相模国大山寺石尊宮朝宮図
歌川国芳画 安政元年(1854)
私が最も惹かれた1枚。
(略)~両国橋東河岸で水垢離(みずごり)をとってから、木太刀(こだち)をかついで行き、山頂ですでに奉納されている別の木太刀と交換して帰ってくるという独特の参拝方法がありました。(略)"[展示説明より]
本展示期間限定で写真撮影が解禁されていて、瓦版売り=広報担当として、SNSに#図上旅行をつけて投稿してくださいとのことでした。
もう本日最終日なのですが、未来の神奈川県立金沢文庫の展示につながってくれれば
* "斜体文字"は、展示説明等からの引用です。
日本図屏風 明治時代
”世界図とあわせて六曲一双の屏風です。
(略)~徳川家光愛用の枕屏風を、高知出身の政治家・佐佐木高行(1830~1910)が模写させたものといいます。
その後、家光の枕屏風は1923年に発生した関東大震災で焼失しました。”[展示説明より]
”江戸を起点とする複雑な道路網や海道が朱線で示されており、将軍が国土をどう認識していたかをうかがうことができます。”
東海道名所画帖
歌川広重画 双雀庵氷壷編 嘉永4年(1851)
"東海道沿いの名所を歌川広重の絵と、双雀庵氷壷編集の誹諧でめぐる句集です。
日本橋から東海道を歩き、保土ヶ谷宿で寄り道して金沢八景、鎌倉、江の島をめぐり、藤沢宿てまた本道にもどる道中と、小田原宿から箱根を巡り、富士山を眺望して伊豆、富士川へ進む行程を記しています。"[展示説明より]
画の左手前が、金沢八景のひとつ「称名晩鐘」。この神奈川県立金沢文庫がある称名寺も八景のひとつに数えられています。
諸国道中獨歩行(しょこくどうちゅうひとりあるき)
盛文堂編 文政10年(1827)
”東海道を経た大坂までの道中や木曾路、大山、秋葉山、身延山、伊勢、高野山、金毘羅などの参詣路の駄賃や各宿場間の道しるべとなるものを列記した案内書です。
挿図はなく、一人歩きの実用書に特化した道中記といえます。(略)”[展示説明より]
江戸のガイドブックですね。一人歩きを楽しむ人がその頃からいたというのが現代と同じで親近感が湧きます。
相州江之島弁財天開帳参詣群集之図
歌川広重画 嘉永4年(1851)
”芸能の神様として信仰を集めた弁財天は、江戸時代に講を組んで参詣することが流行しました。
大判3枚に描かれた、江ノ島に向かって先頭を歩く女性たちの桃色の傘には、江戸長唄・三味線の杵屋を表す三本の杵の模様が入っています。
それに続く「菱に三つ柏」の模様の茶色い傘をさした女性たちは清元節、後続の角木瓜の模様の赤い傘を差した女性たちは常磐津節、彼女たちを待って向かって右に控えている桜草の傘をさした女性たちは富本節の講中です。”[展示説明より]
鎌倉星月夜
歌川虎芳画 江戸時代後期
”大判3枚続にある本図の解説には、梶原景時の讒言により源頼朝に疑いをかけられた源範頼が、潔白を証明するため、当摩三郎に頼朝の寝所に忍び込ませたところ、三浦平六兵衛に取り押さえられ、範頼は九州に流罪になったという『鎌倉見聞志』にある話を元に描いたとあります。
ただし、範頼流罪のきっかけは景時の讒言ではなく、流罪も九州ではなく伊豆でした。”
鎌倉江ノ嶋大山新板往来双六(上)
葛飾北斎画 柳亭種彦撰 天保2年(1831)初版
同(下)
”柳亭種彦の詞書と葛飾北斎の絵で、鎌倉・江の島・大山を巡る旅路を双六にしています。
「このすごろくは常のごとくあがりといふことなし。日本橋より品川、大森とだんだんくるりとまわり、渋谷よりはやく日本橋へかへりたるをかち(勝ち)とす。
一ツあまれば渋谷へかへり、二ツ二(三)軒茶屋、三ツ二タ子、四ツみぞのくち、五ツあまれば長津田へかへるべし」という遊び方が書かれています。”
右下、「壹」日本橋から左へ、(下)から3段目右から2番目「十九」鶴ヶ岡、(上)から2番目左「三十八」大山。「二十三」深澤の大仏も目立っていますね。
この双六のプリントを1年前に訪れたときに買ったんですよね。今も続く地名が連なっているのはなかなか楽しいです。
7/22〜25は展示替えのため休館です。
〒236-0015
神奈川県横浜市金沢区金沢町142
電話:045-701-9069
開館時間:9:00-16:30
休館日:毎週月曜日、年末年始12/28-1/4
展示替え期間
観覧料金:成人:250円、20歳未満及び学生:150円、65歳以上及び高校生:100円
*企画展によって変わることがあります。
アクセス:京急線「金沢文庫駅」東口より徒歩約12分、シーサイドライン「海の公園南口駅」より徒歩約10分
*詳しくは公式ホームページ、神奈川県立金沢文庫 利用案内参照。
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