山城を歩く 2
神社から少し南へ歩きます。
これは綿ですね。
山はまだ少し紅葉の名残りがあります。少し晴れ間も。日がさすとコートがいらないくらい暖かいです。
椿井大塚山古墳。
古墳そのものは小高い丘みたいなもので、そんなに付近が整備されているわけでもありません。
が、この古墳は卑弥呼の鏡とも言われる三角縁神獣鏡が大量に出土しており、造営時期ともからんで、邪馬台国とのつながりも指摘されたりしているところ。
古墳としてはかなり早い時期のもので、自然の地形を利用するような形でつくられています。
石室も竪穴式。
JR奈良線の線路をくぐって古墳へ。
ちょうどこの線路が前方後円墳の後円部の端の方を縦断しています。
右側が後円部の端から前方部。左側が後円部の墳丘、マウンドになっているところになります。
墳丘の上へ向かう道。
墳丘頂上から木津川方向を見たところ。
周囲が一望できます。
今から1800年ぐらい前、確かにこの地域に大きな力を持った人、一族がいて、中国からもたらされた鏡が一緒に埋葬されていた、
そう考えると、なにか不思議な感じがします。
墳丘の上には大きな柿の木がありました。
電車が来ました。が、人がほとんど乗ってないよー。
京都から奈良へ行く人は快速に乗ります。これは鈍行なので、乗っている人が少ないということかな。
古墳の名前そのままのバス停。
近くの中学校に古墳石室のふたが展示?されてました。
町中には古いお家も残ってます。ここは400年の歴史があるとか。
江戸時代初期ですね。
土塀が残っていたりします。風雨にされされている感じです。
土蔵なんかも多いです。
ドラマチックトーンで撮ると、どうもおどろおどろしい雰囲気になりますが・・・。
こういう機会でもなければ、このあたりを歩くことは一生なかったと思います。
さて、次はこの近くの環濠集落へ向かいます。
つづくよ。
神社から少し南へ歩きます。
これは綿ですね。
山はまだ少し紅葉の名残りがあります。少し晴れ間も。日がさすとコートがいらないくらい暖かいです。
椿井大塚山古墳。
古墳そのものは小高い丘みたいなもので、そんなに付近が整備されているわけでもありません。
が、この古墳は卑弥呼の鏡とも言われる三角縁神獣鏡が大量に出土しており、造営時期ともからんで、邪馬台国とのつながりも指摘されたりしているところ。
古墳としてはかなり早い時期のもので、自然の地形を利用するような形でつくられています。
石室も竪穴式。
JR奈良線の線路をくぐって古墳へ。
ちょうどこの線路が前方後円墳の後円部の端の方を縦断しています。
右側が後円部の端から前方部。左側が後円部の墳丘、マウンドになっているところになります。
墳丘の上へ向かう道。
墳丘頂上から木津川方向を見たところ。
周囲が一望できます。
今から1800年ぐらい前、確かにこの地域に大きな力を持った人、一族がいて、中国からもたらされた鏡が一緒に埋葬されていた、
そう考えると、なにか不思議な感じがします。
墳丘の上には大きな柿の木がありました。
電車が来ました。が、人がほとんど乗ってないよー。
京都から奈良へ行く人は快速に乗ります。これは鈍行なので、乗っている人が少ないということかな。
古墳の名前そのままのバス停。
近くの中学校に古墳石室のふたが展示?されてました。
町中には古いお家も残ってます。ここは400年の歴史があるとか。
江戸時代初期ですね。
土塀が残っていたりします。風雨にされされている感じです。
土蔵なんかも多いです。
ドラマチックトーンで撮ると、どうもおどろおどろしい雰囲気になりますが・・・。
こういう機会でもなければ、このあたりを歩くことは一生なかったと思います。
さて、次はこの近くの環濠集落へ向かいます。
つづくよ。