遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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円空と愛知

2014-05-17 09:45:41 | 行ってきました
 千光寺現山門

 庫裏と本堂

同年会旅行二日目は高山市内散策と、郊外の千光寺参拝であった。
このお寺は円空仏(特に両面宿儺)で有名である。

高山市内から約30分程の山の中腹にあるお寺で、観音菩薩のような顔立ちの若い女性が迎えてくれた。
寺宝館には円空ゆかりのものが数十点展示してある。円空は生涯12万点の佛像を刻んだと言われるが、もの凄い創作力である。

一日一体では、年間300体、100年掛っても3万体しか彫れない。一日10体、40年間で12万体だ。その内の2000体が愛知県にあるという。荒子観音には沢山祀ってあるという。岐阜県には1200体ほどで愛知県には及ばないと、説明をしてくれた若い副住職がいっておられた。案外円空は愛知県との結びつきが深い。これらの佛像は櫟(いちい)の木ばかりかと思っていたが、杉もありサワラもあり、しかも自然のままの状態の木に掘られたものもあり興味深い。様々の木に彫られている。「まさに万物に神宿る」(実際に円空は神様も狛犬も彫っている)

著名なのは両面宿儺(リョウメンスクナ)の像。5世紀頃飛騨地方を支配していた豪族で、日本書紀によれば「顔が2つ、手と足が4本」ある怪物だという。地元ではスクナ様と呼ばれて崇拝されていた。円空はこれを両面ではなく片面で表現をしていた。

本堂には武田信玄と戦った時切腹して果てた武将の血の跡の残る床板を、天井板として掲示してあり、また新しく立派に建てられた山門が完成していた。この地方の信仰心の厚さを感じた次第。いろいろな発見があった旅であった。

飛騨古川

2014-05-16 18:35:22 | 行ってきました
鯉が放たれている瀬戸川
 起し太鼓を打ってみた
 飛騨建築の特長ある軒飾り

私の家を建ててくれたのは飛騨古川の大工さんである。朝早くから夜遅くまで(日が暮れてもカーバイトの灯りをつけて作業をしていた)熱心に働いて、秋口から冬にかけて、約半年で完成させた。事前に古川で準備作業をしていたかもしれないが、とにかく丁寧な仕事ぶりだった。秋から冬にかけてはあちらでは雪で仕事にならないのでこちらに来て仕事をしていたのだという。建ててからもう30年近くなるのだが、家の構造はしっかりしていてガタはきていない。きっと腕の良い人だったのだろう。

同年会でその古川と高山に行ってきた。確かここは3度めの訪問だと思うが、今回はボランテイアガイドさんの案内で周り、いろいろな説明を受けた。起し太鼓の街、女工哀史の舞台、飛騨の匠のふるさと、三寺参りなどの説明を受けた。今は飛騨市古川町となっているそうだが、ゆったりとした静かな街で、ゴミも落ちていない清潔な街である。公衆トイレや街の標識も完備しており、結構裕福な感じがする。神岡町も合わせてわずか人口26,000だそうだが、平成の大合併で出来た街なのだろう。

観光や農業だけではこんなにゆとりがありそうな佇まいにはならないだろうと思ったら、林業が今も盛んだという。そういえば私の家を作ってくれた大工さんも、自分の山から木を切ってきたと言っていたことを思い出した。隣の高山市とは折り合いが悪く、何かと対抗心を燃やすそうだが、高山よりは落ち着いており、物欲しそうな観光客相手の商売もせず、日本の田舎の良さを十分に残している街だ。一度ゆっくり泊まってみたいような気もする。

 白壁の蔵と瀬戸川がよくマッチする
 大甍の本堂が聳える本光寺
 女工哀史の舞台となった八ッ三館は今も営業中

本格派?ミステリー

2014-05-14 06:46:10 | 


法月綸太郎「ノックス・マシン」角川書店 2013年刊

「このミステリーが読みたい」2014年第一位。
初めてこの作者の作品を読むが、いわゆる古典的な探偵物なのか。怪盗ルパン、シャーロック・ホームズなどの謎解きに重点が置かれた作品。したがって知的なゲームの様相を見せる。

かなり著者は各専門分野を勉強していることが思われる。本書はアガサクリステイやノックス登場させ、タイムマシンの存在も検討される短編を収める。

この他に平行して読んでいるのは、佐伯泰英の古着屋騒兵衛シリーズや、池井戸潤のものだがいずれも今までの範疇内のエンターテイメントである。

こちらの(読む側の)感性が落ちてきたのかもしれない。痛快感や感動をあんまり感じられなくなってきた。要注意であろう。

ゴールデンウイークの思い出

2014-05-13 14:55:54 | 雑感
 ポニーにも乗れたよ

今年の連休には子供たちが孫を連れて遊びに来た。長男は末っ子(小2女)次男夫婦は3歳半の男。いずれもかわいい盛りである。
後半4連休を思い切り羽根を伸ばして遊んでいった。親も骨休みができたらしい。
私達にとってもまさにゴールデンウイークであった。

二人共仲良く遊び、喧嘩をすることもなく、昼間は思い切り体を動かし、夜はぐっすりと眠り、満足の様子で帰っていった。きっといい思い出になっただろう。勿論我々にはまさに極上のゴールデンウィークであった。

 まずは朝の散歩 お母さんと一緒に

 シャボン玉遊び

 トーマス君に乗った

 生乳ソフトクリームを食べたよ

 スワンボートに乗った

 お父さんとゴーカートを運転

 ジャンボバーガーに挑戦





山国の春

2014-05-10 08:49:17 | 雑感
花桃の大木
 庭の桜

私が今住んでいるのは標高約1400mである。緑の新芽が出始めた所だ。敷地に植えた2本の桜は今満開である。

ゴールデンウイークに行った、蓼科湖畔にある聖光寺は境内にある数百本の桜が満開であった。諏訪の里では花桃が盛りで鮮やかな白、ピンク、赤の花を付けていた。芝桜、ユキヤナギ、ロウバイも一斉に咲き、街中は色とりどりである。
山国では春が遅い代わりに一斉に花が咲き、華やかな春がくる。

ただこちらの桜は、名古屋、東京などのソメイヨシノと違い、花がスッキリと控えめに咲く。手入れの良い、ぼってりと重たそうに見える程の花房と違う。しかも少し長持ちしているようだ。今年は冬の寒さが厳しかった。その分春は待ちどうしかったので、花が一斉に咲く春は開放感は一入である。風の底にも暖かさが感ぜられ、さわやかな5月の気候になってきた。

 聖光寺 満開の桜
 蓼科湖の桜

楽しく帰る

2014-05-08 10:47:35 | 雑感
 茅野駅で「さよならー」


連休後半、息子二人が一人ずつ孫を連れて遊びに来ていた。最終日それぞれ電車に乗って帰っていった。

よく遊んだ怒涛の4日間だったが、帰り際「バイバイ」と振り向いて手を振る姿にちょっとウルっと来た。人並みのジジババである。
今回は、小2の女の子と、3歳半の男子なので比較的おとなしく、お互いが仲良く遊んでいた。そのため我々の負担感は少なく、連日、パターゴルフ、花見、乗馬、ボート乗り、ゴーカート、牧場、などで力いっぱい遊んだ。親が付いているので、我々の負担感も半減している。

そんなわけで、「来てよし、帰ってよし」とはちょっと違い、別れが寂しかった。小2の女の子は帰りの電車の中で、淋しさにべそをかいたと聞く。よほどこの4日感が楽しかったのだろう。それを聞いて我々も胸が一杯になった。

本当に歳をとったと実感する。情感のコントロールがままならない。

西遊旅行のツアー

2014-05-07 09:32:43 | 雑感


今回のブータンは西遊旅行社のツアーに乗った。今まで私はツアー旅行は、フレンドツアー、クラブツーリズム、を経験しているが3回目のツアー旅行で初めての旅行社である。中央アジアに強い旅行社だと聞いたがマニア向きだとの噂を聞いてもいた。
旅は何処へ行くかも大事だが、誰と行くかも楽しさに大いに影響を及ぼす。今回も概ね楽しい仲間であった。
 添乗員のガイダンス

成田のトランジットゲートで集合といういかにも旅慣れた人の集団という雰囲気であった。添乗員は濱砂さんという若い女性。はっきりものをいう人で、百戦錬磨の参加者を取り仕切る。
メンバーは総勢16名。構成は熟年夫婦4組、一人旅男1名、女7名、参加者住所は関東11名、関西3名、中部2名であった。通関手続きなども皆手慣れたものである。

中には40年来この旅行社を使っているという豪の者や、レバノン、シリア、パタゴニア、などに行っている人もいる。ブータンも40年前に来たことがあるという人や、秘境巡り、海外登山をしている人もおり、多士済々だ。しかも70代の人が大半である。そんな強者揃いのグループでありながら、団体行動はきちんと守るというのは、さすが日本人である。このグループにいると我々などほんの駆け出しにすぎない。
 濱砂さん心尽くしの日本食
 ブータンの簡単なバッフェ

添乗員の濱砂さんは、時々強い口調でグループの統制を図ろうとするが、一方味噌汁、佃煮、梅干し、海苔などの趣肴品を用意してきたり、同社の他のグループと連絡をとって民間の法要に参加させたり、それなりに奮闘してくれた。

メンバーの中には、少々くせのある人もいないではなかったが、リタイアーした沖縄出身の内科医のご夫婦が、非常に雰囲気を和らげてくれ、グループ全体の調和を保ってくれた。おかげで楽しい旅になりました。

「ゴ」と「キラ」

2014-05-06 00:49:11 | 雑感
私も着用してみた

ブータンの民族衣装の名前で、男性はゴ女性はキラを着用する。かなり一般的で通学服も街着もほとんどがこれだ。勿論若い人はジャージや,Tシャツにジーンズという人もいるが、祭りの参列には殆どの人が、老若男女を問わずこれ着用である。明治時代の日本のようだ。

私も試しに着用してみたが、なかなか着心地がいい。ガイドの人に着付けをしてもらったが、手慣れたものである。和服のようにキリリと帯を締めると一日中緩まず、ほかはゆったりし暖かい。同行の人たちやガイドさんたちから、王様とか大臣とか言われていい気になって、つい二日目も着用した。これでパロのツエチェ祭初日にもこれで参加。すんなりと地元の人に溶け込めた。

 女性のキラは極彩色が多い

旅行中、ガイドの人、ドライバー、売店の人、いろいろな人が気軽に着付けの乱れを指摘し、直してくれる。ここらあたりも親しみを感じる大きな要素だ。
若い女性はブローチやネックレスなどで着飾り、ヒールの靴を履いて男性の気を引く。一種の見合いの場所のようである。

ゴを着た時の裾丈の長さが決まっていて、国王は膝下、ダショー(政府要人)は膝の少し上、一般は膝上となっているが、私はお仕着せのゴで足が短かいので図らずも膝すれすれになってしまったので、王様とか、大臣とか言われたのだろうと後で思い当たった。いくらお仕着せだとはいえ、恐れ多いことであった。
 通学途中の生徒たち
 我々のガイド4人も終始「ゴ」を着用。

殺生しない

2014-05-05 16:48:21 | 行ってきました
ターキン

ブータンは仏教国である。あらゆるものの殺生を禁じているようだ。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でわかるように蚊一匹殺すのを罪とする。そのせいか街中に野犬と思しき犬がゴロゴロしている。文字通り店先にゴロンと寝転がっている。或いは庭先、空き地で遊んでいる。猛々しい雰囲気はまるでないが、夜になると彼方此方で犬の遠吠えや,警戒の吠える声が喧しい。街道筋では牛がのんびりと草をはみ、道路を横断する。一応持ち主はあり、牛乳をとっているとのことだ。

ホテルの部屋はかなり掃除は行き届いているのだが、蚊や虫が侵入している。この国では牛や豚のはせず、インドからの輸入(彼の国はヒンズー教だから牛は殺さないだろう)で賄うそうだ。
バスの中に入ってきたハエも殺虫剤やハエたたきを使わずガイドのウゲンさんはさっと掴んでバスの外へ放つ。

この国の人は人にたいしてだけでなく、動物に対しても優しい。衛生上から見るとどうかとも思うがこの優しさは大切にしたい。国獣といわれるターキン(首から上はヤギで胴体は牛といわれる)もとてもおとなしそうな動物でまさにこの国を象徴しているようだ。保護区に最初策を巡らした時、国王は自然保護の観点から難色を示したが、肝心のターキンが里近くに降りて行ってしまうのでやむなく許可をしたという。
この動物は人や他の動物を襲ったり、争ったりするような気配はなく、まさにこの国を代表する動物だ。

 里山
 街角で機を織る婦人

ブータンの国技

2014-05-03 17:00:02 | 行ってきました


日本で国技といえば相撲だがブータンでは弓である。アーチェリーなどではなく和弓に近い。金属で出来た弓もあるそうだが、一般には竹を組み合わせた物がほとんどだ。

そういえばこの区には最近国の花が石楠花から「青いケシ」に変わったそうだ。国獣はターキンだという。やぎと牛の中間のような動物だ。日本の国獣は一体なんだろう。国の木は糸杉、国の鳥はワタリガラス、宗教は仏教(ラマ教)、とやたら国のものが指定されている。尤も強制感は無いが、民族衣装の「ゴ」や「キラ」はほとんどの人が着ている。私達にはこれだけ国を愛する気持ちは、サッカーの日本代表や、WBCを応援するときくらいしかないような気がする。

ティンプーのサッカー場や陸上競技場の近くの弓道場で大会のの準々決勝があるというので見物に寄った。旗で囲んだ土壁の前に直径40cmほどの的を描いた縦長の白い板が立ててあり、其の前に5~6人の男が何やら叫んでいる。はるか向こう(140m)にも同じような集団があり、両方の的を見渡す階段席に大勢の人が応援或いは見物に来ている。風音がして矢が飛んでくるが、男たちはコースを見極め、ヒョイ、ヒョイと躱す。危険はないだろうかとハラハラして見ているが、若者たちは一向平気で、器用に矢を避ける。観客も至極当たり前のように見ている。結構目の良い人が多いのだろう。
一人2本ずつ交互に撃ちあう。矢が外れると受け手の集団は一斉に囃し立て足踏みをする。的にあたったときは逆に攻撃側が歓声を上げ一斉に踊りだす。射手の順番は後順になるに従って上手い人が出てくるのだそうだ。これは全国大会だが、各地方では、村々で隣村都の対抗戦が催されるとのこと。お祭りみたいのものだが私も昔は村の代表で出た事があるという。パロのホテルの林の中の小さな(40mほどの)球技場で我々もやってみたのだが、的にはなかなか当たらなかった。

各村にはきっと伝説的に上手い人がいて、覇を競っているのだろう。これもお祭りの一種である。ゆったりと流れる時の中で、近所のういとと世間話をしながら「おらが村」の代表を応援する。まるで江戸時代の習俗みたいに感じた。