作家、横尾成吾、50歳。就職して2年で辞め、長い投稿時代。デビューしても一作だけ売れただけ。1個29円の豆腐を食う。編集者井草菜種、親が医者だから医学部受験するが全敗。文学部を経て大手出版社の編集。前の担当から横尾を引き継ぐ。横尾と井草の章で交互に描く、作家と編集者の話。
「ひと」「ライフ」「縁」「まち」で感じた「とてつもなくええ人」の話とは若干違うので以前に読んだ小野寺作品のほんわかする感じはやや薄い。しかし、そういう期待を無視して、リアル(売れない)作家の生活を赤裸々に描写した小説だと思って読めば急に面白くなる。
横尾は毎朝目覚めると、言う。
「無駄に想像しない、無駄に休まない、無駄に求めない」
むむむ。なんか深いぞ。つい明日とか来週とか来年とか先の事を想像しイライラするけれど、それは無駄な事なのだ。
横尾には学生時代からずっと付き合いのある友達が一人だけいる。溝口弓子。
「弓子も同じ文学部だから、ではないと思う。できるのは、弓子が弓子だから。あれ好きこれ嫌い、ではなく、自身の好みとは別にきちんとものごとの価値を見極められる人だからだ。」
こんな話を読むとNの事を思い出す。東京都某区内の小学校から各二名ずつ派遣して理科の研究をさせるだかのプロジェクトメンバーに選ばれた。というより担任から強制させられた。で、毎週土曜日午後、とある小学校に集合させられることになったのだ。男子2名、女子2名でとっても仲良くなった。仲良くなりすぎて研究はあまり進まなかった。その同じ研究グループにいたのがNだった。別の小学校に通っていたけれど、 後に同じ中学に通うことになった。自分は同じクラスの子を好きになったり、その子が自分の事を好きだったりして春を謳歌したり、またふられたりしてた。そして同じ塾に通っていたNに告白したり(自分で言う度胸がなかったので、友だちに言ってもらった。恥ずかしい)そしてふられた。中2ではまた別の子を好きになったり、別の子に告白されたり。こう書くといかにももてていたかのようだが、実際もてていたのだよ、えっへん。(しかし後の人生ではそれほどもてなかった)そして時がたち、中3の時Nに告白された。しかし、断る。(この辺の経緯は面倒なので割愛)高校は別の所に行った。大学も別。彼女の事など忘れていたのに、大学で関東のサークルの集まりに行くと、いた、Nが!どういうわけか、それから彼女と急速に仲良くなった。お互いに彼氏彼女がいたのも良かったのだと思う。大学一年からずっと、怪しい関係に一切ならないのに、毎晩電話するような大親友になれた。親にも弟にも友達にも言えない、彼女にも言えない事をNには言えた。たぶん彼女も彼氏には言えない事を俺には言えたのだろう。
でも、今はもう言えない。彼女は死んでしまったからだ。そういう意味では主人公横尾の方が、なんというか、マシだとも言えるかも知れない。
冗長な文章で失礼。(この話って以前にしたっけか?)
今日の一曲
浜田省吾で、"J.Boy"
では、また。