ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

イエス・キリストの顔

2010-08-13 12:31:11 | 日記
「イエス・キリストは、どのような顔をしていたのか」
「ありそうで、じつはない決定版」

イエス・キリストの描かれた絵画は、たくさんあるが決定版というものはないという。
大半の作品に描かれたイエス・キリストは一目でわかるのに、よくよく見ると、イメージが
異なるのだと。

イメージを皆持っていて、違和感を覚えるだそうな。

イメージを最初に植えつけられたものを基準にするというのは、他にも色々な例がある。

画期的だと思ったものに、魚の絵がある。

年齢、性別を問わず、魚を描いてもらうとほとんどの人は頭を左に描くとか。

これは、魚図鑑が頭を左に描いていることから来るのだそうな。

一種の刷り込みと言えるのではないかと思う。
固定観念や偏見への第一歩。
なので、結構重大なことだと、思う。

名画でみる聖書の世界<新約編>
西岡文彦
講談社

熱い夏

2010-08-12 14:11:38 | 日記
繊維工場で、7月末山形県鶴岡市内の2工場を操業停止、240人の従業員全員を解雇
していたことが11日にわかったとか。

従業員が解雇予告されたのは7月30日。同31日付で解雇。
労働基準法では、解雇予告から実際の解雇までの期間が30日未満の場合、解雇予告手当の支払いが必要。
今回は平均賃金のほぼ1か月分に相当するが、10日現在、すべて未払いらしい。

労働基準監督署は、現状が改善されない場合、労働基準法違反(解雇予告手当の不払い)の
疑いで行政指導する方針とのニュースがあった。

熱い熱い夏。
熱い話題が目白押しで、寒い話題も盛りだくさん。

もうすぐ、終戦記念日。
終戦になって、もう65年になるそうな。

日韓の問題も大きな隔たりがあると、悩まさられているらしい。
返還を要求された品が日本では1,500とかくらいと試算したのに対し、4,000ほどとか。

事件や事故で、海外でも、行方不明やら、怪我人やら、自然の脅威による、哀しい出来事も
webニュースによると、それぞれ、本当に様々なニュースが飛び交っている。

熱い夏のお寒い現実。



漢字

2010-08-11 20:08:10 | 日記
「漢字のはじまり」というタイトルに惹かれて、台東区にある「書道博物館」に行った。

毎日お目にかかり、毎日利用する漢字。
漢字検定なんていうのもあるくらい、関心は高い。

見学者もちらほらだった。

書の展覧会をみたり、一筆書きとかの楽しみ方もあるのは知っていたものの、
掛け軸などの書が、ただ文字を書き連ねていたわけではないことを知った。

書も美の対象になることをあらためて思った。

漢字ばかりでなく、文字のつながりは、絵にも良く取り入れられている。
どの国の文字も美しさがある。

「漢字のはじまり」を見に行って文字の美しさに気付いた。


仏像

2010-08-10 09:44:40 | 日記
大阪に居住したいたころよく奈良のお寺をめぐった。

地図を広げて、今日はここ。と一つお目当てのお寺を決めるのも楽しみだった。

集印帖などを持参し、目の前で書いていただいた。
さらさらと文字を書いて、最後に朱印を「ぺたっ」と押して終わりの手順を見ているのも
嬉しい時間だった。

仏像は、どちらかといえば鎌倉時代のが好みだった。

修学旅行で見た弥勒菩薩半跏思惟像に、心ひかれ、乏しい小遣いから、手のひらに乗るくらいの
小さな像を思い出にと買い求めた。
この像は何度となく引っ越しをしたが、いつもお付き合いいただた。

以前、所属していた合唱団の仲間に仏像を彫る人がいて、展示会に招かれて、足を運んだり
善光寺さんへ、グループで出向いた時には、お寺のお参りの仕方を教わったりした。

しばらく仏像に対面する機会がなかった。

時折、美術館に無性に行きたくなることがある。
先日、「奈良の古寺と仏像展」という予告ポスターを目にして、仏像を見たくなった。



仏像は語る 何のために作られたのか
宮元健次
光文社新書

足の指

2010-08-09 08:06:35 | 日記
足の指が中の3本が固まっているのに気付いた。

以前は、ばらばらに開くことができたのに、中の3本がくっついてしまったかのよう。
広げるのと曲げるのをやってみた。
広がらない。
曲げるのは少し痛みがある。

毎日、少し、動かしてみた。

広がるようになった。
曲げるのも以前のように、楽に動くようになった。

下駄生活から靴の生活になり、日本人の足が変わったと聞いたことがある。
足の指が開かない人が増えていると聞いたことがある。

動くのが当たり前に思っていて、なんの注意もしてこなかったが、足の指が
固まっているかのようになっているのに気付いて、何故だか考えた。

合唱を始めた頃、本番が終えると、足先が痛くて、困ったことがあった。
3年目あたりから足先が痛くなることはなくなった。

最近は、所属合唱団が増え、練習日も3倍以上になった。

合唱は口を動かすだけではない。

身体全体を使う。
身体をリラックスさせながら、神経を使う。緊張感が途切れると、歌にも、緊張感が
なくなり、へろへろ状態になる。

合唱を始めたころは、むやみに力をいれていたから、本番1回で痛くなっていたのだろう。

最近は、力を入れる回数が増えたし、回復力も減ってきていたためかと思う。

合唱も身体が基本。
最近は喉周辺ばかりに気をつけていたことを反省。



キャプテン

2010-08-07 11:39:32 | 日記
夏の甲子園が始まった。

甲子園大会を見ていると、ちばあきおのマンガ「キャプテン」が読みたくなり、
「キャプテン」を読むと「プレイボーイ」が読みたくなったものだ。

野球についての色々な知識をこの漫画で得た。
「都市対抗野球」も熱い7月下旬にあったので、まず都市対抗で大人の野球を楽しみ
高校球児のひたむきさを楽しんだ。

そして、野球の面白さをちばあきおの「キャプテン」を読んで知った。

マンガのヒットで、そのスポーツが、人気となりプレイヤー人口が増えるのは今でも
通じる現象なので、野球人気は、今奮わないらしい。

かつての、「巨人の星」「サムライジャイアンツ」とか「キャプテン」のようなヒットマンガがでれば、
野球人口も増えるのだろうに。




隣近所

2010-08-05 16:11:53 | 日記
不明の高齢者が50人を数えようとしている。

天涯孤独ではなく、肉親や、家族が健在しているのに、である。

孤独死というのがニュースになったことがあった。

誰にも知られずにアパートの一室でひっそりと、亡くなっていたというもので、
1か月も放置されていたということから、一声運動とかいうのが言われた。

今回の不明事件について、20年も見てないとか、30年前からあっていないとか
の証言があることに驚かされる。

そういえば、家出人は有名人とか子ども以外は警察に届けがなされても、何も手を打ってくれない
と聞いたことがある。

町内の防災放送や、市役所へのメール登録で、不審人物が現れたとか、年寄りがいなくなったとかで、
知らせがくる。
これは最近のサービスだし、メールは、自分で登録しなければお知らせは来ない。

近所の人も、「一度も見たことがない」とかということもあり、隣近所の付き合いの希薄さが、
蔓延しているということかもしれない。

昔は、引っ越すときには、隣近所へ挨拶し、来た時も「タオル」とかを持参して近所周りをが一般的だった。

最近では、アパートや、借家の場合、一時的な居住とかの場合は挨拶さえない。

「向こう三軒両隣」はすでに死語かも。



環八雲

2010-08-04 13:43:18 | 日記
「カンパチ雲(環八雲)」がちょっと感動の画像で記事になっている。

東京都都道311号環状八号線の上空に発生する雲のことである。

何かのクイズ番組で「魚の名前のついた雲」との問題に出たとき初めて知った。


電車通勤になり環八上空にぽかり、ぽかりと浮いているのを何度か目撃した。

今回は一本につながって帯になっている環八雲である。
画像の投稿者は「感動して撮影した」とか。


画像で見ても感動もの。

確かに夕立後の虹みたいに、シャッターを押してみたくなる光景だ。

「Wikipedia」によると

相模湾東京湾からそれぞれ吹き込む海風が、環八通り付近で上昇気流ができることによって生じるとされる積雲列」だそうだ。
1969年に、アマチュア気象学者によって発見。とあるので、もう40年以上になるらしい。

クイズの時は、交通渋滞によるとかなんとかだったような。

これからは、もっと頻繁にみられるかもしれない。

長寿

2010-08-03 17:35:05 | 日記
100歳以上のいる家庭が今、ざわついている。

最高齢とされた人が、実は、30年も前になくなっていたという、報道があった。

その後、113歳の人が行方不明との報道があった。


以前、埋葬するお金がないとかで、遺体を放置していた事件があった。

生き死ににまつわる事件がここであいついだ。


皆がうらやむ長寿の、話が、混沌とした話題になった。

長生きを喜ぶ人、長生きを望む人。

様々の人間模様がある。


しかし、他人の長生きを利用する人もいるのは、わかるが悪用する人もいるとは。

社会の歪みなのか。


望まれない生と死がここにある。

育児放棄

2010-08-02 12:29:31 | 日記
大阪で悲惨な事件があった。
二人の幼い命が、消えた。

父親は離婚により別居。
まだ幼い母親は、離婚直後頃は、一生懸命育児に仕事に頑張っていたらしい。

育児に疲れた母親は、ついに育児を放棄。二人の子は餓死した。

水道のメーターが、4月15日から6月15日までの2カ月の使用量は、「0」と記載されていたという。

単身過程で「10位」とか、4月からの2カ月に誰も住んでいないと同じ状況だったことになる。

子どもの泣き声に気づいた近所の人から、虐待としての通報があり、職員が出向いたらしいが、保護されなかった。

「育児放棄」と聞くと、「母性」をすぐ言われるが、「親の保護を受けないで育った子は、自分の子どもを
保護しないことが多い」とか。

動物園で生まれ育った動物も、飼育員が、子育ての援助などをしないと育児に関心を持たないこともあるとか。

動物園なら飼育の人が変わって育ててくれるが、人間社会の家庭は閉鎖的だし、行政が立ち入ることへのハードルは多い。

しかし何か、一つでも手を差し伸べてくれる環境があれば、この悲劇は防げたろう。
それが悔やまれる。