

厄年同年会が発足してから25年になる。
花見、薄墨桜の植樹、総会、奥様誕生日祝い、懇親旅行などを毎年続けてきたが、
和気藹々の会である。しかし40歳で結成した当時と比べれば、皆老いを感じるよ
うになってきた。何よりも酒量が減ったのが証明である。
25周年を記念して、知覧の平和記念館へ行こうと言う話がまとまり、二泊三日の
鹿児島行きとなった。
昨年訪れた特攻平和記念館は大いに賑わっていた。国を思い、天皇を思い、家族
を思い、人生を思う若者の叫びは、遺書の中に充満している。建前より本音が良
く出ているのが、家族に宛てた部分だ。
三角兵舎の見回り兵が、出撃前夜毛布を被って嗚咽する若者を、何度も見たとい
うが、本当だろう。


高倉健「ホタル」や岸恵子「俺は君のために死にに行く」の舞台になった富屋旅
館はホタル館と名を変えて復元されていた。小さな食堂である。ここへ来た隊員
の中にも、「統制と自由主義が戦ったら勝つのは自由主義だ。この戦争は負ける」
と言った者が居たそうである。「特攻の母」といわれた、鳥浜トメさんの録音が
流されているが、本当に心にしみるような語り口だ。機が故障しやむを得ず引き
返してきた若者にも、非難の嵐の中で「何故生かされているのか、良く考えて見
なさい」と諭したという。
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物は試しと指宿の砂蒸し温泉にも入ってみた。 暖かい砂が意外に重い。圧力を
感じる。これが冷たい土に埋められたら、いやだなあ。しかし砂蒸しは快適であ
る。韓国ノムヒョン大統領も経験したと言う。私たちは、なにやら人工的な枠の
中で経験したが、浜辺でも行われていた。養殖と天然みたいだ。



桜島のふもとに林芙美子の碑がある。お母さんがこのあたりの出身だそうだ。
芙美子も小さい頃ここで育ったと言う。桜島の雄大さ、激しさを受け継いだ作家
だろうか。


帰途空港の前にある焼酎麹の販売元へ寄った。ここの社長は自顕流の師範だそう
である。示現流には上流志士のものと、下級武士のものと二派あるそうで、上級
は示現、下級は自顕と表す。新撰組でも薩摩の示現流の一の太刀とは争そうな、
と言われたそうである。実演をしてくれたが、木刀(丸太)で猿声を上げ、やた
ら打ち込む練習である。ただただ馬力を付けると言うのか。実戦ではこの方が効
果的かもしれない。
気の置けない仲間と共に、楽しい一時をすごした旅行であった。