて一息


ホタ振りのすぐ後ろに従って、踊りの経験を積む幼子です。やがてはホタ振りになって祭りを動かすことでしょう。

暑い中で頑張りました。見守ってきた周囲の方々もホッとされているようでした。今年も楽しく撮影させていただきありがとうございました。

9時17分 次の踊り会場へ移動する一行


境内の観客席などの片付けがすぐに始まり、祭りの一行は次の会場である仮屋馬場近くの柁城(だじょう)小学校に向かいました。

踊りが終わって10分ほどですっかり人がいなくなり、寂しくもありますがゆっくりと参拝。

10時からは仮屋馬場の通りを踊りながら進む道踊り、その後は小学校の中庭での庭踊りが予定されていると案内がありました。

今年は猛暑を考慮して踊りは午前中で終わり、午後からの鴨田(かもだ)通り商店街での踊りはないようです。

朝方の薄雲は完全に消えて日差しが強烈なため、例年の国分「はんぎり出し」撮影には行かず龍門滝に向かいました。
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南さつま市 竹田神社の夏祭り 2024/07/23(鹿児島)

2024-07-24 15:01:10 | 祭り・伝統行事
7月23日(火)日置で野菜園管理の後、南さつま市加世田に向かいました。

11時8分 竹田神社境内 以下の画像は7月23日に撮影


日置での藪払いに手間取り予定より30分以上も遅れて現地着。すでに士(さむらい)踊りの人たちが鳥居下で待機中でした。

7月23日も危険な暑さが続き、各地の最高気温は鹿児島35.0度、東市来34.0度、加世田35.9度。

予定を少し早め11時15分に踊りが始まる


竹田神社について、鹿児島県神社庁のページから引用して紹介します。

御祭神
日新偉霊彦命(ヒワカクシタマヒコノミコト)島津忠良公(日新公:じっしんこう)の神霊
神事・芸能
七月二十三日(夏祭)~加世田士踊(県無形文化財) 日新公(島津忠良、島津義弘の祖父)が、御出陣御勢揃の節、仰付けられたものである。

戦国争乱の世のこと、合図の手拍子をもって忍びのもの(敵の間者)を発見するための踊りといわれている。

大守貴久公(島津忠良の息子)が、ほぼ領内の兵乱を平定して、加世田へ初めて入部された時、加世田諸士は万瀬川までお出迎え申し上げた。

一同お供申し上げ御屋形へお着きの時、日新公の思召しにより凱旋のお祝として士踊を催されたことが史書に残っている。

貴久公御逝去後は、忌日六月二十三日(今は七月二十三日)に祭祀として士踊をすることに定められた。(引用終わり)

観客も暑さで大変


真夏の祭りで観客も大変ですが、大半は踊り参加者の家族のようで、暑さに負けず熱心なカメラマンと取材関係者の姿もありました。

動画も少しだけ記録したいので三脚を担いで、社殿側の小高い場所で撮影開始。

日置で唐芋の植替えなどで大汗を流し、シャツもズボンも濡れたまま・・・元気なうちにもう一度この祭りを見たい一心でやって来ました。

ゆっくりした動き 二才(にせ)踊り


鉦太鼓、幟端を背負った太鼓踊りなどに比べると動きが極めて遅く、一般的な踊りとはかなり違っていて撮影は困難。

低い位置から写すと良い感じもしますが、強烈な真夏の日差しの下では顔の表情が出にくいようでした。

子供たちの稚児踊り 三脚利用でスローシャッター


こちらは子供たちの稚児踊り、小学から中学生中心のようで息の合った動きでした。

1/20秒での撮影ですが子供たちは大人よりも少し動きが早く、面白い感じに写っています。

さらに遅いシャッター速度では、レンズ操作が悪く画像がズームでぶれたものもありました。

踊りの最後はそろって拝礼


社殿に向かって横に整列して拝礼する場面です。

神前を人が横切らないように社殿、拝殿前にはロープが張られていました。

一般的に奉納踊りの最中に社殿前を人が横切ることは不敬でありますが、明確に対策されている例は他では見たことがありません。

夜に飾られる提灯


夏祭りの中心は士踊りですが、その前には神事の後に浦安の舞が奉納されます。

弓道、剣道大会や子供たちの相撲大会もあり、神社前の水路では水車カラクリが展示されています。

島津日新公いろは歌 ・・・代表的な歌 いにしへの道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかひなし

昔の立派な教えを聞いたり口で唱えたりしても、実行しなければ何の役にも立たない・・・身に染みる言葉です

今年の水カラクリ 


今年の展示は・・・肝付・伊地知 反逆 鹿児島を襲う
白尾国柱編纂「倭文麻環」から (しらおくにはしらへんさん しずのおだまき)

強い日差しが隠れる頃には趣が良さそう


水車の動きでカラクリがゆっくり回るもので、舟に乗った武者たちが鹿児島に攻め込む場面のようです。

12時11分 お昼時 お客さんは殆どいない


この暑さでは人出も少なく、商売になるのは夕方からでしょうか。

出店を見ると幼い頃がよみがえり実に懐かしいものです。もらったお小遣いを手にあちこち店を回るものでした。

危険な暑さの中でも車のありがたさで祭りにたどり着き、かねてなじみの写真仲間としばし談笑。

汗まみれの見苦しい恰好ながらも、士踊りを撮影することができてありがたいことでした。
コメント (2)
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上市来の伊勢神社 棒踊り 2024/05/03(鹿児島)

2024-05-04 17:20:47 | 祭り・伝統行事
5月3日(金)憲法記念日、日置市東市来町養母の伊勢神社に出かけました。

8時52分 伊勢神社神事 以下の画像は5月3日に撮影


伊勢神社奉納の棒踊りは妙円寺詣りで一度見たことがあり、今回は日置市のインスタグラムで情報を知りました。

かつては東市来町上市来地域の7集落が棒踊りを奉納していたそうです。今年は北山集落の参加はなく、荻、田代、梅木の3団体でした。

上市来中学校は1947年(昭和22)5月2日創立、2023年(平成5)3月に閉校されています。

旧東市来町は江口浜やJR湯之元駅周辺が殆どで、上市来は旧市来町内のような気がしていました。

実際に足を運んでみると、鹿児島市郡山地区に隣接してかなり広かったことが実感できました。

旧東市来町は面積が70.90km2、旧市来町は31.56km2、私の出身地である旧日吉町は29.25km2でした。

国会議員さんなどの挨拶


来年までには選挙がある地元選出の国会議員2名(小里、野間氏)、日置市長永山由高さんなどの顔ぶれでした。

市長さん自身も近いうちに棒踊り参加の予定で練習中だが、40歳にもなると覚えるのが大変と話をされました。

境内に集まった人たち


衆議院の野間議員自ら「挨拶は短く幸せは長く」の短い言葉もあり、予定通り奉納踊りが始まりました。

今日は祭り撮影で一緒になることの多い同年代の写友が4人ほど、お互いの健康に感謝することでした。

9時4分 南側にある鳥居前


伊勢神社の所在地は日置市東市来町養母12949、通称「オイセサア」、旧社格は村社です。

踊り手には小学生と思われる子供たちの参加もあり、頼もしいことでした。

幼子のペースに合わせて 動きを確実にリード


今日も数回短めに動画を記録しました。踊りの動きだけでなく、歌声や棒が当たる軽やかな音が小気味良く耳によみがえります。

動画記録機能のある一眼レフカメラをお持ちの方は、動画記録も試してみてください。おススメです。

9時7分 日差しが強くなり撮影条件が悪くなった


東側に高い杉木立があり境内は明暗差が大きく、日差しが出ると撮影が困難でした。

全体的な踊りの撮影はあきらめて、観客の様子や子供たちを中心に写しました。

9時17分 棒で地面を突きながらペースを合わせて境内に入る


西側隣にはお寺がある


伊勢神社境内で踊った一行は隣のお寺側に進んで行き、しばらくすると再び棒の当たる音がしてきました。

9時24分 お寺境内でも棒踊りが披露された


浄土真宗本願寺派(西本願寺)の養信寺境内でも棒踊りが始まり驚きました。

祭りや踊りなどは一か所だけでなく、踊る場所を変えてあちこちで披露されることが多いものです。

お寺には納骨堂があり、ここに眠る御先祖にも棒踊りの響きが伝わったことでしょう。

休憩時間に水分補給 よく頑張ったね


もう一踊り 写している側も元気をもらう


9時31分 お寺の鐘撞堂 伊勢神社は画面外右側


撮影で神社とお寺を何度か行き来しましたが、伊勢神社→お寺→伊勢神社2回目の順で3回踊られたようです。

所用のため10時頃に撮影を切り上げたので、その後の踊り一行の動きは判りません。

9時33分 息の合った踊り


10時6分 県道の橋上から 大里川上流部の荻前田橋


荻前田橋は2連アーチの石橋で日置市指定文化財です。

雨に降られることなく伝統の棒踊りを楽しむことができました。

祭り関係者の皆様、地元の方々、楽しいひと時をありがとうございました。豊作になりますように。
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花浄土/鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。