ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

朱に交われば・・・

2018年01月11日 | 日記
 「朱に交われば赤くなる」
 人と云うモノ、周囲の環境に順応し、居心地の良い様に変えることが出来る事の例えである。
 ”善きにつけ悪しきにつけ!”の両面を持っている。
 生演奏を聴く機会を得て「良かった!」と帰宅する。
 そして、我家で音楽を聴くと、然も・生演奏の延長にあるような錯覚になる。
 その場・その場の護身術であろうか・・?身の熟し鮮やかさである。
 とは言え、その場で”前後”と比較されると、その差を理解せざるを得なくなる。
 昨日の、DAC(パソコンのUSB出力(ディジタル信号)を”耳”で聞くために、アナログ信号に変換する装置)の本来のスペックは、パソコンから電源を使うものである。
 師・I氏集団は、”DACに供給されるUSB電源は、真の直流電源ではない!”との信条から、数万円を要して(DAC)専用の電源を作成していた。
 パソコンからの電源供給、そして、専用電源での比較視聴をさせてもらった。
 私の聴感であっても、その違いが判別する事が出来た。
 低域の違いは明らかであった。 
 私は高校に行くまでの間、地域の”盆踊り部隊”の鳴り物を担当した。
 小太鼓であったり、大太鼓であった。
 小太鼓は「トコトン・トコトン」と、張りのある音の筈が、締めが悪ければ「ボタボタ・ボタ」となる。
 そして、大太鼓も、皮の張りが悪ければ”ドドンがドン”が”ドバドバド”と、浴室で奏でている様な音となるのである。
 微妙な違いではあるが、パソコンの電源が後者で、専用の電源では、前者との評価をもった。
 直近での比較で、微妙な違いにも関わらず、理解せざるを得なかった。
 また「しっかりとした透明感のある音」と評したのは、お風呂場でなく・恰も、平原で聴く、反響のない・混ざりけ(余韻)のない単音であることを評したものである。
 DAC専用電源は、今は無い。
 そして、単音であるか・否かの、判別は私には、出来ない。
 あれ程、明確に判別出来たにも関わらずである・・・・
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