唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
中嶋一貴、ユーロF3第2戦で初優勝
日本人F1パイロットのパイオニア、中嶋悟の子息である中嶋一貴がドイツのユーロスピードウェイで行われたユーロF3の第2戦、第2レースで初優勝を飾った。
予選9番手から臨んだ第1レースを8位で終えた一貴は、レギュレーションのリバースグリッド規定により第2レースをポールポジションからのスタート。バトルを繰り広げたリチャード・アンチヌッチに7.423秒もの大差をつけてフィニッシュ、初優勝を果たした。その表彰台ではかつてのF1パイロット中嶋悟を覚え、一貴がその子息であることを知るドイツのファンから大きな拍手と歓声が送られたという。
中嶋悟は1987年、当時HONDAエンジンを搭載していたチーム・ロータスからかのアイルトン・セナのチームメイトとしてデビュー。その後ティレルに移籍し1991年シーズンを最後に引退している。F1ドライバーとしての中嶋は出走回数74、最高位4位(2回)、通算獲得ポイント16、ファステストラップ1回(1989年オーストラリアGP)と、決して成功したわけではないが、日本におけるF1レギュラードライバーの先駆けとして日本のモータースポーツファンなら知らぬものはない存在だ。
そんな中嶋を、日本人だけではなくドイツのモータースポーツファンが覚えていてくれた。そしてその子息、表彰台の一貴に惜しみないエールを送ってくれたというのだ。嬉しい話ではないか。父のデビュー戦からF1を見続けてきたファンとしては、一貴がその力にさらに磨きをかけ遠からずF1にステップアップしてくることを、そして偉大な父親の記録に挑み、追い越していくことを願わずにはいられない。
今日の一枚は、麦の花。間もなく収穫の時、麦秋である。
予選9番手から臨んだ第1レースを8位で終えた一貴は、レギュレーションのリバースグリッド規定により第2レースをポールポジションからのスタート。バトルを繰り広げたリチャード・アンチヌッチに7.423秒もの大差をつけてフィニッシュ、初優勝を果たした。その表彰台ではかつてのF1パイロット中嶋悟を覚え、一貴がその子息であることを知るドイツのファンから大きな拍手と歓声が送られたという。
中嶋悟は1987年、当時HONDAエンジンを搭載していたチーム・ロータスからかのアイルトン・セナのチームメイトとしてデビュー。その後ティレルに移籍し1991年シーズンを最後に引退している。F1ドライバーとしての中嶋は出走回数74、最高位4位(2回)、通算獲得ポイント16、ファステストラップ1回(1989年オーストラリアGP)と、決して成功したわけではないが、日本におけるF1レギュラードライバーの先駆けとして日本のモータースポーツファンなら知らぬものはない存在だ。
そんな中嶋を、日本人だけではなくドイツのモータースポーツファンが覚えていてくれた。そしてその子息、表彰台の一貴に惜しみないエールを送ってくれたというのだ。嬉しい話ではないか。父のデビュー戦からF1を見続けてきたファンとしては、一貴がその力にさらに磨きをかけ遠からずF1にステップアップしてくることを、そして偉大な父親の記録に挑み、追い越していくことを願わずにはいられない。
コメント ( 6 ) | Trackback ( )