唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
2013年、ホンダがF1復帰?!
一昨日に書いた「NSXの開発凍結解除!」の中で、F1のエンジンが過給機付の4気筒1.6リットルになる2013年にホンダとVWがF1に復帰、登場する可能性を示唆した郷秋<Gauche>だが、ルノーのマネージング・ディレクター、ジャン-フランソワ・クベー氏が、BMWが復帰するのは「早すぎる」が、一方VWは「躊躇している」そしてホンダが「真剣に復帰を検討している」とコメントしているようである(see here)。
1980年代にターボ時代の幕を切って落としたのがルノーで、最も大きな成功を収めたのがホンダ、そしていま、過給機付の小排気量エンジンで時代をリードしているのがVW。となればこの3社がエンジンサプライヤーとして登場するのではないかとは、F1にちょっと詳しい人なら誰でもが思いつくシナリオだろう。
一方、過給機付の4気筒1.6リットルエンジンに拒否反応を示しているフェラーリである。ルカ・モンテツェモロはこのエンジンレギュレーションに必ずしも賛同していないことを表明したと報じられているが、それはそうだろう。だって、フェラーリはこれまで4気筒などと云う小さなエンジンを造ったことがないはずだし、大体がだ、4気筒エンジンはフェラーリのイメージにそぐわないだろうと、郷秋<Gauche>だって思う。
フェラーリのエンジンは12気筒。少なくとも8気筒であり、6気筒エンジンは継子扱いだ。V6エンジンが搭載された246GTは「Ferrari」(フェラーリ)とは呼ばれず「Dino 246GT」(ディーノ)であった(ちなみに「ディーノ」は夭折した、エンツォ・フェラーリの長男アルフレード・フェラーリの愛称である)。
V6エンジン搭載車にでさえFerrariの名を冠することをしなかったフェラーリに4気筒のような大衆車のためのエンジンを造り、それをF1マシンに搭載するなど、プライドが許さないのだろう。同時にそんな小さなエンジンを造れないかも知れないと云う不安もあるのか。もっとも排気量だけから云えばV6の1.5Lターボエンジンを造っているが、フェラーリはやはり直4と云うレイアウトが嫌なのだろうな。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、二週間前に出かけた福岡・大分で撮った写真の中から紹介し忘れていた、JR別府駅前にある「ピカピカのおじさん」こと、油屋熊八の銅像。油屋熊八は別府を日本有数の温泉地に育てた観光開発の先達。この人なくして今の別府はなかったと云っても良い人のようである。なかなかのアイデアマンであったらしく、ガイド付きの観光バスを日本で初めて走らせたのも氏が創業した「亀の井バス」。ちなみに郷秋<Gauche>が湯布院から別府まで乗ったのも亀の井バス、地獄巡りの定期観光バスも亀の井バスで、その(年季の入った)ガイド嬢は当時のものだと云う七五調のガイドのセリフを実に巧みに聞かせてくれた。
1980年代にターボ時代の幕を切って落としたのがルノーで、最も大きな成功を収めたのがホンダ、そしていま、過給機付の小排気量エンジンで時代をリードしているのがVW。となればこの3社がエンジンサプライヤーとして登場するのではないかとは、F1にちょっと詳しい人なら誰でもが思いつくシナリオだろう。
一方、過給機付の4気筒1.6リットルエンジンに拒否反応を示しているフェラーリである。ルカ・モンテツェモロはこのエンジンレギュレーションに必ずしも賛同していないことを表明したと報じられているが、それはそうだろう。だって、フェラーリはこれまで4気筒などと云う小さなエンジンを造ったことがないはずだし、大体がだ、4気筒エンジンはフェラーリのイメージにそぐわないだろうと、郷秋<Gauche>だって思う。
フェラーリのエンジンは12気筒。少なくとも8気筒であり、6気筒エンジンは継子扱いだ。V6エンジンが搭載された246GTは「Ferrari」(フェラーリ)とは呼ばれず「Dino 246GT」(ディーノ)であった(ちなみに「ディーノ」は夭折した、エンツォ・フェラーリの長男アルフレード・フェラーリの愛称である)。
V6エンジン搭載車にでさえFerrariの名を冠することをしなかったフェラーリに4気筒のような大衆車のためのエンジンを造り、それをF1マシンに搭載するなど、プライドが許さないのだろう。同時にそんな小さなエンジンを造れないかも知れないと云う不安もあるのか。もっとも排気量だけから云えばV6の1.5Lターボエンジンを造っているが、フェラーリはやはり直4と云うレイアウトが嫌なのだろうな。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、二週間前に出かけた福岡・大分で撮った写真の中から紹介し忘れていた、JR別府駅前にある「ピカピカのおじさん」こと、油屋熊八の銅像。油屋熊八は別府を日本有数の温泉地に育てた観光開発の先達。この人なくして今の別府はなかったと云っても良い人のようである。なかなかのアイデアマンであったらしく、ガイド付きの観光バスを日本で初めて走らせたのも氏が創業した「亀の井バス」。ちなみに郷秋<Gauche>が湯布院から別府まで乗ったのも亀の井バス、地獄巡りの定期観光バスも亀の井バスで、その(年季の入った)ガイド嬢は当時のものだと云う七五調のガイドのセリフを実に巧みに聞かせてくれた。
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