OPEL撤退

 1993年1月、長年の朋友であったVWと袂を分かちOPELの販売を初めて16年、ヤナセはついに2006年末(新聞報道。オフィシャルサイトによれば在庫分販売終了時点)でOPEL車の販売を終了する。ヤナセが、と言うよりはGMがと言うのが正しいのだが、日本における輸入車販売のパイオニアがVWに代わるメインブランドの販売を終了することの影響は大きい。

 経緯は割愛するが、ヤナセは1992年末までその全国の支店で掲げていたVWの看板を文字通り一夜にしてOPELのそれに架け替えた。紛々やる方ない柳瀬次郎社長は「ヤナセが手を引いたらVWは年1万台を切りますよ」と豪語し、自社の将来をOPELに託した。そして、それまで東邦モータースが細々と販売し一部のマニアに知られるのみであったOPELを1996年には全国で3万8000台を販売し、輸入車のメジャーブランドに育てあげた。

 そのOPELも競合するVWやBMW、Audi、Peugeot、BMW Miniとの競争に敗れ、2005年には1,800台と、販売台数は最盛期の1/20までに落ち込んでいた。そこにOPELの親会社であるGMの経営不振である。リストラを進めたいGMの意向により今回の決断に至ったようであり、そのとばっちりを受けたのがヤナセということか。

 先にも書いたがヤナセと言えば日本においては「外車」(正しくは輸入車と言うべきである)イコール「ヤナセ」と言っても過言ではない企業である。VWをそしてMercedes-Benz、Audiのブランドイメージをつくってきたのはヤナセである。そのヤナセが16年前のVWに続き今度はGMからも苦渋の選択を迫られることになったわけである。

 もっとも年間販売数1,800台のために補修パーツのストックなどのインフラを全国ネットで維持することはヤナセとしても相当に負担が大きかった事も事実であろう。今後はCadillacとSAABの販売に特化(GMグループとしては)すると言うことではあるが、手元の資料ではCadillacが76台、SAABが77台と足してもOPELの169台(いずれも2006年3月)に追いつかない状況である。ヤナセは既にBMWおよびVWを販売する子会社を設立しその収益確保の手を打っているとは言え、更に厳しい経営が続くことになることは確実である。

 それにしてもGM、トラブル続きでイメージがダウンしたからとビータを止める、スバルでOEMのトラヴィックを売るからザフィーラを止め、売れないからOPEL車を全部止めるじゃ、もう日本では二度目のチャンスはないぞ。外資はまったく信用ならん。


 今日の一枚は、「ベツレヘムの星」の蕾。今週末には開花した姿をご紹介できることでしょう。
[ 撮影 : すみよしの森 ]


 今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しております。春色の森をぜひご覧ください。
恩田Now 
コメント ( 8 ) | Trackback (  )