旧:鳳凰堂のランダムウォーカー <伏見の光>

2019.4.22以降、新規の主要な記事は新サイト「fusiminohikaru.net」
で書いています。 

天空の城へ 竹田城跡

2012-05-20 20:50:30 | インターネット・パソコン・デジカメ
天空の城へ 竹田城跡 

 昨日は兵庫県の竹田城跡へ行きました。

 定期的に歴史探訪をしている、以前の職場の同僚の方が連絡をしてくれます。

 可能な時は一緒に参加をさせてもらっています。これまで、関が原古戦場や伊賀上野などに行かせてもらいました。

 今回は、兵庫県朝来市和田山町にある竹田城。実際の建物としての城郭はなくて、石垣が残る城跡です。


 こちらのサイトも簡潔でわかりやすいです。


 ルートはJRで、新快速で姫路まで行って、そこから播但線を北上。あとから見たら、京都からだと、山陰線で和田山からという方が時間的にうまく接続などがあれば早かったのかもしれません。
関西1Dayという切符を利用しました。

 播但線がまたしぶいローカル線でして、最初は4両、途中からは1両の気動車に乗り換え。
 料金表と料金箱があって、なんかバスみたい。


 播但線はかつてSLの三十連で有名でした。


 運転レバーの中心部の光っているところだけを強調したかったのですが。後処理とかでうまくできるようになりたいですなぁ。


 これは後ろ側。単線をコトコトという感じです。


 線路の下をくぐって、さて、ここから山城へ。


 もう緑がかなり濃いです。


 山道を上へ。だいたい、元々体力がない上に、このところ体がなまっているので、みんなゆっくり歩いているのに
それにもついていけません・・・。まあ、予想はしており、かつ、最近はやたらと発汗量が多いため、着替えのシャツ
も複数持参していました。


 40分ぐらいかな、登ると、頂上付近に。


 見下ろす風景がきれい。


 ここで昼食。駅前のお店で弁当を買って持参。弁当の中味は山道で片寄ってしまいましたが、食べるのには大丈夫。


 なんかこの雰囲気は・・・。


 マチュピチュを連想させますね。建物があればそうは感じないのでしょうが、石垣だけしっかり残っているので。
 

 山城でこの石垣群というのはかなりすごい感じ。山の尾根の自然地形を生かしたらしいです。


 見下ろす。




 上でかなりゆっくりしてから降りました。駅から。山頂あたりに少しだけ石垣が見えます。


 秋口に霧が谷間に沈み込むと、こんな景色も。これは、確かに天空の城っぽいです。
 全体の雰囲気はちょっと津和野城跡に似ているかなとも思いました。


 いやー、名前だけは聞いたことがありましたが、これはなかなかよかった。
 駅から歩きましたが、山頂の下あたりまで車で来ることもできるようです。

日本のマチュピチュ?天空の城 竹田城跡


竹田城雲海 写真ライブラリー


竹田城跡パノラマ写真集



 歴史探訪は、次回もまたしぶいところを計画してくれるみたいです。

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特別支援教育 6 キャラを立てる 環境、教材・教具としての人 

2012-05-20 16:35:41 | 特別支援教育
 「キャラを立てる」というのは、キャラクターを設定する、はっきりさせるという意味です。

 これはどういうことかというと、特別支援教育、とりわけ重度の障害のある子どもたちにとっては、
関わる教職員というのは、極めて影響の大きな環境であり、同時に教材であり教具である側面が大きい
ので、そこには意識的にそのキャラクターを意図をもって明確にしておくことが求められるということ
です。

 重度の障害のある子どもたちは視覚障害や聴覚障害があることも多いです。
 そうした子どもたちに届く形で、わかりやすい形で「人」という環境、教材を示したいということです。

 人はそれぞれ個性があります。言葉づかい、声の高い低い、触れ方、抱きかかえ方、顔の表情、着ている
服、まあ、色々あります。

 そうした個性は、一々その内容を意識しなくても自然に子どもらに伝わっているところもあります。

 ですが、よりそうした個性を明確なものにして、子どもの前に示すということは意図的にされてよい。

 例えば、朝の子どもへの声のかけ方。原則として、いつも同じ場所で、同じ言葉を同じトーンで言うように
する。また、子どもの肩をトントンとたたきながら言うようにするとか。

 無理して、いつもと違う自分のスタイルをつくるのはなかなかしんどかったり、その人の性格によって難しか
ったりします。
だから、いつもの自然なやり取りの中で、自然とできることを意識的に強調するような形がやりやすいかなと
思います。

 設定されたクラスの授業の中ではこうしたことは意識されやすい。が、日常の様々な場面の中ではどれだけ
教員の側がこういうことを意識できているか。それは自問してみてもいいのではないかと思います。

 こういうことを繰り返していくと、重度の障害のある子どもらも「わかって」きます。なにが?。あ、いつもの
先生が来た、これから○○がはじまるな。今日もいつもと同じスタートだ、安心だな。言葉としてこう表現で
きなくても、感覚としてはこんな感じでわかってくる。

 例えば、去年の実例。

 おっさんの低い声がちょっと苦手な子どもさんに対して。

 私は朝、あるいはそれ以外の場面でも、この子には「どんどんどーんとやってきた~、おはようさ~ん。」と
いうのを(これは朝ですが)決め言葉にしていつも関わりをはじめるようにしていました。
 別に「どんどんどーん」の言葉そのものには必然性はない。だけど、その言葉を同じトーン、同じ言い方で、
同じ時に繰り返し使っていくということは意味がある。

 他の子に。
 「○○ちゃん たかたった ○○ちゃん おはようさ~ん。」
 この子は男の先生の関わりが好きな子ですぐ笑顔になっていました。

 以前のこと。
 朝、通学で自分のバギーに乗って教室まで来る間。
 「○○○ ○○○○(苗字と名前)でございま~す。」と言いながら、その子が挨拶をしている雰囲気でいろんな人
とすれ違いながら教室まで行って来ました。
 そうすると、軽く「おはよう」と応じてくれる先生もいれば、「しっとるわ~い!」とかつっこんでくれる先生が
いたりする。

 こういうことは、子どもにとっての安定的な日程の設定ということとも関わるのですが、人との関係ということで
は、それを強めることになると思います。

 なにが得意でどんな特徴があるのか、そして、それをどうそのままでなくて子どもに合う形で意図をもって示し
そのことを継続できているのか、それに対して子どもはどう反応しているのか、そういうことを自問しつつ、
教員としての「キャラを立てて」ほしいなと思います。

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