頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

『毒蛇の園』ジャック・カーリィ

2013-09-30 | books
「百番目の男」「デス・コレクターズ」に続くシリーズ3作目。

カーソン・ライダーとハリー刑事が車を走らせていると遺体が発見されたとの知らせ。しかし他の刑事と事件の取り合いになりそうになって急行する。別の刑事たちの方が早く着いたにもかかわらず事件はカーソンたちのものになった。車からは女性の遺体が。殴られ切り裂かれていた。殺されたのは地元ラジオ局の記者。誰が何のために?次の遺体は、火災現場に。放火されたアパートから発見されたのは高級売春婦。誰が何のために?カーソンたちは、同一の手口の事件として4年前に女教師が殺害された事件を見つけた。事件をたぐると、地元の名士キンキャノン・ファミリーにぶつかる。慈善活動に勤しんでいるように見えて、実際は… 時折挿入される、ルーカスという謎の男のエピソード。ルーカスは逃亡しながらキンキャノンを脅しているらしい…

うーむ。3作目も何ら変わらずに面白い。

解説でミステリ作家法月倫太郎氏が

「ジャック・カーリィ?デビュー作の『百番目の男』は読んだけど、あれは色物の一発ネタだし、どうせすぐに消える泡沫作家だろ」もし本書を手に取った読者が、カーリィに対して右のような認識をお持ちなら、急いであらためた方がいい。この人は本物だし、消えてもらっては困る

まさにこの通り。続けて法月氏が書いているように、表紙やあらすじ、設定はB級ホラーにしか見えないのに、伏線をあちこちに巧妙に張った正統派ミステリなのだ。

最後まで読んでから、もう一度最初から読み直してみると、初読では気づかなかった伏線に気づく。おそろしい。巧い。

正統派ミステリ+ガチガチサイコ+軽妙洒脱な会話 という私の大好物であった。ごちそうさまでした。ジャック・カーリィの翻訳ものはあと一冊で終わり。好物は後に回すか、すぐに食べてしまうか。どっちになるでしょうか。

今日の一曲

毒蛇ということで、Whitesnake の Here I Go Again



では、また。

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『愛犬家連続殺人』志麻永幸

2013-09-28 | books
映画「冷たい熱帯魚」は息を止めながら、まさか本当の話じゃないよな?フィクションだよな、と思いながら観た。映像と演技が作り出したある種のマジックだと思った。「あまちゃん」の漁労長を演じるでんでんの狂ったような演技、同じく「あまちゃん」の観光協会、吹越満の崖っぷちに立たされた男の演技。すごかった。

映画は舞台が熱帯魚屋になっていたが元になった事件は犬のブリーダーだと言う。その事件、埼玉愛犬家殺人事件がワイドショーをにぎわせていた頃は外国に住んでいたので(=国外退去を命じられていたので)全然知らなかった。阪神淡路大震災も地下鉄サリン事件も実はリアルタイムではほとんど知らない。だいぶ後になってから読んだり観たりして知った。その事件に関わった者(映画では吹越)が書いたノンフィクション・ノベルがあると言う。新潮社では山崎永幸名義で出た単行本、角川からは志麻永幸で出た文庫本、どちらも絶版になっている。アマゾンのマーケットプレイスでは定価よりも高い値段がついていた。映画ほど面白くはないだろうと思いつつ読んでみると…

海外から輸入した犬を高く売りつける詐欺師関根。トラブルになった客は殺す。遺体はバラバラにして、燃やす。川に捨てる。(詳細は割愛) 不幸なことに遺体の処理を手伝わされることになった山崎の目線で見た、関根の犯行の一部始終を描くというもの。

人間とはここまでやるのか!人間の極北を見てしまった。映画で観た世界と変わらないはずなのに、映画以上に背筋が凍ったのはなぜだろう。

絶版になったのは、不謹慎だとか公序良俗に反するとか模倣犯が出てくるのを防ぐとかというようなことではないと個人的には想像する。公序良俗なら映画の方で充分に反してるし。

映画では描かれなかった、山崎の逮捕以降の話が絶版と関係があるような気がする。そしてその箇所が面白いのだ。

関根の逮捕を急ぎすぎた埼玉県警の体たらく(桶川ストーカー事件でもそうだったけれど、ヒドイ)それ以上にヒドイのは、浦和地検熊谷支部の岩本という検事。Wikipediaにも山崎が岩本と交わした密約があったと書かれているけれど詳細は書いてない。この本にはその詳細が書かれている。それが本当だとすれば、呆れるし、こんな検事ばかりじゃないのだろうけれども、詳細が分かってしまうこの本は、検察から圧力がかかったから絶版になったのではないかと邪推してしまうぐらいなのだ。

歴史とは人間の所業について知ること。人間とはここまでやると知ること。それは人間である己について知ることでもある。直接自分はどういう人間なのか、どういう生き物なのか知ることは極めて難しい。しかしそれを他人を通してすることで可能になる。

私にも、貴方にも、関根が住みついているのかも知れない。

では、また。

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『赤頭巾ちゃん気をつけて』庄司薫

2013-09-26 | books
誤解していた。何度も。

作者は女性だと思っていた。女性の書いた甘ったるい子供向けライトのベルだと思っていた。ピアニストの中村紘子さんのエッセイを読んだときだったか、彼女は庄司薫の奥さんだと知って驚いた。するとあの赤頭巾の本は男性が書いたのか…しかもライトノベルでもなかった。日比谷高校3年生の「薫」が「ぼく」という言葉を使いながら描く、1969年とか知性とか恋愛とか。

読み始めたら似てるなと思った。村上春樹の文体に。解説を読むと、村上春樹が影響を受けたとあった。おっと逆ではないか。芥川賞をとったときには、賛否両論だったそうだ。確かに1969年当時だったら、軽すぎるという批判があって当然だと思う。

作者は日比谷高校出身だけれど、1937年生まれだから1969年当時は32歳。32歳が18歳の気持ちを表現したということになる。何と言ったらいいか。軽い衝撃を読みながら何度も受けた。

軽い文体なのに、中身は濃い。

ぼくはそのちょっとかがみこむようにしている彼女の白衣の胸元から、彼女の眩しいような白い裸の胸とむき出しの乳房を、それこそほぼ完全に見ることができた(そしてもちろんもう吸いつけられたみたいに見てしまった、言うまでもないけれど)。

この新しい敵っていうのは、おまえたちみたいにはっきりとマークできるような見事な相手じゃない。なんともつかまえどころがないような得体の知れないような何か、時代の流れそのものみたいな何かなんだ。 

小説だけじゃないよ。絵だってなんだってみんなそうなんだ。とにかく売りこむためには、そして時代のお気に入りになるためには、ドギツく汚くでもなんでもいいから、つまり刺激の絶対値さえ大きければなんでもいいんだ。 

何を食べどんなかっこうしてても、たとえそういうことがぼくのデリカシーや「人間的品性」なんかを損うとしても、もしそんなことでダメになるようなデリカシーや品性なら、そんなものはもともとどうでもいいようなものなのじゃあるまいか。そして、でも……そうだ。ぼくは思わず端をとめた。そうだ。でもそうやって、どうでもいいと棄てていって、いったい何が残るだろうか? 

非常に質の高いエッセイ+私小説+哲学書だった。こういう大学生くらいまでに読んでおきたかったなという本で、読んでなかったものがポロポロあるので、少しずつ拾ってる最中。

四部作だそう。もちろん、残りも読みます。

では、また。

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『代官山コールドケース』佐々木譲

2013-09-24 | books
川崎で若い女性の遺体が発見された。膣からは精子が。DNA鑑定の結果、17年前の解決済みの代官山女性殺害事件での遺留品の中で、殺害犯のものではないとされた陰毛のDNAと一致した。犯人は自殺したとされていた。するとこの事件の真犯人はまだ生きているということになる。だとすれば警視庁の大失態。神奈川県警にそれを暴かれる前に、警視庁が解決しなければならない。「地層捜査」の水戸部に課せられたのは、神奈川県警より先んじることと、警視庁で捜査本部を作ることができないので、女性警官とたった二人で捜査すること…

いやいやいや。さすが佐々木譲。最初からいきなりハートを鷲掴みされる。読み始めれば次から次へと頁をめくる手がとまらない。昨今の警察小説に取り上げられることが多くなった、警視庁と神奈川県警の確執のストーリー内での使い方とか、1995年当時の世相、警察庁長官狙撃事件以降の警察の大混乱と他の事件に対して手薄になる捜査などリアリティの使い方が巧い。自分が刑事になったような臨場感もまた同様。

同じように警察小説を多数出している今野敏に対してはテクニック先行のあざとさ(それもまた悪くないのだけれど)を感じてしまう反面、佐々木譲に関してはどっしりとした軸のぶれない何かを感じる。無理のない展開の仕方(単に自分にとっては無理がないと感じるだけかもしれない)や言葉の使い方など、自分に妙に肌が合う。交際の長い異性とか行きつけの店とか、使い古しの靴とかと同じようなものだろうか。いや違うか。

そうそう。ドラマ「コールドケース」の話はしたことがあっただろうか。未解決事件を扱う米国のドラマ。主人公のリリー・ラッシュ(キャスリン・モリス)のクールなビジュアルと解決の過程と、なかなか魅力的なドラマ。金も手間もかかっている。

今日の一曲

コールドケースと言えば



コールドプレイでパラダイス(無理矢理)

では、また。

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『「思考」を育てる100の講義』森博嗣

2013-09-22 | books
いきなりの長い引用にて失礼。

19「今や、理由のないものが新しい。

たぶん、この何十年か、社会は理由を追い求めすぎたのではないか、と僕は考えている。これは、情報化社会になって、みんながとにかく「知ろう」として、マスコミなどの情報発信側が、必要以上にこれに応えようとした結果ではないだろうか。
すべてになんらかの理由があるはずだ、という信念は、科学が発達したことに原因があると思う。それまでわからなかったものが、つぎつぎに解明された。神や精神世界のせいにしていたものが、悉く原因のあるものがと考えられるようになったのだ。
理由を知ることで人々は安心する。しかし、少し考えてみると、その理由というのは、単なる言葉であって、その言葉を鵜呑みすることが、理由を知ることだ。本当のところは、その理由の理由、つまり、理由が成立する原因を知る必要があるけれど、そこまでは求めない。自分の足許だけ見てそこに地面があれば、それで安心する。地面の下までは考えない、ということらしい。
エンタテイメントの世界にも、いろいろな理由が持ち込まれている。人を感動させるものが何か、過去にヒットした作品を分析して、家族愛だとか、悲恋だとか、飼い主を失ったペットだとか、立ちはだかる問題を打ち破るとか、そういう理由が見出され、それがなければ、作品は当たらない、と考えるようになる。ようするに、理由を知れば、そこに「手法」が現れ、みんながその手法に縋るのである。
テレビドラマや映画は、この種の手法に非常にこだわる。そうしないとスポンサがつかない。だから、子供を出して親子の絆を描いたり、苦境にあってもくじけない人間を描いたり、そういった何パターンかの「理由」を設定しようとする。結果として、新しいものが生まれない。どれも同じに見える。だから、どんどんつまらなくなる。
なにか社会問題を扱っていないと賞が取れないとか、話題性がなければヒットしないとか、もしそういうものがなければ、ヤラセでも良いから捏造しようとする。無理に最近の社会問題を盛り込んだり、苦境がなければ苦境を無理に作る。そういうものまで「手法」と解釈されている。
面白いものに理由があると考えていることが、そもそも面白くないものしか作れない理由だ。面白いものは、面白いものを発想すれば良い。面白いものを作る手法に則って理由を設定して作ろうとするから面白くなくなる。もし偶然にうまくいったとしても全然新しくない。ただ無難な「受けそうな」媚びた作品になるだけだ。むしろ、理由がなければ新しいものになる、という手法の方が当る理由がありそうだ。


「常識にとらわれない100の講義」に引き続き、この第19章、本当にその通りだと思い丸ごと引用した。

それ以外に気になった箇所を自分用メモ風に:

明日死ぬと思って行動し、永遠に生きられると思って考える。(確かに) / 歩き始めるまえが、一番疲れている。(何かを始めてしまえば大したことないのに、始める前は腰が重い) / 他人の感情的評価に影響されることで大勢が自由を失っている。(アマゾンの評価とかね) / 好きか嫌いかで選択ができる時代では、嫌いになることで避けられる。(政治家の顔が嫌いというレベルのことが意見として通っているのはどうもね) / 世の中の人が大好きなのは「確認作業」である。(テレビで見たモノを、そこに行って「あった」と確認するとか、歴史的に有名な所に行って「あった」と確認するとか) / 誰かが悲しい目に遭うとみんなでそれを悲しまなければならない。そうかな?(震災もそうだし、オリンピック招致もそう。「みんなで一体」化することばかりしてると何かを見失ってしまうと思う) / 「私、馬鹿だから分からない」と言う人が馬鹿である。(確かに) / そのうち「今から息を吸います」とネットで呟くようになる。(確かに) / 当たり前だが、原発より怖いものが沢山ある。(確かに) / 水着の少女を本の表紙にするのをやめたらどうか。(青年雑誌ならまだしも、少年マンガ雑誌の表紙がいつの間にか水着になった。水着のスタイルのいい女性を目にすることに基本的には嫌いではないけれど、それも場合による) / 「国家」が知らないうちに産業協同組合になってる。「政府の役目は景気回復にある」というのが僕にはどうもぴんとこない。国政とは独立した別の機関が考えるべきではないか。(あー、これは本当にそうだ。日銀の独立性は「今は失われていいけけれど、いつか後で取り戻せばいいや」というような移ろいやすいものではアカンだろう) / 小説を読むことが趣味だ、と言えるほど、文芸はマイナになった。(確かに) / 躾が、個性を奪うことはない。(著者の子育てや犬を飼った経験から、叱って育てると、子供の明るさが奪われる、ということはないそうだ。ある程度小さいうちは、大人はちゃんと叱るということが必要なのかも知れない) / 子供を自由に育てたい、という場合、それは子どもの自由ではなく、親の自由を得ようとしているだけで、本当の意味で子供の自由を育てることにはなってない。(なるほど)

こんな風に、読んだときは、なるほどと思うことがあっても、後になってすっかり忘れてしまう。だとしたら読んでも仕方ないのだろうか。読んだ瞬間の満足感だけにしか意味が存在しないのだろうか。食べたものが血となり肉となる人がいて、私のように上から下へと流れ去るだけの人がいる。そう。プリーズコールミー立て板に水。

では、また。

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『崩壊家族』リンウッド・バークレイ

2013-09-21 | books
ニューヨーク州郊外の話。隣人ラングリー家が一週間旅行に行くというのでしのび込んだ17歳デリク。しかし突然隣人が帰って来てしまった。隠れていると、何者かが隣人一家を銃で撃つのが聞こえてきた。家に戻ってきたデリクはそのことを警察にも父母にも言えなかった… というプロローグの後は、デリクの父ジムの視点から描かれる。ジムは市長の運転手をしていたが、ある事情があって市長を殴ってしまい、辞めて芝刈りをしている。デリクは近所で不要になったパソコンをもらっていた。残ったデータを見ていたら、小説のようなものがあった。書いた本人は自殺している。ジムがそれを読んでみたら、どこかで読んだことがある。それは妻のボスである大学の学長が書いた有名な小説。自殺したのは小説が発表されたより前。だとすると学長による盗作なのだろうか。あろうことか息子デリクが逮捕された。彼のしていたピアスが被害者宅の寝室から見つかったのだった…

ほほー。ヴィレッジブックスの本はあまり読んだことがなかった。ロマンス抜きのハーレクインロマンスみたいなイメージを持っていた。すごく読みやすいという意味ではそのイメージと大きく異なることはないのだけれど、意外なほど楽しめた。食わず嫌いはアカンね。

柔らかな文体に隠された、二転三転するプロットだった。

ところで東京でオリンピック開催が決まったことについて感じたことがあったんですよね。でもその話をした人たち全員が嫌な顔をしたんですわ。実生活でもブログ上でも、存在自体が相手に苦い顔をさせる。それが私なんどす。はっはっは。

では、また。

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『リンカーン弁護士』マイクル・コナリー

2013-09-20 | books
アメリカの二転三転するサスペンス小説では、東のジェフリー・ディーヴァー、西のマイクル・コナリーが横綱だと書いていたのは誰だったか忘れてしまった。ディーヴァー作品はほとんど読んでいるほど好きなのに、コナリーは一冊も読んでない。たぶんボッシュ・シリーズの第一作「ナイト・ホークス」を少し読んでつまらないと思った(んだろうと思うけれどかなり昔のことなので覚えてない。)

翻訳ミステリーシンジケートで翻訳家の古沢嘉通氏が「初心者のためのマイクル・コナリー入門」を書いておられて、それを読んでみると10作以上あるボッシュ・シリーズを読む前に、とりあえず」「リンカーン弁護士」を毒見してみるとよさそうとのこと。信頼できるプロを見つけたら、そのプロの言うことは基本的に丸飲みするのが信条の私なので読んでみた。

主人公マイクル・ハラーは弁護士。事務所はリンカーン・タウンカーの中。事務所を持たなくて携帯があれば仕事はできる。イエローページに広告を載せ、刑事事件で何とか食いつないでいる。そこへ現れたのはルーレイ。売春婦を殴ったとして逮捕された。ルーレイは不動産屋で相当金を持っている。これは相当の弁護量が稼げそうだ。そんなハラーが忘れられないのは過去の事件。無実の人間を有罪答弁取引で刑務所に送ってしまったのかも知れないと考えている。ルーレイの事件が過去の事件とリンクしていって、そしてハラー自身の身が危険になり…

いやいやいや。こんなにドキドキするリーガル・サスペンス久しぶりに読んだ。ネタバレしたくないので詳しいことは書けないけれど、そう来るか。そしてそう来るか。

リーガル・サスペンスは、

1.法律や法廷テクニックの知識がさりげなく、かつ効果的に小説内にばら撒かれている。
2.登場人物が丁寧に書き込まれている。
3.プロットが二転三転する。
4.できれば主人公自身が危険な目にあう。
5.主人公が単純な正義の味方ではなく、複雑な内面を抱えている。
6.あっと驚くラスト。
7.読み終えると、巧妙な伏線が張られていたことに気づく。

という条件が多く満たされれば満たされるほど極上のエンターテイメントになる。そして「リンカーン弁護士」はその全てを満たしていた。マイクル・コナリーさすが。よっしゃ。ハリー・ボッシュ・シリーズ最初から読もう。

では、また。

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店名にツッコんでください72

2013-09-18 | laugh or let me die
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『わたしのマトカ』片桐はいり

2013-09-16 | books
女優が映画「かもめ食堂」撮影のため1カ月滞在したフィンランドのこととその他の旅について書いたエッセイ。

片桐はいりは個性的な顔面と個性的な存在感を持つ役者だというぐらいにしか見てなかった。女性であると意識したことは一度もなく、どちらかと言えば性を超越した置物的に認識してた。(「あまちゃん」は途中から観たので、どうして安部ちゃんがそれほどまでにまめぶに拘るのか分からない)

しかし。しかし。読んでいると、こういう人が奥さんだったら人生幸せだろーなーと思ってしまった。恋人じゃなくて奥さん。(美人は三日で飽きる。ブスは三日で慣れる。と言うけれど、それは置いておいて)

彼女の考え方と感性にはすごく共感できる部分と自分とは共有できない部分があって、その配合具合がいい。共感させてくれるだけで共感しかしてくれない人との関係は薄っぺらく、何も共有できない人は異星人だったりする。その二つが絶妙にミックスされると、ウルトラ・スーパー・リッチブレンドになる。

言葉の使い方が好きだ。

迫る路地向かいのアパートの洗濯物、もうれつな町の喧騒。吹きこむ熱い風のすべてがにんにくの匂いだった。にんにく倉庫が火事?と友だちと大騒ぎをした、かわいい二十代のはじめ。あれが、私のアジアとの出会いだった。

ボランティア、という言葉にはどうしてもアレルギーがある。わたしは役の上でも日常でも、人をむかつかせたりすることが大好きなひねくれ者だ。でも、それとおなじだけ人を喜ばせることも好きなのだ。だから、けして他人のために何かをすることを拒否することを拒否するわけではないが、ボランティア、とか、奉仕、とかいう言葉がからんでくると、どうしても尻ごみをしてしまう。


この本をすすめてくれた方に感謝。人からすすめられたドラマ、映画、マンガ、CD、店、本のほとんど観てない聴いてない読んでない。ありがたいことにたくさんすすめてもらっているのだけれど、もちろん全部鑑賞はできないし、私の心の中のメモ帳の性能は著しく低いためすぐにハードディスクがいっぱいになってしまうし、しょっちゅうフリーズするのでしょっちゅう初期化してデータも霧散する。ので、たまに奇跡的にデータが残っていたりしてこんな風に読んだりすることができるわけです。

言わば、記憶に残っていた少しのデータとたまたまそのデータに合致する本が目の前にくる、そんなタイミング。

今日の一曲

ブラックビスケッツで「タイミング」covered by 奥田民夫



では、また。

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『死を啼く鳥』モー・ヘイダー

2013-09-14 | books
ロンドン。警部、ジャック・キャフェリー。重要犯罪捜査部Bチームを率いる。女性の遺体が5つ見つかる。胸が切開されていた。そして埋め込まれていたのは鳥。生きた鳥が埋め込まれていた。容疑者にはバードマンというあだ名がつく。事件が大きいので上司の判断でFチームとの合同の捜査になる。Fチームのダイヤモンド警部は、遺留品の毛髪から黒人の仕業と決めつけて、ドラッグ売人のジェマナイを逮捕する。キャフリーは医療関係者が犯人だと確信しているが…

いつの間にか、そして久しぶりにサイコ・スリラーが読みたくて仕方ないこの夏。未読で面白そうなものを探していた時に出会ったのがこれ。

作者は日本でホステスをしていたこともある英国人。シリーズ化していて、この後「悪鬼の檻」「喪失」と続く。

全体を通して笑える箇所は一切なく、低く暗いチェロの音が静かに響く。それがいい。被害者5人の共通点は娼婦であること。女性擁護団体からクレームが来そうな性差別と、黒人容疑者に対する人種差別が、リアルに描かれる。

サイコ・スリラーとして充分に面白い。主人公の内面描写もすごくいい。兄が昔失踪していて、変質者が兄を殺したと思い、ずっと嫌がらせを繰り返すキャフェリー。付き合っている彼女のことを全く愛せないキャフェリー。でも別れたいと言い出せないキャフェリー。

犯人が誰かはすぐに明かされる。となると、追う側がどうやって真犯人にたどり着くかと、真犯人が犯行に及ぶ過程と動機の描写が肝になる。さらに、意外な展開もあって、それが無理なくすーっと入って来た。

サイコなものが嫌いな人にはちょっと薦められないけれど、スキモノにはタマラナイ。

今日の一曲

本書の原題は、birdman

ってことでbirdの「空の瞳」 デビューアルバム「SOULS」は何度も聴いた。まさかみうらじゅんと結婚するとは。



では、また。

「死を啼く鳥」モー・ヘイダー ← Amazonでは新刊は扱ってないそうです。
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『政と源』三浦しをん

2013-09-13 | books
東京墨田区。源三郎と国政は幼馴染73歳。源三郎はつまみ簪の職人、弟子が一人。国政は銀行員だった。妻と娘は家を出て行った。二人をめぐるややハチャメチャでハートウオーミングな連作短編集。

うーん。悪くない。悪くはない。しかし三浦しをんにはもっともっと面白いものを期待してしまう。「ありがちな」人情噺の域にずっぽりとハマってるのは読む人によっては水戸黄門的想定内物語でよいことなのだろうけれども…

本人が意図的に作り出しているBL臭がそこはかとなく漂う。描かれる美男美女のイラストもBL臭を盛り上げる。たぶん好きな人にはたまらないのだろう。

先日よく行く書店の翻訳ミステリのコーナーに行ったら驚いた。全部BLマンガになっていた。そんなに需要と供給があるのか!

先日BL好きな友人と話していたら、BLには「男女の恋愛話にはないピュアなものがある」とのことだそうだ。なるほど。その友人(20代独身女性)は軽い潔癖症なのだが、「ピュア」なるものを他者に求めるハートが嗜好の根底にあるのかも知れない。

今日の一曲

ボーイズラブと言えば、カルチャークラブのボーイ・ジョージか、元ワム!のジョージ・マイケルを思い出す。

大好きな曲 One More Try by George Michael



では、また。

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おもこ

2013-09-11 | music
ダイア・ストレイツ(Dire Straits)というバンドをご存じだろうか?



80年代にヒットを飛ばした。

ところで、このバンドの名前はずっと、ポーカーの役名で「ダイアのストレート」だと思っていた。

ストレートは3・4・5・6・7のような連続した数が揃うやつ。ダイアで連続したやつが揃ったという意味だと解釈していた。

しかし、よく考えてみたら、ストレートはダイアでもスペードでもマークはバラバラで、数字が連続していればよかった。ダイアで数字が連続したら、それはストレート・フラッシュではないか!

あれ?

ダイアってダイアモンドのことだよな。それはdiamondであってdireとは略さないよな… ストレートとはstraightであってstraitsじゃないよな…

あー!dire staitsってピンチとか苦境って意味だった!

まさに、おもこだった。

昔サブカル系の雑誌で「ビックリハウス」というのがあって、大好きでよく読んでいた。その中で「おもこ」というコーナーがあった。それはずっと「思い込んでいた」間違いをカミングアウトするという企画。おもいこみ、略しておもこだった。

POPEYEがファッション誌になる前のコラム雑誌だった頃、宝島やホットドッグプレスやBRUTUSもすごく面白かった。あの頃は毎月何万と雑誌に使っていたと思う。それで当時はね、糸井重里が週刊文春で万流コピー塾をやってたりとか、サブカルがサブカルというよりもメインストリームに来てしまった時代でね…

ふぅ。

誰かが昔は良かったと言い始めたらすぐに耳をふさいだほうがいい。でしょ?

では、また。

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『ボケたっていいじゃない』関口祐加

2013-09-10 | books
オーストラリアに住んで向こうの男性と結婚し子供もできた女性。映画監督が仕事。しかしどうやら日本の母がボケてしまったようだ。結婚もうまくいかなくなったので、離婚して日本で母と暮らすことにした。母との生活を面白おかしく、シリアスにならないように書いたエッセイ。

昨年「毎日がアルツハイマー」というドキュメント映画が公開されたそうだ。観てない。その監督はこの本の著者、登場するのはその母だそうだ。

この本に関してはどうもうまくコメントできない。

アルツハイマーやボケに対して定まった自分の意見をいまだに持てていないからだ。(意見がなくてもコメントはできるはずなのに…)

ゆえに、「とても楽しく読めました」とも言えないし、「シリアスで笑えませんでした」とも言えない。いわば言葉がない状態なのである。情ないけど、嘘ついてもしょうがない。しかし、親の介護を強いられている人が読んで救われるような気持ちになることは間違いないし、また介護とは縁がない人が読んでためになることもあると思う。具体的な誰かの介護が大変であるとかないとかということについて感じるにはよい本だと思う。しかし、社会全体について、「ボケたっていいじゃない」と思うことはできなかった。読んで、いいじゃないと思う人は少なくないと想像するけれど。

人口の5分の4が年寄りで、なんていう社会はなんだかおかしい、長寿にしようと頑張りすぎる社会はよろしくない、という考えが私の根っこにあると思う。言い換えると、医療の進歩のしすぎはよくないということ。その話を製薬会社で糖尿病の薬の開発をしている古くからの友人にしたところ、言いたいことは分かるけれど「近親の者が致命的な病だったら、それを救える薬があったら使いたくなるんじゃないの?」という鋭い質問があった。その質問に対する答えを私はいまだに考えている。いや、それは嘘だった。考えるのを忘れていた。宿題がまた増えてしまった。

しかし私には宿題が多すぎる。毎日が8月31日のような気分だ。

日々是八月三十一日

では、また。

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『ポーカー・レッスン』ジェフリー・ディーヴァー

2013-09-08 | books
日常に潜む闇と意外な結末でひっくり返るほど驚かせてくれた短篇小説。中学生の頃は星新一と筒井康隆。高校生の頃は江戸川乱歩とO・ヘンリー、大学生の頃はジェフリー・アーチャーだった。どういうわけかそれから短編からは縁遠くなり自分から読むことはあまりなくなってしまった。村上春樹や車谷長吉のような純文学系の短編は全く肌に合わない。たぶん、オチのない(オチがあっても私には分からない)短篇小説は、麺のないラーメンのようなものだと思ってるからだろう。それがある種の偏った好みであることは承知している。

さて、リンカーン・ライムシリーズがよく知られているディーヴァーが以前に出した「クリスマス・プレゼント」という短編集は非常に面白かった。短編集でもこういうのはすごく好きなのである。これに続く第二短編集がこれ。つまらないわけがない。16もある短編全部紹介するのはやめて特に印象に残ったものだけ。

殺人事件で逮捕された男が裁判にかけられている。有罪になることは間違いない。しかし動機が分からない。捜査の指揮をとった刑事は動機が気になる。拘置所で被告と話しをすると…<動機>

殺人事件の公判中の男の親戚から多額の報酬を提示されたので、途中から弁護を引き受けた敏腕弁護士。どう見ても有罪なのを無罪にすることができたのだが…<一事不再理>

高い金を賭けてポーカーをしているの聞きつけて18歳の少年が何十万ドルも持ってやって来た。カモにしてやろうとすると…<ポーカー・レッスン>

基本的に長編原理主義者だからこそ、たまにこういうピリッと辛い短編に出会うとすごく刺激的だ。長編という本妻に対する浮気相手と考えておけばよいのだろうか。なにがよいのだか分からないが。浮気だからこそたまにするのがよいということなのだろうか。よいというのがどういう意味だか分からないが。

人生分からないことだらけ。

では、また。

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『離れ折紙』黒川博行

2013-09-06 | books
直木賞の候補に5回なった作家、黒川博行。関西を舞台にした作品が多く、悪徳刑事のシリーズや、探偵とやくざの凸凹コンビなど、犯罪を軸にしたユーモアと毒が効いた、他の作家には真似できない独特の味を持つ。私は大好きだ。京都市立芸術大学を出て高校の美術の教師をしていた経験があるからか、美術に関する小説もまた鋭い切れ味。

本作は短編集で単体もの。連作ではないけれど、登場人物に関係があったりする。

大学の非常勤講師と美術館の学芸員をしている澤井が手に入れたのは、パート・ド・ヴェール(ガラスの焼き物) フランスの彫刻家のアンリ・ベルナールの幻の作品かも知れない。しかし残念なことに割れてしまっている。一儲け企む澤井の考えた手は…<唐獅子硝子>

1400万の借金のかたに日本刀の名刀を差し出してしまった者からその事情を聞いた日本刀コレクターの医者。借金を肩代わりする代わりにその名刀を何とか自分のものにしたい…<離れ折紙>

寡作として知られる江戸時代の浮世絵画家の版木が出て来た。世紀の新発見かも知れない。欲が出て来た澤井は…<雨後の筍>

贋作を売ったことがバレて、400万の金を都合しなくてはならない業者。公設美術館がある画家の絵を探しているという。予算は3000万。その作品を持っている者を知っているので…<不二万丈>

横浜の大金持ちの家から持ち出される質の高い骨董。しかしそれが盗品だと分かった…<老松ぼっくり>

知り合いから購入を検討して欲しいと頼まれた。芸術院の会員にもなった画家の絵。澤井の勤める美術館で買えるかも知れないが…<紫金末>

LINKLINKLINKLINK一貫したテーマは贋作。贋作はもちろん、そうでないものも美術品に関するミステリーや小説は面白い作品が多い。高橋克彦の「写楽殺人事件」や、元メトロポリタンの館長トーマス・ホーヴィングの「ミイラにダンスを踊らせて」とか「名画狩り」や、北森鴻の旗師・冬狐堂シリーズ「狐罠」「狐闇」や、黒川博行の「文福茶釜」「蒼煌」など。

「ビブリア古書店の事件手帖」が古書に対して興味を持つ人を増やしたように、古美術や骨董に関する小説が、古美術そのものや古美術に関わる腹黒い者たちに関する興味を持つ人を増やしたりすると面白いなーなんて思ってみたり。数が少ないのでもっと出版されると嬉しい。

では、また。

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