「湿地」アーナルデュル・インドリダソン 東京創元社 2012年
Myrin, Arnaldur Indridason 2000(アイスランド語の正確な表記は表示できない。英訳タイトルは"Jar City"後に、"Tainted Blood"に変更)
アパートの一室で発見された年老いた男性の遺体。その上には一枚の紙、鉛筆で書かれた三つの言葉。捜査官エーレンデュルは、現場の机の奥から写真を見つける。そこには墓が写っていた。1964-1968 たった4年しか生きられなかった者の墓。そこからたどっていった過去。墓は誰のものなのか。4歳で亡くなった者の親は誰か。遺体との関係は…
うむ。読みやすい。テーマは重いのに実に読みやすい。アイスランドという馴染のない土地、馴染のない人名が続くけれど読みやすい。
おっと紹介が遅れた。本作は、アイスランドを舞台にしたミステリで、エーレンデュル捜査官を主役にしたシリーズ12作中の第3作。本作と第4作は、北欧(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランド)のミステリに与えられるガラスの鍵賞を受賞、同じ第4作は、CWA賞(英国推理作家協会賞)を受賞している。(詳しくは解説の川出正樹さんの文章を参照)
ネタバレを避けて詳しいことは何も語らないようにしよう。中盤を過ぎて、捜査官の頭にランダムによぎるのは: 死体、アパートの悪臭、置かれた紙、写真、PCに満載のポルノ、墓石に刻まれた言葉、小さな遺体とその母、謎の死因、刑務所、失踪した悪い奴、もう一つのレイプ…
「ミレニアム」に似ていて、でもあちこち違う。小説としての長さは勿論。でも、「ミレニアム」を楽しめた全ての人、そしてミステリを愛する全ての人は楽しめるだろうと想像する。
既に映画化されているそうで、下にその一部が紹介されている。
これだけ観たら、気になって仕方なくなってしまうだろう。創元社は翻訳が遅いので、次が一体いつ出ることやら。
では、また。
Myrin, Arnaldur Indridason 2000(アイスランド語の正確な表記は表示できない。英訳タイトルは"Jar City"後に、"Tainted Blood"に変更)
アパートの一室で発見された年老いた男性の遺体。その上には一枚の紙、鉛筆で書かれた三つの言葉。捜査官エーレンデュルは、現場の机の奥から写真を見つける。そこには墓が写っていた。1964-1968 たった4年しか生きられなかった者の墓。そこからたどっていった過去。墓は誰のものなのか。4歳で亡くなった者の親は誰か。遺体との関係は…
うむ。読みやすい。テーマは重いのに実に読みやすい。アイスランドという馴染のない土地、馴染のない人名が続くけれど読みやすい。
おっと紹介が遅れた。本作は、アイスランドを舞台にしたミステリで、エーレンデュル捜査官を主役にしたシリーズ12作中の第3作。本作と第4作は、北欧(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランド)のミステリに与えられるガラスの鍵賞を受賞、同じ第4作は、CWA賞(英国推理作家協会賞)を受賞している。(詳しくは解説の川出正樹さんの文章を参照)
ネタバレを避けて詳しいことは何も語らないようにしよう。中盤を過ぎて、捜査官の頭にランダムによぎるのは: 死体、アパートの悪臭、置かれた紙、写真、PCに満載のポルノ、墓石に刻まれた言葉、小さな遺体とその母、謎の死因、刑務所、失踪した悪い奴、もう一つのレイプ…
「ミレニアム」に似ていて、でもあちこち違う。小説としての長さは勿論。でも、「ミレニアム」を楽しめた全ての人、そしてミステリを愛する全ての人は楽しめるだろうと想像する。
既に映画化されているそうで、下にその一部が紹介されている。
これだけ観たら、気になって仕方なくなってしまうだろう。創元社は翻訳が遅いので、次が一体いつ出ることやら。
では、また。
「風葬」桜木紫乃 文藝春秋社 2008年
根室。父親がロシアに拿捕され一年前に病死。その娘は中学校の入学式に来なかった。そしてその娘は死ぬ / 釧路。書道の教師。母の過去を少しずつ知ると意外な過去が / 小学校、いじめで自殺。担任の教師は辞任 この三つの一見無関係な出来事、人物が絡み合い思わぬ展開に…
うーむ。桜木紫乃はいい。「ラブレス」に比べると、薄いし文字数も少ない感じはあるけれど、人物描写も展開もいい。もっと長い作品にしてくれる方が好みではあるけれど。
いじめ+自殺+裁判という昨今現実に報道されている事件とシンクロする部分や、北方領土問題という生臭い問題まで放り込んであって、その料理具合もなかなか。
個人的に、桜木作品に甘くなってしまっている感は否めないので、もっと他の作品を読んでから、トータルで彼女の作品を評価してみないといけないような気がする。と言っても私の場合、そう言ったことを忘れてしまうのだけれど。先日読んだ「硝子の葦」以外で未読は「氷平線」「ワンモア」「凍源」「起終点駅」「恋肌」あとたったこれだけなのか…
では、また。
「睡蓮の長いまどろみ」宮本輝 文藝春秋社 2000年(初出文學界1997年1月号~2000年7月号)
42年前自分を捨てた母の姿を見ようとイタリアに行った主人公は世良順哉。帰国し、会社に戻る。エレベーターが動かないときに、近所の喫茶店からコーヒーを配達に来た店員は世良の目の前で自殺してしまった。自殺の謎、母の謎、仕事。いたずら電話をかけてコーヒーを配達させた犯人探し。このミステリーのような作品の行方は…
うーむ。巧い。宮本輝は短編以外のほとんどの作品を持っているけれど、楽しみのために未読のままとってあるものがある。今回魔がさして未読の山を崩してしまった。するとやめられないとまらない。
40代サラリーマンの悲哀がテーマかと思っていたら全然違う。世良のセクシュアリテと秘密の生活がサブテーマの一つ。母がなぜ自分を捨てたのか、その秘密探しが一見テーマに見えるけれど(そう見てしまうと、単なる冗長なミステリとしか思えない)、それよりもどうして世良がそれにこだわるか。それに加えて、世良の日常に加わる妻や親たちのエピソードが絡まる。
世良という男と生みの母親を通して、いくつかのサブテーマがくるくると絡んだ重層的な物語。てな感じか。テーマを一言で表すことができない。
色々と気にとまった箇所があった。例えば、文庫版上巻231頁に出て来る話で、幼児期に母親以外に育てられた子は性倒錯の可能性があると法医学者が言ったとか(ほんまか?でもどこかで使おう。)
仏教用語の「因果倶時」という言葉がサブテーマになっていることを忘れてた。原因となることが起こった時に既に結果も現れているという意味で作者は使っている。タイトルにある睡蓮では、花の中に既に実があるので、そこに原因&結果が同時にあるというわけ。それがどういう意味で、本作の筋と関わってくるかは読んでのお楽しみ。
ちょっと宗教について読みかじってみると、仏教やイスラム、ヒンドゥの良さが結構目につくと同時に、キリスト教の嫌な感じがまた新鮮で面白い。と思う最近。
では、また。
先週末の話。
富士山に登ろうと東名高速で御殿場まで。
御殿場駅近くのラーメン屋、ふじもりにて早めの夕飯。
ここのラーメンは最近1年以内に食べたラーメンの中でベスト。
しかし、天候がよろしくない。
雨は降って来るし、寒い。
むむむ。どうするか。
悩んだ末、登山中止。
御殿場のICに向かおうとすると、車の大行列。
あれ?と思ったら、
事故で御殿場から大井松田まで東名高速通行止め。
時間をつぶそうとアウトレットに行く。
閉店までいてみたが、通行止めは解除されず。
仕方ないので、国道1号で帰るがここも大渋滞。
結局帰宅したのは夜中の1時半。
まあ、こんなこともあるさ。
それでは歌っていただきましょう。
ASKAさんで、はじまりはいつも雨
「きみはいい子」中脇初枝 ポプラ社 2012年
独立した短編でもあり、連作短編集でもある。学級崩壊してしまった小学校1年生の担任の先生の苦悩 / 幼い子供のママ友たちの表面的な付き合い、自分が壊れてしまうDV母の日常/ 4月1日生まれで発育が遅い息子の父親、子のエキセントリックな日常と息子と仲良くしてくれる大柄の友だち / 自分が惚けていくのが分かる女性 / 自分の母親が惚けていく娘…
ふむ。各回の終わらせ方のハッピーなのかアンハッピーなのかギリギリの感じが悪くない。ラストはハッピーだとしてもそこへ至るプロセスが必ずしもハッピーでもない、家族、親子、人のつながりの物語。
最初の学級崩壊の「サンタさんの来ない家」やテンパった母親の「べっぴんさん」が印象深い。
もし、ママ友たちが子供を連れてくる公園が、パパ友たちが子供を連れてくる、男親オンリーの空間だった場合、そこでの「秩序」「育児の効果」「親のストレスの高低」が一体どうなるのかなと思った。
もし問題があるとして(「べっぴんさん」では問題大ありだった)、それが女性に固有のママ友問題なのか、それとも育児する者であれば男女に関係ない問題なのだろうか。今の所、さっぱり分からないので、私の長期宿題としておこう。
では、また。
「硝子の葦」桜木紫乃 新潮社 2010年
ガソリンをかぶって自ら火をつけた女と、もう少しで一緒に死ぬところだった男。男は澤木で税理士、自殺した節子はラブホテル経営者の妻。なぜこのような事態に至ったのか。1年前に節子の夫は事故にあって重体になっていた。節子と澤木相互の視線から描く。
おお。なめていると痛い目にあう。ミステリだと言えばミステリなんだが、鋭い角度で鉈が日本刀が鎌が、手首へ首筋へと打ち込まれる。行先が全く予想できない。翻弄される快感。冒頭に提示された、自殺から、どうしてそんなことになったのかが描写されてゆく。
2時間サスペンスの原作チックなのに、2サスしか観ないような視聴者には味わえないような深みがある。プロットも人物描写も秀逸。
女性作家による、女性主人公の、他の女性登場人物に対する、冷たい言葉がたまらない。登場人物の一人、ちょっと不思議な女性、倫子と節子の会話。
中年のおばさんは、延々とと同じ話ばかりする…確かに。
しかし、ラストがまさかそう来るとは。予期していなかった場所で足の甲に出刃包丁が落ちてきたようだ。「ラブレス」も良かったが、これも同様。今後、桜木紫乃は読み逃せない。(この表紙はいただけないけど)
ガソリンをかぶって自ら火をつけた女と、もう少しで一緒に死ぬところだった男。男は澤木で税理士、自殺した節子はラブホテル経営者の妻。なぜこのような事態に至ったのか。1年前に節子の夫は事故にあって重体になっていた。節子と澤木相互の視線から描く。
おお。なめていると痛い目にあう。ミステリだと言えばミステリなんだが、鋭い角度で鉈が日本刀が鎌が、手首へ首筋へと打ち込まれる。行先が全く予想できない。翻弄される快感。冒頭に提示された、自殺から、どうしてそんなことになったのかが描写されてゆく。
2時間サスペンスの原作チックなのに、2サスしか観ないような視聴者には味わえないような深みがある。プロットも人物描写も秀逸。
女性作家による、女性主人公の、他の女性登場人物に対する、冷たい言葉がたまらない。登場人物の一人、ちょっと不思議な女性、倫子と節子の会話。
「今度お時間、いただけませんが。いつでもいいんです。お茶でも飲みながら一度ゆっくりお話ししたいんですけど」
「短歌の話ですか、それともご家庭のことですか。よそさまのこと、あれこれと話題にするのは性に合わないんですよ。主婦のおしゃべりって、延々と同じ話ばっかりだし。話すことが目的なら独り言で充分じゃないかっていつも思うんですけど」(44頁より引用)
「短歌の話ですか、それともご家庭のことですか。よそさまのこと、あれこれと話題にするのは性に合わないんですよ。主婦のおしゃべりって、延々と同じ話ばっかりだし。話すことが目的なら独り言で充分じゃないかっていつも思うんですけど」(44頁より引用)
中年のおばさんは、延々とと同じ話ばかりする…確かに。
しかし、ラストがまさかそう来るとは。予期していなかった場所で足の甲に出刃包丁が落ちてきたようだ。「ラブレス」も良かったが、これも同様。今後、桜木紫乃は読み逃せない。(この表紙はいただけないけど)
Katie Meluaというアーティスト、グルジア出身の英国人。
音楽性がどうのこうのというだけでなく、+ビジュアル +声 が好み。
もう一人は、米国のドラマ「アルカトラズ」の主人公、レベッカ・マドセン役のSara Jones
このような静止画像よりも、ドラマ内で喋り動いている方がずっと、私の男ごころをくすぐる。
あるいは、ワタクシ史上最もシビレルテレビドラマシリーズ、MI-5のジョーもいい。
ドラマで驚愕翻弄されたい人は騙されたと思って、MI-5を観るがいい。24よりぶっ飛ぶ。
では、また。
「明暗」夏目漱石 1916年(初出朝日新聞1916年)
主人公は津田、三十路。妻はお延長、やや派手好み。津田は働いているにも関わらず金がない。京都の父親にいまだ無心していたらついに断られた。妹のお秀は見た目が評価される女、夫あり子供あり。津田の友人、暗い小林、お延の親戚と少しずつ増える登場人物。うじうじと考える津田。このうじうじとした物語の行方は…
うーむ。本当にうじうじしている。凝ったプロットがあるわけじゃなく、あるのはひたすら、人物の内面描写。これが暗くジメジメとしている。
しかしこれが嫌かと言えばそうでもない。百年も前の小説なのに現代に通じることがあまりにも多いし、ドキッとする言葉も多い。
津田は女に穢いものを見せるのが嫌な男だった。ことに自分の穢ない所を見せるのは厭であった。もっと押し詰めていうと、自分で自分の穢ない所を見るのでさえ、普通の人以上に苦痛を感じる男だった(新潮文庫版115頁より引用)
「それでこうなんだ。男と女は始終引張り合わないと完全な人間になれないんだ。つまり自分に不足な所が何処かにあって、一人じゃそれをどうしても充たす訳には行かないんだ(219頁)
男が女を得て成仏する通りに、女も男を得て成仏する。然しそれは結婚前の善男善女に限られた真理である。一度夫婦関係が成立するや否や、真理は急に寝返りを打って、今までとは正反対の事実を目の前に突き付ける。即ち男は女から離れなければ成仏できなくなる。女も男から離れなければ成仏し悪くなる。今までの牽引力が忽ち反撥性に変化する(221頁)
この小説のあらすじ紹介の中に、結婚前に津田と恋愛関係にあった女性のことが書いてあるが、その人のことが出て来るのがなんと405頁になってから。このじらしがなかなか巧みであるということと、水村美苗が「続明暗」を書いているのでそれを読むのが楽しみだということを付け加えさせて頂く。
では、また。
離婚した人、離婚訴訟中な人、別居中な人、家庭内別居中な人など、結婚というスポーツになじめない人が周囲にあふれかえっている。
特に最近増えた。
その全員が、配偶者(または元配偶者)がいかに悪いかを言う。
決して自分の非について語ろうとはしない。
自分を省みないからこそ、スポーツで失敗するのだろうか。
恋愛中には、相手の非を声高に言うことはなかったのに。
恋愛と言う練習試合と結婚と言う本番では、実力を発揮できる人は別なのだろうか…
ところで、
最近古い友人が離婚したそうで、その友人は、自分のこんなところが嫌われたのだろうとよく自己分析している。
それを聞いて、その友人は今度は第2セットは自分のものにできるのではないだろうか、などと余計なことを思った。
いや、ホント余計なお世話だった。
先日歯科医院に行った。
以前行っていたところが、無駄に治療の回数を伸ばしてる感じがするのと、ちょっと遠いので別のところを探した。
その新しい歯科医院は、歯科衛生士、歯科医ともにマスクを着用していない。
治療の時には着けてるんだろうが、眼の上にタオルが置かれるために見えない。
すると、以前感じた「歯科衛生士はみな美人に見える」ということがなくなる。
その(ビジュアルは平均的な)歯科衛生士さんに、歯のクリーニングをしてもらったときに、コーヒーはどうしても歯に色素沈着を起こしやすいという話が出た。
「だったら、コーヒー飲まないほうがいいんですかね?」と訊いた私の問いに対して
「どんどん飲んでください。いいんですよ。私がキレイにしますから」
彼女が突如として美人に見えたのは、その瞬間だった。
その結果、
1.それまで平凡だったものが、非凡に変わるのはほんの小さなきっかけがあればいいのだと思った。
2.結局俺はそんなことばかり考えてるサノバビッチだと思った。
「武曲」(むこく)藤沢周 文藝春秋社 2012年(初出文學界2009年6月~2011年9月)
鎌倉の高校で剣道を教える、本業は警備員の矢田部。中学では陸上競技をやっていたが今はラップに夢中の高校生、融。融はひょんなことから剣道の世界に足を踏み入れる。そこでぶつかる矢田部は、剣道の鬼の父親と決闘をし父を病院送りにした男。この極めて真面目な剣道小説の行方は…
おっと。これは意外な収穫。ストーリーには意外性はこれっぽっちもなく予想通りに展開しているにも関わらず、すごく読ませる。気が付くと、自分が前のめりになっている。
あちこちに鈍い光を放つ剣道にまつわる言葉たち。これがいい。宮本武蔵が「五輪書」で書いたという、観見の相。剣道のみならず、我々の日常生活でも役立つ言葉。ある一点に視線、意識を集中しすぎないで視野を広く持つこと。ふむふむ。滴水滴凍。寒いと水滴は一瞬にして凍ってしまう。我々も一瞬一瞬を大切に生きろ。ふむふむ。何かをするときに、それが人のためになっているなどと思うなかれ。無功徳、無効用。おー、なるほど。矢田部の師匠にして剣道の達人は、その高校の隣の寺の住職、光邑禅師。禅の言葉と剣道の言葉がうまく小説と一体化している。
竹影を払って塵動ぜず、月譚底を穿って水に痕なし -風に揺れる竹の葉影が階段を払っても塵は少しも動かないし、月光が池の水底にまで届いても水には何も痕は残らない。「非有非空というやつだ。研吾。この世の事物は、実際に存在しているわけでもなく、また空無というものでもない。真如がたえず動いている。生まれている・・・。それをお前は、あるいは、お前の親父もだ、煩悩だの、いや、現実だのといって、汲々としている。だからお前らの剣は、結局、バタバタするのだ・・・(9頁より引用)
こういう小説を読んで、ああ面白いなと思っている自分て、実はマジメなんだなーと思ったり思わなかったり。「武士道シックスティーン」の若干ガーリーなのも悪くないけれど、こんな風に男の汗臭いのもまたよい。
では、また。