唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
GPX小史
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GPXはレース毎に発行され、その結果を報じる所謂F1誌である。フジテレビによってF1が全戦放送され、日本人初のレギュラードライバーとして中嶋悟がロータス・ホンダからデビューした1987年に山海堂から創刊された。当時の誌名はGPXpressと言い、山海堂の「オートテクニック」の別冊扱いでの登場であった。翌88年には「オートテクニック」から独立し第1巻1号・通巻1号「'88直前号」が発行される。
さらに90年の第1戦アメリカGPの結果を知らせる第3巻3号・通巻43号からは誌名をGPXと替えている。その後はレースの翌週土曜日(後に金曜日)に発刊するスタイルを基本に15年間レース結果を伝え続け、2001年シーズンが終わった後のカレンダー号刊行し、何の予告もなく消えていった。最終号は第14巻第21号・通巻287号であった。
87年からの数年間はTVでの全戦中継、日本人ドライバー中嶋悟、続いて鈴木亜久里の参戦、アイルトン・セナのカリスマ的人気、ホンダエンジンの活躍とバブル絶頂期に向かう景気とが相互に作用しF1がこれまでにないブームになり、所謂F1誌もGPX後を追うように多数刊行されるに至った。
創刊の87年当時はいまだ銀塩カメラの時代であり、日曜日にレースが終わるとフィルムを空輸し到着後に現像、書かれつつあった記事と現像からあがったばかりの写真をレイアウトして印刷・製本して書店に配送されていた。中5日で店頭に並べるのは並大抵の仕事ではなかったことは想像に難くない。
デジタル方式の写真の品質が上がると同時に撮影直後に画像のデータが送られてくるようなり空輸時間分が短縮され金曜日には書店に並ぶようになるが、これとてレイアウト、印刷・製本にかかる時間は同じだから相変わらず忙しい仕事をしていたことになる。
GPXが他のF1誌と大きく異なる点はその紙面の大きさである。創刊当初からB4サイズを採用しているのだが、大きな紙面見開きいっぱいに掲載された写真は見ごたえ十分であった。ただし印刷速度を重視したためなのか中質紙に近いラフな紙を使っていたのが残念であったが、これも後にはかなり改善している。
もうひとつの特色はシーズン終了後に30×23cmという大判でハードカバー、本文が200ページを越える「総集編」を刊行していたこと。多くのF1誌がGPXに倣い総集編を刊行したが、その内容・体裁共にGPXの総集編に敵うものはなかった。税込価格が4,000近かったのが災いしたのか、95年シーズンでその姿を消してしまったのは残念である。カバーに配されたその年に参戦したのマシンのイラストは秀逸で資料性も非常に高いものである。
さて、先に「2001年シーズン終了後何の予告もなく消えていった」と書いたが、まさにGPXは消えていったのであった。最終号となった通巻287号のどこを見ても、休刊あるいは廃刊という文字を見つけることは出来ない。だたしその兆候がまったくなかったわけではない。
これまでのどの号にあっても最終頁には次号の発売予定日が記されていたのだが、287号にはこれがない。次号の予告があるべき頁にあるのは「Digital GXP」なるメール・マガジン無料配信開始という案内であるが、このメール・マガジンも程なく立ち消えとなっている。通常の雑誌類が休刊・廃刊も止むなしという状況とは違った、どこかキナ臭い終わりかたであった。
さて、今日の1枚は勿論GPX。黄色地にセナの写真があるのが創刊号、モノクロの写真(マクラーレン・メルセデスを駆るミカ・ハッキネン)に赤いGPXのタイトルの号が最終の287号。プレ・創刊号があったはずなのだが、残念ながらどうしても見つけることができなかった。
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