本日76歳を迎えた。あちこち「がた」は来ているが、まだ少しは使えそうな身体とボケ始めた頭がバランスを取っている。
年が開けたが、近年身の回りで急速に変化が押し寄せてきているように思う。なかでも通信、AI、右傾化への変化が激しいように思われる。
通信の発展はコミュニケーション、流通、決済方法の変化を促し経済のみならず政治状況へも影響を及ぼしつつある。これらを支え、推進しているのがAIだ。自動運転、介護、医療、ものづくり、軍事などあらゆる分野に活用されてきている。技術的な進歩が、監視社会、管理社会へとなってゆき、本来の低レベル労働からの開放へともっともっと拍車がかかって良いのだが、現状はそうはなっていないようである。
同じようなことが近年の日本の政治状況にも現れてきている。社会の進歩が人間を自由にし、より理性的にするのではなく、偏狭なナショナリズムに回帰させている。技術の進歩が我々を自由にするのか否かは、我々自身の手の中にある。はっきりと意思表示をせねばいけない。
こうした激しい変化の流れの中で、後期高齢者に突入した自分には何ができるのだろうか。この界隈に住んでいた葛飾北斎は90歳で息を引き取る際、「あと5年命があれば一人前の絵師になれるのに」と呟いたという。それだけ命をかけて画業の完成を目指していたのだろう。
大した目標もなく、のほほんと毎日を過ごしている我が身とはえらい違いである。ただ東京に出てきて息子やその家族との行き来が多くなってきたのが楽しいことである。本日もラインでお祝いメールが来た。