ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

なんとか3合目。

2012-02-29 12:04:49 | 日記

6年所属していた、合唱団が解散した。

色々な声が聞こえてくるが、復活は、たぶんない。

10年にわたり、「晩祷」という大曲にひたすら情熱を傾けた、指導者とレールに乗せられて、

よちよち歩きをしてきた団員。

10年の間に7回ほどの、ジョイントコンサートなどを行い。

終わりの三年間は、全曲演奏会を行なった。

登山でいえば、「やっと裾野にいる」と、言われた、第一回全曲演奏会。

2回目の演奏は、人数が減って、残った団員は相当苦労したようだ。

指導者もその頃から、終止符を考え初めていたようだ。

第三回の全曲演奏会に臨むにあたり、「解散」を宣言された。

団が立ち上がった時には、指導者主導で、すべて動いていた。

轢かれたレールに、「合唱初めて」「キリル文字って?」という団員が

ほとんどの中で、辛抱強い指導で毎週の練習を淡々とこなしていった。

プロの合唱団の演奏会に、自分たちも全曲演奏がしたいという、熱意のある人たちが

その後も団を支えてきたと思う。

全曲を終えた時に、指導者の指導方針が一変。

指導者主導が、団員の自主運営に。

休団者、退団者がその後も増え、第三回の演奏も、熱意だけは、という状態に、

「音楽的な演奏ができない」とのマエストロからの駄目押し。

次の演奏会で団の解散をということが決定的に。

休団者、退団者への声かけ、熱いメッセージの攻勢。

とにかく、40名以上の団員にしようとの、意気込みで、それぞれが動いた。

強化練習やヴォイストレーニングも取り入れ、最後の追い込みは、最後の演奏に、にじみ出た。

「晩祷」をよく知る人からは、「これがファイナル?」との辛い評価をいただいた。

とにかく、「責任は果たした」

愛しい、愛しい、団とも、これでお別れ、反面では、ほっとしている。

先日、団の仲間から久しぶりに電話をもらった。

「さみしいけど家族は喜んでいるし、自分もちょっと、気が晴れている」と。

 

「到達したかと思うと、離れて行く。」

指揮者のブログにあった。バッハと同じで、そういう奥の深い曲なんだそうな。

「晩祷」という手ごわい曲に、出会えたことは、一つの財産。

合唱をしてきた、ことの、宝だと思う。

「楽譜をお棺に入れてもらう」との団員もいた。

「晩祷」と「マタイ受難曲」の楽譜と合唱のステージ衣装を入れてもらおう。