頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

『てんやわんや』獅子文六

2014-05-31 | books
ちくま書房から最近出ていて、懐かしいなあと思った。

中学生の頃、「三等重役」にハマった。フランキー堺の世界と言えばいいのか。半沢とは真逆ののほほんサラリーマン生活。「大番」も面白かった。ドラマ「どてらいやつ」に近い、成り上がり小説だったなー。

と思って後で調べたら、「三等重役」は源氏鶏太だった。私の中では獅子文六と区別できてなかった。

今読んで面白いだろうかと思いつつ読んでみると、

犬丸順吉29歳。戦争が終わったばかりの1946年。元代議士で出版社社長の鬼塚に服従することで半生を生きてきた。出版社の女子社員花和兵子に言い寄られるも、鬼塚の命令で四国で暮らすことになる。宇和島から四里ほど離れた所の玉松という金持ちの館で居候しながら、経験すること。出会い。流されるまま暮らしてきた順吉の一年とは…

うーむ。うーむ。毎日新聞に連載されていたのは1948年。70年も前。しかし読ませるではないか。昭和の大衆作家の筆力とはこれほどのものだったとは。平成の大衆作家東野圭吾や湊かなえよりずっと読ませる。

順吉の姿に自分を重ね合わせてしまう感情移入(確かにそうだよなー。俺もそーだよー)と、客観的な見方(順吉、おまえなにやってんだよー)の絶妙なクロスオーバー。タマラン。

先日の「花子とアン」で、卒業式の日、ブラックバーン校長が生徒に「この学園での日々が今までで一番幸せだったと貴方たちが将来思うとすれば、この学園の教育は失敗したということになります。未来とは良くするものなのです」というようなことを言っていた。不覚にもグッときてしまった。

昔は良かったなどと言ってはいけないのに、つい昔は良かったなどとつぶやいてしまう私。ブラックバーン校長、私にも「ゴー・トゥ・ベッド!」と叱って下さい。

てんやわんや (ちくま文庫)てんやわんや (新潮文庫)

今日の一曲

流される人生。流れはflow ということでm-floでHow You Like Me Now? Lisaがいた頃。



では、また。
コメント

ドラマ「最後から二番目の恋」ロケ地

2014-05-29 | travel
鎌倉に行って来た。

なんだか人がたくさんいるし、どっかで見たような気がすると思ったら、



長倉家のすぐ目の前の路地だった。

目と鼻の先は踏み切り。駅から長倉(中井貴一)や千明(小泉今日子)が帰ってくる途中にある踏切だった。



その後、長倉家内のカフェのモデルになっているカフェ坂の下に行った。15組ぐらい待っていたけれど、40分ぐらい待ったら入れた。クリームたっぷりのパンケーキが旨かった。

あのドラマを観て、ロケ地にやって来る人が意外と多いのにちと驚いた。

面白いドラマに出会うのが難しいけれど、このドラマは毎週楽しみなのだ。
コメント (2)

店名にツッコんでください85

2014-05-27 | laugh or let me die
コメント (4)

『骨を彩る』彩瀬まる

2014-05-25 | books
連作短編集。

妻に先立たれ娘と二人で暮らす、不動産屋の父津村。妻の思い出と、恋人になれるかも知れない女性光恵と…<指のたより>
高校の恩師が死に葬儀へ行く光恵。久しぶりに集まった友達は変わり…<古生代のバームロール>
光恵の友達玲子は仕事も家事も子育ても完璧にやっていると思われている。しかし息子がどうもいじめにあっているらしい。自分は母親だからと意気込んでしまうことが裏目に。父の墓参りで乗った長距離バスの中で知り合った女子大生サクラコと…<ばらばら>
女子大生とチャットしているサラリーマンは不動産屋勤務、津村の会社で。女性に縁がなかったり、かわいい彼女とどうもうまくいかない。しかしチャットでは築ける人間関係…<ハライソ>
沢村の娘小春の苦悩。転校生の葵は食事の時に十字を切っていた。同級生たちは気持ち悪がり…しかし葵はバスケが上手で仲良くなってしまう。しかしそれでは自分の立場が悪くなってしまうし…<やわらかい骨>

という非常に上手に全ての話を絡み合わせている。じっくりと考えさせる話、じんわりと感じさせる話ばかり。

「最近は、こんなもの作ってみたんです」
本には紺色の千代紙で作ったブックカバーが掛けられていた。背表紙の部分だけ、まるで夜を照らす街灯の光のように黄色い紙が貼り足されている。光恵はこういった紙細工がずいぶん好きなようだ。メモ帳やペンケースにも花のかたちに切り抜いた紙片を張り付けているのを見た。ちょっとお菓子がおいしくなるの、とチョコレートの箱を千代紙で覆って、楽しそうに食べていたこともある。女性らしい遊びだとも言えるのだろうが、千代紙を貼られた品々が放つねっとりした空気の甘さが、津村は少し苦手だった。

ううむ。誤解を恐れずに書いてみると、中年以降の女性の「少女趣味」や「押しつけがましい趣味」は、傍から見ているとちょっと痛い。

女性経験、もしくは風俗もしくは水商売に関して、

「富士山みたいなもんだよ。縁がある奴はあまり深く考えずに登る。縁がない奴は一生登らない。ただ、登っちゃえばとりあえずどこに休憩所があるとか、何合目ではこんな感じとか、大体の道のりがわかるから、無暗に悩んだり、実物より大変な想像をしたりはしなくなる」

富士山かー。なるほど。

今日の一曲

登場人物は何かしらのジレンマを抱えている。ある種のジレンマを歌う、Taylor SwiftでI Knew You Were Trouble



では、また。
コメント

『凍氷』ジェイムズ・トンプソン

2014-05-23 | books
フィンランド、カリ・ヴァーラ警部には二つの難問が。90歳のアルヴィド・ラハティネンに対してドイツから身柄の引き渡し要求があった。ユダヤ人虐殺に関わったとされているからだ。しかし、彼は戦争の英雄だ。内務大臣と国家警察長官からは彼が無罪だと証明するように命じられた。カリに白羽の矢が立てられたのは、彼の祖父もアルヴィドと一緒に従軍していたから。もう一件は、殺人事件。建設会社社長にイヴァン・フィリポフの妻、イーサが殺された。血だらけの陰惨な現場。現場にはレイン・サールがいた。イーサの不倫相手の男で、頭部を殴られ、意識を取り戻したときには彼女の遺体があったと証言するが…

ホロコーストと性殺人というややグロい組み合わせ。苦手な人には薦められないけれど、好きモノなら、カリのパートナー、ミロや妊娠中の妻ケイトの所にアメリカからやって来た、偏狭な妹メアリとアル中のジョンなど物語に様々な味付けに舌鼓を打ってしまうだろう。ぽぽーん。

「そんなばかな」
スロの言うとおりだ。そんなばかなことがまかり通っている。フィンランドの飲酒文化は偽善的だ。男は酒を飲むのが当たり前になっていて、飲まないやつは信用できない人間と見なされる。社会生活もビジネスも酒を中心に回っている。取引が夜、相当酔っぱらっているときに成立することも多い。男のつきあいが一役買う。また、酒に酔った会合の多くが男女の分かれているサウナでおこなわれるから、女性は意思決定の過程から排除されてしまう。バーで何かまずいことがあり、誰かが殺されたとしても、たいていの場合、気の毒に、で終わってしまう。目撃者は信用されない。彼らは酔っていなかったと証明できない。裁判所は有罪判決を出さず、犠牲者に責任を負わせる。文化的に酒を飲むことが求められるのに、酔っぱらうと人びとは法律上の全権利を失う場合もある。

アメリカで生まれ育ちフィランドに移り住んだ作者らしい表現。

そうそう。「極夜」に続く第二作であることを言い忘れていた。

凍氷 (集英社文庫)

今日の一曲

原題はLucifer's Tears ってことで、Tears For TearsのSeeds Of Love



あらためて聴いてみたけれど、具体的に何を言おうとしている歌かよく分からない。のに、なぜか好きな曲なのは変わらない。

では、また。
コメント

『満月の道(流転の海第七部』宮本輝

2014-05-21 | books
宮本輝なんて全く興味がなかった。大学4年のとき、ある企業から内定が出て、他の企業を回れなくするために拘束された。(中略)その過程でなぜか観に行くはめになった映画「優駿」 隣にリクルーターがいたせいか内容は全く覚えてなかった。いやほとんど寝ていたんだと思う。

骸骨ビルの庭(上) (講談社文庫)三千枚の金貨(上) (光文社文庫)三十光年の星たち(上) (新潮文庫)それからずっと宮本輝には縁がなかった。21世紀に入ってから薦められて読んだ「骸骨ビルの庭」「三千枚の金貨」「三十光年の星たち」が面白いのなんのって。それから石黒賢と二谷友里恵のお坊ちゃまお嬢ちゃまファッキンドラマだと思って観てなかった「青が散る」の原作も面白いことこの上なしだった。

青が散る〈上〉 (文春文庫)流転の海 (新潮文庫)私の中の輝温度はググッと39度に上がり、読み始めた「流転の海」シリーズ。1981年に書き始めたもの。松坂熊吾、妻房江、息子伸仁を中心とする戦後史。笑いあり涙あり、人情あり裏切りあり。こってりとんこつ醤油系の物語。本作はもう第七部。あとがきに第九部で完結するとあった。完結したらもう一度最初から読み直したい。(塩野七生の「ローマ人の物語」はところどころ読んでいる。完結したのに最初から読もうと思わないのはなぜだろう。塩野は人としてすごく好きなのだけれど、だからエッセイは読むのだけれど、物語りに今一つ入り込めない。あと10年もすれば変わるだろうか)

本作は熊吾の中古車販売業が中心。シリーズをずっと読んでいる人にはネタバレになるし、読んだことの人にはこれだけ説明しても仕方ない(と言って説明をサボる。)

貧しい実家に仕送りしなくてはいけないのに、螺鈿細工に魅せられてしまい、長い間無給で修業しなくてはいけないと分かっているのに、弟子入りを願うトクちゃんが好きだ。

「お母ちゃんがお父ちゃんに頼んでくれたんです。トクの好きな道に進ませてやろうって。お父ちゃんは、人を使うて一銭も払わんようなやつが信用できるか、って怒鳴りまくったんです」とトクちゃんは言った。
守屋忠臣はそんな人間ではない、螺鈿細工の世界では、その名を知らぬ人はいないという名人だ。そこまで一芸に秀でる人間は、他のどんな分野に関してもその「肝」というものが見えている。しかも彼は、水沼徳が送る三千円を親がどれほどあてにしているかを充分に知っているのだ。熊吾は、そう思ったが黙っていた。

なんつうか、私のような薄っぺらな者が言うのもなんなのだけれど、宮本輝は、ある程度の歳がいかないと楽しめない古典落語のようなものではないかとちと思いつつ、以下のような言葉を作ってみた。

12歳にはシャーロックホームズが効く。16歳にはフレデリック・フォーサイスが効く。20歳には松本清張が効く。28歳には宮部みゆきが効く。33歳にはドストエフスキーが効く。38歳には司馬遼太郎が効く。43歳には宮本輝が効く。

満月の道: 流転の海 第七部

今日の一曲

満月。エレファント・カシマシで「今宵の月のように」



では、また。
コメント

『世界史劇場 イスラーム世界の起源』神野正史

2014-05-19 | books
世界史のはじっこを齧ると、とても分かりにくい、とても覚えにくい、とても体感しにくい部分がある。それはイスラーム関係。宗教としてじゃなくて、現れては消える王朝たち。やれアッバース朝だ、やれファーティマ朝だ、ブワイフ朝だセルジューク朝だとわけワカラン。ヨーロッパや中国の歴史は比較的頭に入りやすいのに…

などと思っていた。中国やヨーロッパは物語性があるというか、ヒーローや発生する反乱など、こういう奴がこういうことをやったということが分かりやすかった。イスラームの王朝はどれも同じというか、物語性がないというか。

と思っていたところへ読んだこの本。お?かゆいところに手が届いてるぞ…

予備校のセンセイが書いているわりに「ここは試験に出る」という言い方がなく、イラスト多数、物語を含ませて、入れ替わり立ち代わりのイスラーム世界を優しく教えてくれる。

ムハンマドの後継者と言えばカリフ。第四代正統カリフのアリーが死んだ後、ウマイヤ朝の初代ムアーウィアがカリフを世襲制に変えようとした。息子のヤズィードを後継者にしようとしていたが、世間が認めてくれるかは怪しい。ムアーウィアが死んだ後、ムアーウィア派とアリー派がもめる。アリーの長男ハサンは腰抜けなので問題外だけれど、ムアーウィア派にとっての問題は次男のフサイン。なので、ヤズィードはフサインと殺してしまった。(カルバラーの惨劇) この惨劇の日に、彼の死を悼む殉教追悼祭を行う。という話の後に、

アラビア語で「タァズィーヤ」または、月の名から「ムハッラム」と言います。
フサインが惨殺されたときの苦しみ、無念さを分かち合うため、喪服を着、泣き叫びながら、先にナイフが付いたチェーンなどを自分の体(おもに背中)に叩きつけ、血だらけになりながら街をねり歩く行事。
理由を知らない人が見ると、ブキミな行事ですが、じつは、その恨みを忘れないようにするための重要な宗教儀式。
1300年を超えてもなお、恨みを忘れまいとする執念深さには、正直、驚かされますが、その何千倍、何万倍もの惨劇である原爆を2つも落とされながら、アッという間にその恨みを忘れ去る日本人にも問題あり、と筆者は思います。

ヨーロッパでは、中世の「封建制時代」のあとに近世の「絶対主義時代」がやってきたのはご存じかと思いますが、これまで見てまいりましたように、イスラーム世界では、まずアッバース朝下において「絶対主義」さながらの「常備軍と官僚制の二本柱」に立脚した中央集権的システムが確立し、そのあとで「封建制」さながらのイクター制になっていくという、ヨーロッパとは逆行するような、まったく異なる歴史をたどることになったのです。
これひとつとっても、マルクス主義というのがいかにナンセンスであるかわかります。(マルクスは「すべての国がイギリス型歴史体系とおなじ歴史をたどる」と主張していました)

というようなちょっとドキッとするような表現もあったりして。

勉強とは、学生の時分やっているときには、ただ点数を上げるためのものでしかなかったのに、大人になってから再勉強してみると「分かる」という別の目的を持つことで、全然違うものに見えてくる。

なんてな。

世界史劇場 イスラーム世界の起源

今日の一曲

イスラーム、イスラー、スラー、スラー、スイースイースイー ということで、植木等「スーダラ節」



では、また。
コメント

抜けたもの

2014-05-16 | days
京都御苑で見かけた看板。







抜けた毛を持ち帰らねばならぬとは。

抜けた髪も拾い集め持ち帰らねばならぬか。
コメント (2)

『鬼麿斬人剣』隆慶一郎

2014-05-14 | books
時代小説なんて全く読んだことがなかった。忠臣蔵も水戸黄門も大岡越前も、みな予定調和のワン・パターンだろ、としか思ってなかった。だから時代小説も同じようなものだろうと思っていた昔。

真田太平記(一)天魔の夏 (新潮文庫)影武者徳川家康〈上〉 (新潮文庫)冒険小説好きで、小説全般に詳しい全盲の友人が、時代小説も面白いのと言うので、何かオススメはあるかと訊いたら、「真田太平記」と「影武者徳川家康」を薦められた。読んでみたら、「真田太平記」には寝食を忘れてしまうほどだったが、「影武者徳川家康」には度肝を抜かれた。家康は関ヶ原の戦いで死んでいた。彼の影武者がその後を代わりに生きたというスゴイ設定。超絶オススメ。

その影武者の作者、隆慶一郎は大学でフランス語を教え、脚本家として活躍していた。小説家としてのデビューは1984年。61歳のとき。1989年に亡くなってしまうから、5年だけの小説家人生の中でキラ星のごとく輝く作品群を生みだした。

現実に存在した、清麿という刀工のエピソードを土台にして、彼の弟子である架空のキャラクター、鬼麿を主人公にした連作短編集が本作。

師匠は自死した。自分が金のないときにあちこちで作った雑な作りの刀を探して折ってくれと言い残して。巨体に長い刀を下げて、鬼麿は旅をする。清麿は中山道、野麦峠、丹波路、山陰道で刀を作ったことしか言わなかったので、鬼麿がどこに刀があるか推理していくミステリーでもあり、敵を倒していく冒険小説でもある。鬼麿のヒーロー像と痛快なストーリー、歴史的事実の織り込み方、気の利いた台詞。小説とはこうあるべきじゃないかと思うほどの完成度。作者が亡くなってしまったのが惜しまれる。

「影武者徳川家康」と本作以外には「吉原御免状」しか読んでないので、まだ残りを堪能できると思えば楽しみあり。

鬼麿斬人剣 (新潮文庫)

今日の一曲

剣と言えば、横山剣。ap bank fesより、「タイガー&ドラゴン」と「昼顔」



では、また。
コメント

店名にツッコんでください84

2014-05-12 | laugh or let me die
コメント (4)

『極夜』ジェイムズ・トンプソン

2014-05-10 | books
最近、ミステリー好きの間では話題に登らないことがないくらいホットなのは、北欧ミステリー(大げさ) 「ミレニアム」三部作、「三秒間の死角」、ヘニング・マンケルとか、「特捜部Q」「湿地」など評価の高い作品が多い。(どういうわけか翻訳ミステリー好きの知り合いのほぼ全員が「特捜部Q」を読んでいて、しかもみなの評価が高い)

本作は、フィンランド。今後行くことはあまりなさそうな国。だからこそせめて活字では読んでおきたい。

郊外の町、キッティラの警察署長はカリ・ヴァーラ。過去に容疑者を射殺した経緯で昇進したものの、撃たれた後遺症で足を引きずっている。妻はアメリカ人、ケイト。複合レジャー施設の支配人をしている。そして妊娠中、そしてフィンランド生活に慣れない。ソマリアからの移民で女優が殺害された。「黒い売女」と腹部に刻まれ、目玉はえぐり出され、膣にはビール瓶が挿入されている。被害者の交際関係から容疑者は、カリの前妻と暮らしている富豪セッポだとして、逮捕した。しかし、事件の奥は深い。カリのプライベートと事件の関わり。そして第二、第三の事件が…

真相が分かっていく過程を楽しむミステリーらしい、実にミステリーらしい作品であるのに加えて、カリの苦悩、フィンランドという「暮らしやすい」国であり、「人口一人当たりの殺人事件はアメリカの大都市とほぼ同じ」国の描写もまた読みどころだ。

シリーズ第二作の「凍氷」の評価高いので、そっちを読む前にまず第一作から読んだのだけれど、やっぱり北欧ミステリーはいい。特にフィンランドの閉鎖的な感じは日本人に共感できる部分が多いように思う。

極夜 カーモス (集英社文庫)

今日の一曲

主人公は、カリ。カイリー・ミノーグで「スピニング・アラウンド」



では、また。
コメント

『キヨミズ准教授の法学入門』木村草太

2014-05-08 | books
ラジオ「荻上チキのsession-22」によくゲスト出演して、憲法について、鋭く分かりやすい話をしてくれる首都大学東京(この名称いがなものか)の准教授、木村草太。将棋についても造詣が深い人。

港南大学という架空の大学のキヨミズ准教授は法哲学が専門。ワタベ准教授は知的財産法が専門。喫茶店で偶然会ったときから話がはずみ、動物園で、高校の出張授業、高校の文化祭と場所を変えて、法律とは何かを教えてくれる。非常に敷居の低い法学入門。山の上高校という架空の高校はたぶん神奈川県立横浜緑ヶ丘高校をモチーフにしているよう。

法律とは何かとか、法学部に進むとどういう勉強をするのかなど高校生向けに語られているので読みやすいけれど、中身が詰まっている。

「近代以前は、世界を意味づける視点が社会に複数あって良い、とされていました。貴族には貴族の世界、承認には商人の世界、奴隷には奴隷の世界があったんですね。属する身分によって世界観そのものが違いましたし、使う言語も違ったりしたわけですね。例えば、中世の日本では、公家と武家では全然世界の見方が違っていて、そのことを示すこんな記録が残っているそうです。ある公家が通りすがりの武士にに『院が通るから注意しろ』と言ったらしいんですね。『院』というのは、引退した天皇のことで、お公家さんにとってはとても偉い方です。ところが、その武士の方は、院のことなんて全然知らなくて、『犬?犬なら俺が射殺してやる』と言った、と。これは、べつに、武士の権力が公家をはるかに上回っていたということではなく、武士と公家が相互理解を欠いていたことを示すエピソードだと言われています。こんな風に、中世というのは、身分が異なると、お互いがお互いのことをよく分からない、という世界だったようですね。近代は、そのような身分制と呼ばれる社会秩序を解体して、全員が同じ身分に立ち、同じ視点で世界を認識する時代なんですね」

近代=世界の意味づけについての単一の見方が前提となるわけか。なるほど。
キヨミズ准教授の法学入門 (星海社新書)

今日の一曲

法律とはなんだろう。普通の毎日の中で、降りしきる雨のようなもの。小泉今日子の「優しい雨」を河口恭吾がカバーしたもの。関西地区で放送された番組「共鳴野郎」より。



では、また。
コメント

『ケモノの城』誉田哲也

2014-05-06 | books
17歳の女性が通報してきた。「助けて」と。薄汚れたTシャツ、虐待の痕。香田麻耶はヨシオというおじさんとアツコさんという女性が自分に暴行したと語る。マンションは香田靖之の名義で借りられており、これが麻耶の父親だと推察できる。彼女の住む町田のマンションに警察が向かうと、暴行を受けたらしい別の女性がいた。生ゴミの腐ったような臭い。自分が「アツコ」だと認めた… 自動車修理工の辰吾は聖子と暮らす。幸福な日々にやって来たのは、聖子の実の父親。熊のような外見、無口。自分たちのアパートに居候することになった。仕事はしていないらしい。昼間はいったい何をしているのだろうか。この二つのエピソードが絡み合う時、惨劇が始まる…

うーむ。北九州連続監禁殺人事件と新潟少女監禁事件をもとに小説化したもの(のようだ。)事件について少し調べてみると、小説とは、根幹は似てる部分もあるけれど、ディテールは全然違う。しかし、おぞましい。おぞましい。おぞましい、のについ読んでしまう。気づけば一気に読んでしまった。

登場人物は自分を偽っており、本当のことを話そうとしない。何が真実なのかを知るミステリーだと思いながら読んでいた。ホラーっぽいところはあるけれど、そしてホラーとして読めなくもないけれど、まあそれはそれで。虐待や暴行シーンをよだれを垂らしながら読む読者ならばごちそうになるけれど、それ以外のノーマルな読者は、目を背けて読み疲れるか、もしくは、「この先どうなるのだろう」と脇汗をじとじとさせながら読む。

強烈な描写が多く、万人には薦められないけれど、ややこしい謎を解く物語が好きな人には強く薦めたい。期待していたよりもずっと面白い、意外な「当たり」だった。

ケモノの城

今日の一曲

テーマは、最後まで何が起こるか分からない。判断を急いではいけない。と言えば、「晴天を褒めるなら夕暮れを待て」CHAGE and ASKA



サビよりも、歌い始めのダイアモンド、星の部分がすごく好きだ。

では、また。
コメント

『科学的とはどういう意味か』森博嗣

2014-05-02 | books
「相田家のグッドバイ」「喜嶋先生の静かな世界」のような小説や「常識にとらわれない100の講義」とか「思考を育てる100の講義」の著者。ミステリー作家でもあり、かつては大学工学部の助教授であった著者によるエッセイ。

と言っても具体的な科学の知識が披露されるのではなく、科学的に考えることについて書かれている。

世の中には感想ばかりが溢れているとして、

人の「意見」ではなく「感想」を聞きたがる傾向は、やはり文系の特徴かもしれない。意見は客観的なのであるが、感想は主観的だ。つまり、客観的なものではなく主観的なものを欲しがる。

言葉の信仰が世の中を支配してしまっているとして

人間は単純化を無意識に好むものであり、概念に名前をつけ、言葉によって理解したつもりになる。そういう傾向を持っているのである。つるかめ算という名前を知っていることで、オームの法則という名前を覚えたことで、それが理解できたと思い込んでしまえる。つまり、「神」という言葉を信じれば、人間のこと、社会のこと、自然のことを理解したつもりになれる。不思議なことは神の御業と考えることで、「楽」になれたのだ。

科学的に考えない場合の危険性について示唆すること多し。

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

今日の一曲

科学と言えば、サイエンス。サイエンスと言えば、山口百恵で「美・サイレント」



では、また。
コメント