「自己決定」ということについて。
ここでは米国のIEPのことなんかも出てくるのですが、IEPは契約社会の契約文書的性格が強いという印象があります。
直接、それが日本の「個別の指導計画」と同等のものかといえば、ちょっとあてはまりにくい、やや性格が違うような気もします。
これは社会のあり方の違い、文化的背景みたいなところも含めてね。
が、それに至る経過の中で関係者会議みたいなのがあって、そこでしっかり議論がされるというようなことが書いてあって、これはなかなかいいかなと思いました。
で、重度の障害のある子の自己決定ですが、まあ、なかなかその表現の幅が狭かったり、あるいは、こちらがきちんとそれをくみ取れなかったりすることは、ままあるかと思います。
それで大事にする視点は何かというと、本の中には具体的な記述がいろいろあるのだけれど、つまりのところ、子どもたちの幅広い意味での「わかる」力を広げる、伸ばすこと、それが基礎になると思われます。
かつて、もう15年以上前だと思うけど、重度の子どもたちの教育課程、指導のねらいを考える上で、やはり、この子らなりに「わかる」ということが大事だろうということで、その内容を論議したことがありました。
それは今でも大事な視点だと思います。これを、個々の具体的な「○○できる」ということのおおもとには「わかる」力というのがあるんだということで、「わかるベース論」(「わかる」ということが基礎にあるという意味)と呼んでました。
その議論の内容は今でも有効なのではないかと思っています。