人間・思うが儘に成らない事ばかり。
特に、自然と云うか・お天気である。
観測機器の発達で、天気予報も、確率よく”当たる!”様に成っては来ている。
ややもすると、予報が的中するあまり、人間が天候を操作している様な、感覚にもなる事がある。
自然の摂理を、人間社会(営み)の短い歴史的な経験などで”言い当てている”だけでなのに!
私達の周辺では、輸入品であったり、備蓄米であったりして「飢饉」や「飢餓」と云う言葉を使う事も無くなっている。
先の大戦後の混乱期を除いて、自然災害での「飢饉」は、私が生を受けて以降の時代には、記憶や学習による知識はない。
注:昭和東北大飢饉は、北海道・東北地方特有の自然(やませ)災害で、昭和5年から昭和9年に発生し、昭和大恐慌や戦争への歴史経験している。
先人達は「やませ」の時期を回避するため、ビニル・ハウスで「育苗」する等の”知恵”で、自然と対峙して来ている。
何故!この様な事を思ったか?
先日、お手伝いさせて頂いた「稲刈り」以降の天候が不順なためである。
来週も、台風の影響を受けて「晴天は望めない」と云う予報である。
稲木に干された”藁部分が黒く変色し、収穫(脱穀)に差障る。
あげく、干した状態で”穂”から発芽すると云う。
自然の力強さ(干された状態でも発芽する)も感じるものの”収穫”と云う面からは、小さな飢饉と云える。
自然の中で生を成す事、それは、儘ならぬ事は”天(自然)の差配”に、委ねなければ成らない事でもあるだろう。
”自然の恵み”と云う言葉が、重く圧し掛かっている。
収穫する為の、晴天という”恵”が欲しいと思った日記である。
特に、自然と云うか・お天気である。
観測機器の発達で、天気予報も、確率よく”当たる!”様に成っては来ている。
ややもすると、予報が的中するあまり、人間が天候を操作している様な、感覚にもなる事がある。
自然の摂理を、人間社会(営み)の短い歴史的な経験などで”言い当てている”だけでなのに!
私達の周辺では、輸入品であったり、備蓄米であったりして「飢饉」や「飢餓」と云う言葉を使う事も無くなっている。
先の大戦後の混乱期を除いて、自然災害での「飢饉」は、私が生を受けて以降の時代には、記憶や学習による知識はない。
注:昭和東北大飢饉は、北海道・東北地方特有の自然(やませ)災害で、昭和5年から昭和9年に発生し、昭和大恐慌や戦争への歴史経験している。
先人達は「やませ」の時期を回避するため、ビニル・ハウスで「育苗」する等の”知恵”で、自然と対峙して来ている。
何故!この様な事を思ったか?
先日、お手伝いさせて頂いた「稲刈り」以降の天候が不順なためである。
来週も、台風の影響を受けて「晴天は望めない」と云う予報である。
稲木に干された”藁部分が黒く変色し、収穫(脱穀)に差障る。
あげく、干した状態で”穂”から発芽すると云う。
自然の力強さ(干された状態でも発芽する)も感じるものの”収穫”と云う面からは、小さな飢饉と云える。
自然の中で生を成す事、それは、儘ならぬ事は”天(自然)の差配”に、委ねなければ成らない事でもあるだろう。
”自然の恵み”と云う言葉が、重く圧し掛かっている。
収穫する為の、晴天という”恵”が欲しいと思った日記である。