11日午後2時発生した東北地方太平洋沖地震は時間を追うごとに犠牲者の数を増やしている。
朝から、とても疑問に思ったことがあった。
そしてこの時間、一日を終えて、改めて疑問に思った。
同じ一日。
被災者はすべてをなくし、食べるにも事欠いて一日を過ごす。
今後の生活にとてつもない不安を感じ、また生活ができないところにいる。
片や私は、いつも通りの時間でいつも通りの作業をこなし、暖かい部屋でいつも通り幸せな時間を持つ。
こんな贅沢をしていてよいのか、と本心で思った。
周りがどうも無関心というか、他人事というか、「それでいいのか?」と腑に落ちないことがいくつもあったのだ。
「考えても仕方がない。どうせ電話もつながらない。」
「だからってどうする? 行くこともできないんじゃ何もできないじゃない。」
「関係ない関係ない。自分がよけりゃ今はいい。」
人道的な問題も出てくるだろう、物価もあがってくるだろう、
なのに、
考えても仕方がないのか? 何かできることがあるのではないか?
腹が立ったのは、いかにも「犠牲者です。」を装い、人をだまそうとしている輩が動き出していることだ。
午後、24時間ぶりに携帯電話のネットが復旧し、
実際に、私のところに届いたメールのひとつだ。
「地震で家が流されました。帰るところがありません。
泊めてくれたらなんでもします。好きにしてくれていいです・・・」
おわかりだろうが、例のくだらないメールである。
なんでこんな時にこんなメールを送りつけるのか。
「助けてほしい」 それらの情報を死ぬ思いで待っている人たちがいるのに。
気持ちのおさまらない状態が続く。