妙円寺詣りフェスタ2013での奉納芸能後半です。前半の徳重大バラ踊りなどはこちらです。
次は日置市東市来町田代(たしろ)地区の田代棒踊りです。棒踊りは各地に伝承されていて小中学校生徒が運動会などで披露することも多い踊りです。長い棒や鎌などを使うため踊り手の動きがそろわないと難しい踊りでもあります。
青年を中心に女性も参加しての見事な踊りでした。同級生も踊りの手伝いで参加していて、お互い顔を見合わせて驚くことでした。
次は関ケ原鉄砲隊の演武です。火縄銃の一斉射撃轟音には観客一同が度肝を抜かれました。
上は馬に乗って使う馬上銃です。小型ながらも迫力十分。撃った人も顔をしかめていますが・・・開運!なんでも鑑定団に時々出演している澤田平さんです。関ヶ原鉄砲隊を指導し、稲冨流の砲術家でもあります。関ヶ原合戦に縁の深い日置市には是非鉄砲隊をつくってほしいと熱心に訴えておられました。
次は日置市伊集院町に伝承されている鹿児島県指定無形文化財の大田(おおた)太鼓踊りです。鹿児島県ホームページの記事を引用します。
今からおよそ三百数十年前、島津の殿様から、報恩寺の坊さんに「農民達の慰安になる何か良い踊りはないか」と相談があり、その指導で生まれたと伝えられています。
構成は太鼓(前)6人、鐘8人、入太鼓2人、太鼓(後)8人、総舞攻1人の計25人で、何れも男子です。この踊りは、城攻めの様子をかたどったものと言われ、「道行き」から始まって、最後の「総舞攻め(ソマンコ)」に至るまで、15段階に分かれています。城攻めの踊りというだけに、進退のあざやかさに特徴があります。
服装は、シュロの色紙で飾った毛笠状のカブトをかぶって、太鼓を打ちます。又、長い細竹でつくった矢旗を背負っています。入太鼓打ちは、陣羽織、陣笠をつけます。
大田太鼓踊由来記が昭和25年に作成されており、この中に踊りの型や順序、配列など詳しく書かれています。昭和39年6月5日に鹿児島県無形民俗文化財に指定されました。(引用終わり)
最初から最後までの踊りが休みなく通しで奉納されました。一般に太鼓踊りでは何種類もある踊りの一部だけが踊られます。このように全場面を一気に踊る太鼓踊りは珍しくて私の知る範囲では最も運動量の多いものと思われます。
太鼓打ちは長い刀を腰に差し、激しい動きに対応するためか上体は半袖、膝も現す衣装です。鉦打ちの激しさに撞木が折れて何度も取り替えるほどでした。加治木太鼓踊りや蒲生太鼓踊りと同様にまさに戦の踊りでした。
加治木と蒲生では顔に化粧をしてヒゲを付け、鉦は手に握らず太い紐でぶら下げて打つのでさらに甲高く鳴り響き衣装にも派手さが目立ちます。
次は日置市東市来町田代(たしろ)地区の田代棒踊りです。棒踊りは各地に伝承されていて小中学校生徒が運動会などで披露することも多い踊りです。長い棒や鎌などを使うため踊り手の動きがそろわないと難しい踊りでもあります。
青年を中心に女性も参加しての見事な踊りでした。同級生も踊りの手伝いで参加していて、お互い顔を見合わせて驚くことでした。
次は関ケ原鉄砲隊の演武です。火縄銃の一斉射撃轟音には観客一同が度肝を抜かれました。
上は馬に乗って使う馬上銃です。小型ながらも迫力十分。撃った人も顔をしかめていますが・・・開運!なんでも鑑定団に時々出演している澤田平さんです。関ヶ原鉄砲隊を指導し、稲冨流の砲術家でもあります。関ヶ原合戦に縁の深い日置市には是非鉄砲隊をつくってほしいと熱心に訴えておられました。
次は日置市伊集院町に伝承されている鹿児島県指定無形文化財の大田(おおた)太鼓踊りです。鹿児島県ホームページの記事を引用します。
今からおよそ三百数十年前、島津の殿様から、報恩寺の坊さんに「農民達の慰安になる何か良い踊りはないか」と相談があり、その指導で生まれたと伝えられています。
構成は太鼓(前)6人、鐘8人、入太鼓2人、太鼓(後)8人、総舞攻1人の計25人で、何れも男子です。この踊りは、城攻めの様子をかたどったものと言われ、「道行き」から始まって、最後の「総舞攻め(ソマンコ)」に至るまで、15段階に分かれています。城攻めの踊りというだけに、進退のあざやかさに特徴があります。
服装は、シュロの色紙で飾った毛笠状のカブトをかぶって、太鼓を打ちます。又、長い細竹でつくった矢旗を背負っています。入太鼓打ちは、陣羽織、陣笠をつけます。
大田太鼓踊由来記が昭和25年に作成されており、この中に踊りの型や順序、配列など詳しく書かれています。昭和39年6月5日に鹿児島県無形民俗文化財に指定されました。(引用終わり)
最初から最後までの踊りが休みなく通しで奉納されました。一般に太鼓踊りでは何種類もある踊りの一部だけが踊られます。このように全場面を一気に踊る太鼓踊りは珍しくて私の知る範囲では最も運動量の多いものと思われます。
太鼓打ちは長い刀を腰に差し、激しい動きに対応するためか上体は半袖、膝も現す衣装です。鉦打ちの激しさに撞木が折れて何度も取り替えるほどでした。加治木太鼓踊りや蒲生太鼓踊りと同様にまさに戦の踊りでした。
加治木と蒲生では顔に化粧をしてヒゲを付け、鉦は手に握らず太い紐でぶら下げて打つのでさらに甲高く鳴り響き衣装にも派手さが目立ちます。