2月27日(月)藤川天神からの帰り道、香積(こじゃく)寺跡を訪ねました。
藤川のお寺跡
田海川を渡りすぐのところ 以下の画像は2月27日に撮影
東郷藤川ふれあい交流公園のすぐ上流で小さな案内板が目に留まり、引き返して橋を渡ってすぐの空地に車を止めました。
少し歩いた先で地元の方に道を尋ねると、お寺跡があり墓のようなものが残っているとのこと。
竹林の中に残る寺跡
獣害対策の鉄格子が張り巡らされている中で、入り口部分を探し出して竹林内に進みました。
古い説明板があった
太い孟宗竹が折り重なり行く手を阻み、足元や竹の枯れ枝をよけながら慎重に進みましたが、ここに残されたものはわずかでした。
香積寺(跡) 文明11年(1479年 室町幕府の時代)9月開山、藤川天神の別当寺であり、禅宗の名寺として、一時郡内に名を得た寺であった。寺跡には、住職石塔が、原形を保つものとして、貴重なものである。
石塔などはわずか
いずれも苔むして文字などはよく判りませんでした。おそらく訪れる人は殆どなく、管理の手が届かないのでしょう。
足元が悪く倒れた竹に行く手を阻まれるので、安易に行かない方が賢明です。
再建された香積寺跡
東郷町南瀬(のうぜ)地区 香積寺跡地
お堂の横に1台分の駐車スペースが確保されています。左側には建築資材置場があり、たまに作業車が出入りするのでご注意ください。
薩摩川内市教育委員会の説明板 次のように記されています
薩摩川内市指定文化財 香積寺跡石塔群等 昭和46年7月13日指定
香積寺は、鹿児島福昌寺(曹洞宗)の末寺で、本来は東郷町藤川の庵袋(あんたい)地域に建っていました。
一度は廃寺となりましたが、日置市出身の名僧「普峰京順和尚」が、名寺の香積寺を廃するのは惜しいとして、寛文6年(1666)4月15日に、この地に再建しました。
再建された寺は「不二山(ふじやま)香積寺」と呼ばれ、京順和尚自ら住職となり、布教に努めたと言われています。
京順和尚は名徳であり、その教えを受ける者や慕うものが数多く集まり、参拝者も絶えなかったようですが、明治2年(1869)に廃仏毀釈の影響で廃寺となりました。
現在、この地では、香積寺に由来する石像や石塔を見ることができます。その中には、京順和尚が自身を自作したと言われる小袴(こばかま)の像をはじめ、仁王像や、歴代住職の墓も含まれており、これらはまとめて薩摩川内市の指定文化財となっています。
小さなお堂に残る山号 不弐山
木像は当時のものらしい
保存状態が良い
地域の方々が大切に保存されています。300年以上を経て今なお素晴らしい表情と彩色も一部残っています。
知識の乏しい私にはまさに猫に小判ですが、手を合わせ頭を下げました。うまく書けませんが、心に直接響くようなものを感じました。
右奥 桑畑の横に残る石塔群
漢方薬の原料になる桑畑では、草取り作業が昼休みに入りました。除草剤を使えないので夏場の作業は大変だと聞きました。
石塔群 石仏、墓石など
奥の方から
石仏
右から、不動明王、お地蔵さん、阿弥陀如来、観音像のようです。
厳しい表情にユーモラスさも漂う 不動明王像
阿弥陀如来
ここでも明治初期の廃仏毀釈の影響を受けたものと思われますが、比較的損傷が少ないように感じます。
「鹿児島 香積寺跡」で検索すると詳細な説明をされたページがありますので、興味のある方はご覧ください。
日差しが強烈で仏様の表情が良く写せなかったので、機会を見て再訪したいものです。
藤川のお寺跡
田海川を渡りすぐのところ 以下の画像は2月27日に撮影
東郷藤川ふれあい交流公園のすぐ上流で小さな案内板が目に留まり、引き返して橋を渡ってすぐの空地に車を止めました。
少し歩いた先で地元の方に道を尋ねると、お寺跡があり墓のようなものが残っているとのこと。
竹林の中に残る寺跡
獣害対策の鉄格子が張り巡らされている中で、入り口部分を探し出して竹林内に進みました。
古い説明板があった
太い孟宗竹が折り重なり行く手を阻み、足元や竹の枯れ枝をよけながら慎重に進みましたが、ここに残されたものはわずかでした。
香積寺(跡) 文明11年(1479年 室町幕府の時代)9月開山、藤川天神の別当寺であり、禅宗の名寺として、一時郡内に名を得た寺であった。寺跡には、住職石塔が、原形を保つものとして、貴重なものである。
石塔などはわずか
いずれも苔むして文字などはよく判りませんでした。おそらく訪れる人は殆どなく、管理の手が届かないのでしょう。
足元が悪く倒れた竹に行く手を阻まれるので、安易に行かない方が賢明です。
再建された香積寺跡
東郷町南瀬(のうぜ)地区 香積寺跡地
お堂の横に1台分の駐車スペースが確保されています。左側には建築資材置場があり、たまに作業車が出入りするのでご注意ください。
薩摩川内市教育委員会の説明板 次のように記されています
薩摩川内市指定文化財 香積寺跡石塔群等 昭和46年7月13日指定
香積寺は、鹿児島福昌寺(曹洞宗)の末寺で、本来は東郷町藤川の庵袋(あんたい)地域に建っていました。
一度は廃寺となりましたが、日置市出身の名僧「普峰京順和尚」が、名寺の香積寺を廃するのは惜しいとして、寛文6年(1666)4月15日に、この地に再建しました。
再建された寺は「不二山(ふじやま)香積寺」と呼ばれ、京順和尚自ら住職となり、布教に努めたと言われています。
京順和尚は名徳であり、その教えを受ける者や慕うものが数多く集まり、参拝者も絶えなかったようですが、明治2年(1869)に廃仏毀釈の影響で廃寺となりました。
現在、この地では、香積寺に由来する石像や石塔を見ることができます。その中には、京順和尚が自身を自作したと言われる小袴(こばかま)の像をはじめ、仁王像や、歴代住職の墓も含まれており、これらはまとめて薩摩川内市の指定文化財となっています。
小さなお堂に残る山号 不弐山
木像は当時のものらしい
保存状態が良い
地域の方々が大切に保存されています。300年以上を経て今なお素晴らしい表情と彩色も一部残っています。
知識の乏しい私にはまさに猫に小判ですが、手を合わせ頭を下げました。うまく書けませんが、心に直接響くようなものを感じました。
右奥 桑畑の横に残る石塔群
漢方薬の原料になる桑畑では、草取り作業が昼休みに入りました。除草剤を使えないので夏場の作業は大変だと聞きました。
石塔群 石仏、墓石など
奥の方から
石仏
右から、不動明王、お地蔵さん、阿弥陀如来、観音像のようです。
厳しい表情にユーモラスさも漂う 不動明王像
阿弥陀如来
ここでも明治初期の廃仏毀釈の影響を受けたものと思われますが、比較的損傷が少ないように感じます。
「鹿児島 香積寺跡」で検索すると詳細な説明をされたページがありますので、興味のある方はご覧ください。
日差しが強烈で仏様の表情が良く写せなかったので、機会を見て再訪したいものです。