宗教って、分かったような気になっていたけれど、よく考えてみれば、よーく考えてみれば、ちっとも分かってなかった。著者の橋爪氏の名前はよく目にしたけれど、一度も読んだことがなかった。先日ラジオにゲストで出演して話していたことが割とストンと入ってきたので、何か読んでみようと思って読んだ。ユダヤ教とはなにか、キリスト教とはなにか、宗教改革、イスラム教、初期仏教、大乗仏教、中国と日本の仏教、儒教、尊王攘夷についてかなり分かりやすく説明してくれる。東工大での授業を本にしたそうだ。
あまりにも分かり安すぎて、ほんとかよーとツッコミを入れたくなった部分もあったけれど、全体としてはこれだけの分量にこれほどのことが詰め込まれていて、宗教全体を知るには、非常に上質のテキストだし、ツッコミを入れたくなったり、詳しく知りたければ別の本を読めってことだろう。(Amazonでの、出鱈目だというレビューはそういう意味で当たってない、しかし入門書ではないという別の人のレビューは当たってると思う。宗教について、偏見でもいいのである程度の考えを持っている方がより楽しめると思う)
「死んだらどこへ行くのか」について、死後の世界のことを考えるのが宗教だと日本人は思っているけれども、世界の名だたる宗教は「死後の世界など存在しない」という具合に解決すると、著者は言う。キリスト教は、最後の審判の日に死者は全員復活して、裁きを受ける。死者は墓地で寝て待っているとする。イスラム教も同じ。ユダヤ教では死んだら土。ヒンドゥでは輪廻するから死語の世界はない。儒教は、徹底した現世主義なので、死後の世界なんてどうでもいいと考えている、と著者は書いた上で、
うーむ。耳が痛い&スルドイ。なぜを、深く考えないというのが、いい意味でも悪い意味でも日本人的なのだろう。お気楽に生きるには悪くないし、全員が一丸となって何かに突き進むには悪くない。しかし真の知的活動をするには向いていない国民性なんだろうと思う。温泉に浸かって「あぁー」と思わず言ってしまったり、美味しいおしんこを口にしたり、治安の悪化する外国のニュースを見ると、「あー俺は日本人だなー。てか日本人でよかったなー」などと思うけれど、同時に日本人であるということは、世界の究極の原理を発見したり、国家の100年後のグランド・デザインを描いたり、正しいことを極めたりするには、脳の土壌には栄養が足りないのかも知れない。(だから結局、私はアホなのだろうか)(シューカツなどという非合理的で、誰が得しているのか分からないシステムをみんなで導入し、疲れ果て自分の頭でモノを考えられない大学生を大量にこの世に作り出しているという意味不明な現象の根底はその辺だろうか)
おっと脱線してしもうた。
読んでいて、目から最も大きなウロコが落ちたのは、浄土宗とゾロアスター教の関係。
浄土宗が信仰する阿弥陀仏はAmitabha(無量光)とかAmitayus(無量寿)の音訳で、寿命無限の光り輝く仏陀という意味だそう。最新の研究によると、その実態はイランに広まっていたゾロアスター教が仏教化したものだそうなのだ(なぬっ。しかし、火を信仰するのと光を信仰するのは似ているなー)多神教である一般的な仏教とは違って、阿弥陀しか崇拝しない一神教である浄土宗は、同じく一神教であるゾロアスター教と共通している(なるへそ)さらには、ゾロアスター教が東はインドに伝わって、この大乗仏教の阿弥陀信仰になり、西はキリスト教になったと考えると、日本の浄土真宗の一向一揆とドイツの宗教改革(農民戦争)は兄弟同士になる(なにー!確かにそうだなー。加賀の一向一揆は1488年から1580年。石山の合戦は1570年から1580年。ルターの宗教改革は1517年。ドイツ農民戦争は1524年。時代はほぼ同じではないか。日本の場合の敵は信長で、ヨーロッパでは神聖ローマ帝国皇帝カール5世&ローマ教皇レオ10世ということになるのだろうか。人間のすることは古今東西変わらないということなのだろうか)
なんつーか、私のような、「知ったかぶり」あるいは「分かったような気になっているだけ」の人にはかなりオススメ本だった。
今日の一曲
前に紹介したような気が若干しないでもないけれど、ブログ内検索してみたら引っ掛からなかったので。信仰、祈りと言えばこれ。Bon JoviでLivin' On A Prayer
では、また。
あまりにも分かり安すぎて、ほんとかよーとツッコミを入れたくなった部分もあったけれど、全体としてはこれだけの分量にこれほどのことが詰め込まれていて、宗教全体を知るには、非常に上質のテキストだし、ツッコミを入れたくなったり、詳しく知りたければ別の本を読めってことだろう。(Amazonでの、出鱈目だというレビューはそういう意味で当たってない、しかし入門書ではないという別の人のレビューは当たってると思う。宗教について、偏見でもいいのである程度の考えを持っている方がより楽しめると思う)
「死んだらどこへ行くのか」について、死後の世界のことを考えるのが宗教だと日本人は思っているけれども、世界の名だたる宗教は「死後の世界など存在しない」という具合に解決すると、著者は言う。キリスト教は、最後の審判の日に死者は全員復活して、裁きを受ける。死者は墓地で寝て待っているとする。イスラム教も同じ。ユダヤ教では死んだら土。ヒンドゥでは輪廻するから死語の世界はない。儒教は、徹底した現世主義なので、死後の世界なんてどうでもいいと考えている、と著者は書いた上で、
日本人は、復活や輪廻を信じていないし、現世中心主義に徹するほど合理的でもないので、なんとなく死後の世界があるような気がしている。未開社会にはよくあるタイプの感覚ですが、文明国にしては素朴すぎます。素朴でも別にいいと思いますが、宗教を信じる世界の人びとが、日本人と同じような感覚(死生観)をもっているだろうと勝手に思いこむのだけはやめましょう。
うーむ。耳が痛い&スルドイ。なぜを、深く考えないというのが、いい意味でも悪い意味でも日本人的なのだろう。お気楽に生きるには悪くないし、全員が一丸となって何かに突き進むには悪くない。しかし真の知的活動をするには向いていない国民性なんだろうと思う。温泉に浸かって「あぁー」と思わず言ってしまったり、美味しいおしんこを口にしたり、治安の悪化する外国のニュースを見ると、「あー俺は日本人だなー。てか日本人でよかったなー」などと思うけれど、同時に日本人であるということは、世界の究極の原理を発見したり、国家の100年後のグランド・デザインを描いたり、正しいことを極めたりするには、脳の土壌には栄養が足りないのかも知れない。(だから結局、私はアホなのだろうか)(シューカツなどという非合理的で、誰が得しているのか分からないシステムをみんなで導入し、疲れ果て自分の頭でモノを考えられない大学生を大量にこの世に作り出しているという意味不明な現象の根底はその辺だろうか)
おっと脱線してしもうた。
読んでいて、目から最も大きなウロコが落ちたのは、浄土宗とゾロアスター教の関係。
浄土宗が信仰する阿弥陀仏はAmitabha(無量光)とかAmitayus(無量寿)の音訳で、寿命無限の光り輝く仏陀という意味だそう。最新の研究によると、その実態はイランに広まっていたゾロアスター教が仏教化したものだそうなのだ(なぬっ。しかし、火を信仰するのと光を信仰するのは似ているなー)多神教である一般的な仏教とは違って、阿弥陀しか崇拝しない一神教である浄土宗は、同じく一神教であるゾロアスター教と共通している(なるへそ)さらには、ゾロアスター教が東はインドに伝わって、この大乗仏教の阿弥陀信仰になり、西はキリスト教になったと考えると、日本の浄土真宗の一向一揆とドイツの宗教改革(農民戦争)は兄弟同士になる(なにー!確かにそうだなー。加賀の一向一揆は1488年から1580年。石山の合戦は1570年から1580年。ルターの宗教改革は1517年。ドイツ農民戦争は1524年。時代はほぼ同じではないか。日本の場合の敵は信長で、ヨーロッパでは神聖ローマ帝国皇帝カール5世&ローマ教皇レオ10世ということになるのだろうか。人間のすることは古今東西変わらないということなのだろうか)
なんつーか、私のような、「知ったかぶり」あるいは「分かったような気になっているだけ」の人にはかなりオススメ本だった。
今日の一曲
前に紹介したような気が若干しないでもないけれど、ブログ内検索してみたら引っ掛からなかったので。信仰、祈りと言えばこれ。Bon JoviでLivin' On A Prayer
では、また。
