唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
小笠原は確かに遠い
4/27に書いた「岩手県が一番遠い?」をご覧くださった「きつねのるーと」さんがこんなコメントをくださった。
> あと意外な事実としては、同じ東京都内の小笠原諸島が一番
> 時間的距離が遠いです。
> ここは船しか便がないですから片道2日半です。ここより遠
> い公共交通機関で行ける日本国内は東京からはないです。
さて、小笠原が出てきたとあってはコメントへのコメントくらいではすまないのが郷秋<Gauche>。こう見えても、小笠原についてはちょっと(実はかなり)うるさいのだ。
で、最初に「きつねのるーと」さんのコメントに若干訂正を加えたいのです。
私の調べに間違いがなければ、と言うことなのですが(もし勘違いだったらごめんなさい。訂正の訂正コメントを遠慮なくど~ぞ)、小笠原まで現在は片道2日半はかかりません。
小笠原は東京から南南東約1,000Km位置する父島・母島などからなる諸島で、東京都に属する小笠原村のことでもあります。片道2日半かかったのは1997年に就航した航海速力22.5ノットのおがさわら丸以前に東京・竹芝桟橋と父島二見港を結んでいた父島丸当時のことですね。
私の記憶に間違いがなければ、竹芝を夕方出た父島丸は船中2泊を要し、2日目の昼前頃に父島の二見港に入港したはずです。おおよそ40時間と言うところだったと思います。
現在は先に書いたおがさわら丸が定期連絡船として竹芝と二見港とを結んでいますが、午前10時に竹芝を出た船は翌日の11:30に二見港に入港しますから所要時間は25時間30分です。
船以外には交通手段のない小笠原は確かに東京から最も遠い場所と言えるわけで、東京駅から一番遠いのは同じ東京都の小笠原村だと言う何とも皮肉なことになるわけです(父島までは25時間30分ですが、母島は父島から更に船で2時間ほどかかるからもっと遠い)。ひょっとすると、国単位で言っても小笠原より遠い国はそう多くないのかも知れません。
さて、竹芝桟橋から25時間半(かつては約40時間)船に揺られて着くのは父島の中心地にある二見港ですが、上陸して驚くことがあります。東京からの船が来るということは島に犯罪者が入って来るからなのかどうかはわかりせんが、村の数少ない(あるいは唯一の)パトカーが港にやって来るわけです。このパトカーにはなんと「警視庁」とかかれ、ご丁寧なことに品川ナンバーのプレートをぶら下げているのです。こんなに遠くに着たのに、ここもやっぱり東京だったのだと思い知らされる瞬間です。
今ではおがさわら丸が3日に1度人と物とを運んできますが、父島丸の当時は船は週に1便です。放送衛星がない時代には東京都でありながら電波が届きませんのでテレビの放送はなく、週に1度父島丸が運んで来る、NHKや民放各社の放送をそっくり録画した録画テープをケーブルテレビで流したものを視聴していました。新聞も1週間分がビニールで梱包されて届きます。ラジオはと言えばFMの電波が届かないのは当然ですが、AMも昼間は聞こえず、夜になって僅かに聞こえる日本語の放送は中国語や韓国語の放送との混信で大変聴きにくい状態でした。
電話はと言えば、父島島内にはちゃんと電話があり、村の数箇所には公衆電話がありましたが本土との通信は短波に頼っていましたね。
10~20MHzという昼間でも長距離通信を比較的安定して運用できる周波数を使っていたのでしょう、周期の長いフェージングを伴いながらもちゃんと実用になっていました。10年前のモガモガ携帯電話よりはずっとましだったように記憶しています。
長々と書いてしまいましたが、小笠原と聞いただけで血沸き肉躍ってしまった郷秋<Gauche>でありました。いったいいつの話しかということは歳がばれるので書かないけれど、40数時間かかった当時に、物好きにも2回も行ってしまったことは書いておきましょう。
「きつねのるーと」さん、久しぶりに昔々をのことを思い出させていただきありがとうございました。「カメラのデジタル化」についても書きたいと思っておりますのでどうぞお楽しみに。
追記:小笠原諸島は幕末~開国の時期に大変重要な役割を果たしています。また日本人が定住する前に欧米系の人々が定住したという日本では大変珍しい地域でもあります。イタリア系の、確かセーボレーという家族で、今でもその子孫が父島に住んでいるなど、自然環境として貴重な地域と言うだけではなく、歴史的・文化的にも大変興味深いところでなのです。
例によって、今日の話題とは何の関係もないけれど、また
また今の季節の写真を1枚。一部の方には大変懐かしいで
あろう場所の躑躅です。
> あと意外な事実としては、同じ東京都内の小笠原諸島が一番
> 時間的距離が遠いです。
> ここは船しか便がないですから片道2日半です。ここより遠
> い公共交通機関で行ける日本国内は東京からはないです。
さて、小笠原が出てきたとあってはコメントへのコメントくらいではすまないのが郷秋<Gauche>。こう見えても、小笠原についてはちょっと(実はかなり)うるさいのだ。
で、最初に「きつねのるーと」さんのコメントに若干訂正を加えたいのです。
私の調べに間違いがなければ、と言うことなのですが(もし勘違いだったらごめんなさい。訂正の訂正コメントを遠慮なくど~ぞ)、小笠原まで現在は片道2日半はかかりません。
小笠原は東京から南南東約1,000Km位置する父島・母島などからなる諸島で、東京都に属する小笠原村のことでもあります。片道2日半かかったのは1997年に就航した航海速力22.5ノットのおがさわら丸以前に東京・竹芝桟橋と父島二見港を結んでいた父島丸当時のことですね。
私の記憶に間違いがなければ、竹芝を夕方出た父島丸は船中2泊を要し、2日目の昼前頃に父島の二見港に入港したはずです。おおよそ40時間と言うところだったと思います。
現在は先に書いたおがさわら丸が定期連絡船として竹芝と二見港とを結んでいますが、午前10時に竹芝を出た船は翌日の11:30に二見港に入港しますから所要時間は25時間30分です。
船以外には交通手段のない小笠原は確かに東京から最も遠い場所と言えるわけで、東京駅から一番遠いのは同じ東京都の小笠原村だと言う何とも皮肉なことになるわけです(父島までは25時間30分ですが、母島は父島から更に船で2時間ほどかかるからもっと遠い)。ひょっとすると、国単位で言っても小笠原より遠い国はそう多くないのかも知れません。
さて、竹芝桟橋から25時間半(かつては約40時間)船に揺られて着くのは父島の中心地にある二見港ですが、上陸して驚くことがあります。東京からの船が来るということは島に犯罪者が入って来るからなのかどうかはわかりせんが、村の数少ない(あるいは唯一の)パトカーが港にやって来るわけです。このパトカーにはなんと「警視庁」とかかれ、ご丁寧なことに品川ナンバーのプレートをぶら下げているのです。こんなに遠くに着たのに、ここもやっぱり東京だったのだと思い知らされる瞬間です。
今ではおがさわら丸が3日に1度人と物とを運んできますが、父島丸の当時は船は週に1便です。放送衛星がない時代には東京都でありながら電波が届きませんのでテレビの放送はなく、週に1度父島丸が運んで来る、NHKや民放各社の放送をそっくり録画した録画テープをケーブルテレビで流したものを視聴していました。新聞も1週間分がビニールで梱包されて届きます。ラジオはと言えばFMの電波が届かないのは当然ですが、AMも昼間は聞こえず、夜になって僅かに聞こえる日本語の放送は中国語や韓国語の放送との混信で大変聴きにくい状態でした。
電話はと言えば、父島島内にはちゃんと電話があり、村の数箇所には公衆電話がありましたが本土との通信は短波に頼っていましたね。
10~20MHzという昼間でも長距離通信を比較的安定して運用できる周波数を使っていたのでしょう、周期の長いフェージングを伴いながらもちゃんと実用になっていました。10年前のモガモガ携帯電話よりはずっとましだったように記憶しています。
長々と書いてしまいましたが、小笠原と聞いただけで血沸き肉躍ってしまった郷秋<Gauche>でありました。いったいいつの話しかということは歳がばれるので書かないけれど、40数時間かかった当時に、物好きにも2回も行ってしまったことは書いておきましょう。
「きつねのるーと」さん、久しぶりに昔々をのことを思い出させていただきありがとうございました。「カメラのデジタル化」についても書きたいと思っておりますのでどうぞお楽しみに。
追記:小笠原諸島は幕末~開国の時期に大変重要な役割を果たしています。また日本人が定住する前に欧米系の人々が定住したという日本では大変珍しい地域でもあります。イタリア系の、確かセーボレーという家族で、今でもその子孫が父島に住んでいるなど、自然環境として貴重な地域と言うだけではなく、歴史的・文化的にも大変興味深いところでなのです。
例によって、今日の話題とは何の関係もないけれど、また
また今の季節の写真を1枚。一部の方には大変懐かしいで
あろう場所の躑躅です。
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