唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
某国のF1はどこへ行く
オフシーズンの今「F1の話題は2006年開幕に向けて各チームが精力的に進めているテストの結果に尽きる」と言うのは、全世界的に見た場合であって極東の某島国では初めて誕生する(であろう)、ドライバーも含めた「オール某国」チーム誕生のプロセスに一喜一憂しているようである。まったくインターナショナルじゃないんだな、この某国。
この新チームの代表は元F1ドライバーだ。F1ドライバーが引退後にチームオーナーになるのは別に珍しいことではない。F1ファンならずともご存知であろう「マクラーレン」の創始者ブルース・マクラーレン、彼もまた元F1ドライバーである。1950年代終りから1960年代にかけて101戦出場。チャンピョンにこそなってはいないが4勝と3回のファステストラップの記録を残している。
このマクラーレン、古くはエマーソン・フィッティパルディやジェームス・ハント、ニキ・ラウダ、比較的最近ではミヒャエル・シューマッハの登場まで共に史上最高のドライバーと称えられたアラン・プロストとアイルトン・セナを擁し、ミカ・ハッキネンもまた2度のワールド・チャンピョンをこのチームで獲得している。
このマクラーレンで3度のワールド・チャンピョン(+ウイリアムズでも1回)を獲得したアラン・プロストが立ち上げたのが「プロスト・グランプリ」。リジェを買い取り、プジョーエンジンを使用するなどオール・フレンチで参戦するも初年(1997年)こそそこそこではあったけれど、その後はさしたる戦果を挙げられないままあえなく倒産、F1から姿を消している。
輝かしい戦績を残すチームがある一方で、最高3位が1回という世界的にはまったく無名の元ドライバーが旗揚げするチームに世界のF1ファンはどれほど注目しているのだろうか。興味が尽きないぞ。
いやいや、今日書こうと思っていたことと大分話がずれてしまった。
書きたかったのは、某新参チームが果たしてどこまでやれるかと言うことだったんだ。どこまでと言うのは短期的な成績ではなく、果たして長く続けられるのかということだ。
バブル期には多くの某国資本がF1にも投入されたが、バブル崩壊と共に跡形もなく消え去ってしまった。チームへの投資だけではなく、サーキットを某国内作るという形での資本投下もなされた。
例えばTIサーキット英田(現岡山国際サーキット)。バブル絶頂期の1990年にオープンし94-95年にはパシフィックGPの舞台ともなったGPサーキットではあるけれど、2003年には民事再生法の適用を受け現在は出直し中である。
例えばオートポリス(大分県)。これもまた1990年にオープンしたサーキット。当時のベネトンチームをスポンサードして知名度を上げ1993年には某国2つめのGPとしてアジアGP開催の噂もあったけれどあえなく頓挫。その後所有者・名称が度々変わるも昨年3月に川崎重工が取得し、名称も当初のオートポリスに戻しこちらもまた事実上の「再建」途上である。
某国で継続的にF1に関わり、それなりの戦績をあげその地位を固めているのはHONDA、そしてそれを追うTOYOTAだけである。結局、潤沢な資金と強大な組織をもった者だけが継続的に関わり、そして結果を残すことできるということなのだな。
間もなく2006年エントリーの正式なアナウンスされるであろう「スーパー・アグリ・フォーミュラワン」(と言うチーム名らしい)だけれど、スポンサーは勿論ファンの皆さんにも息の長い支援と応援をぜひともお願いしたいものだ。バブル期のそれのように、熱が冷めれば、資金がなくなれば即撤退ではなく、短期間で単に戦果をあげ投下資金の回収だけを望むのではなく、某国にF1文化を根付かせるくらいの気概を持って太く長いチャレンジが続けられることを願わずにはいられない。

今日1枚は、竹林、杉林、雑木林そして枯れススキ野原。
[ 撮影 : あかねの森 ]
この新チームの代表は元F1ドライバーだ。F1ドライバーが引退後にチームオーナーになるのは別に珍しいことではない。F1ファンならずともご存知であろう「マクラーレン」の創始者ブルース・マクラーレン、彼もまた元F1ドライバーである。1950年代終りから1960年代にかけて101戦出場。チャンピョンにこそなってはいないが4勝と3回のファステストラップの記録を残している。
このマクラーレン、古くはエマーソン・フィッティパルディやジェームス・ハント、ニキ・ラウダ、比較的最近ではミヒャエル・シューマッハの登場まで共に史上最高のドライバーと称えられたアラン・プロストとアイルトン・セナを擁し、ミカ・ハッキネンもまた2度のワールド・チャンピョンをこのチームで獲得している。
このマクラーレンで3度のワールド・チャンピョン(+ウイリアムズでも1回)を獲得したアラン・プロストが立ち上げたのが「プロスト・グランプリ」。リジェを買い取り、プジョーエンジンを使用するなどオール・フレンチで参戦するも初年(1997年)こそそこそこではあったけれど、その後はさしたる戦果を挙げられないままあえなく倒産、F1から姿を消している。
輝かしい戦績を残すチームがある一方で、最高3位が1回という世界的にはまったく無名の元ドライバーが旗揚げするチームに世界のF1ファンはどれほど注目しているのだろうか。興味が尽きないぞ。
いやいや、今日書こうと思っていたことと大分話がずれてしまった。
書きたかったのは、某新参チームが果たしてどこまでやれるかと言うことだったんだ。どこまでと言うのは短期的な成績ではなく、果たして長く続けられるのかということだ。
バブル期には多くの某国資本がF1にも投入されたが、バブル崩壊と共に跡形もなく消え去ってしまった。チームへの投資だけではなく、サーキットを某国内作るという形での資本投下もなされた。
例えばTIサーキット英田(現岡山国際サーキット)。バブル絶頂期の1990年にオープンし94-95年にはパシフィックGPの舞台ともなったGPサーキットではあるけれど、2003年には民事再生法の適用を受け現在は出直し中である。
例えばオートポリス(大分県)。これもまた1990年にオープンしたサーキット。当時のベネトンチームをスポンサードして知名度を上げ1993年には某国2つめのGPとしてアジアGP開催の噂もあったけれどあえなく頓挫。その後所有者・名称が度々変わるも昨年3月に川崎重工が取得し、名称も当初のオートポリスに戻しこちらもまた事実上の「再建」途上である。
某国で継続的にF1に関わり、それなりの戦績をあげその地位を固めているのはHONDA、そしてそれを追うTOYOTAだけである。結局、潤沢な資金と強大な組織をもった者だけが継続的に関わり、そして結果を残すことできるということなのだな。
間もなく2006年エントリーの正式なアナウンスされるであろう「スーパー・アグリ・フォーミュラワン」(と言うチーム名らしい)だけれど、スポンサーは勿論ファンの皆さんにも息の長い支援と応援をぜひともお願いしたいものだ。バブル期のそれのように、熱が冷めれば、資金がなくなれば即撤退ではなく、短期間で単に戦果をあげ投下資金の回収だけを望むのではなく、某国にF1文化を根付かせるくらいの気概を持って太く長いチャレンジが続けられることを願わずにはいられない。

今日1枚は、竹林、杉林、雑木林そして枯れススキ野原。
[ 撮影 : あかねの森 ]
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