日本で電子書籍が普及しない理由

 アメリカでは随分と一般的になっているらしい電子書籍だが、日本ではなかなか普及しないのだと報じられている。その論調には「電子書籍が普及するのが良い」と云うニュアンスが多分に含まれているような気がして、郷秋としては大いに不満なのだが、それはさて置き、ソニーが12月10日に「リーダー」発売することにより「電子書籍“後進国”(の汚名を)返上?」するのではないかと云う記事が今週の「日経ビジネス」に掲載されていた。

 その記事の中に、郷秋がこれまで気づかなかった切り口の情報があった。日米の(紙に印刷された)書籍を巡る状況だが、まず、人口比で見た書店の数が違うのだと云う。「日経ビジネス」によれば書店1店舗当たりの人口はアメリカの27,000人に対して日本は8,000人なのだとそうだ(ただし、日本でも村内に書店が一軒もないことから村営の書店を作った村もあることは知っておく必要があるだろう)。

 さらに書籍の価格もハードカバーが2千数百円に対して千数百円と、日本ではアメリカの半額に近いし、数百円で買える文庫本や新書も豊富に揃う等、書店と書籍とが身近にあり、かつ低価格であることなどが電子書籍普及の「阻害要因」としてあげられている。確かに日本人にとっての書籍は身近で手軽ものようではある(注:「数百円で買える文庫本や新書」との指摘は筆者の我田引水に過ぎる。もはや文庫も新書も、千円札を出しても返されるつり銭は僅かである)。

 これまで著作権の問題や複雑な流通経路の問題ばかりが「阻害要因」として論じられていたが、本を廉価で手軽に買うことができる環境がアメリカに比して整っているのだとすれば、電子書籍がなくても困らないわけだから普及速度が遅いのも頷ける。

 郷秋はもちろん紙に印刷された本が好きである。「本」は情報ではなく「物」である。物には重みや臭いや感触があり、そこに込められた作り手の想いがある。だから、大切にしたい小説は作者のものだけではない、その本に込められた編集者や装丁作家の想いもまた感じながら、その感触を楽しみながら読みたい。一方、情報だけを得られればそれで良い本もまた存在する。こういった本の場合には検索も自由にでき保管場所の必要がない電子書籍が便利だろう。

 郷秋の好みや想いは再びさて置き、ソニーの「リーダー」が日本にも「新しい本」の時代をもたらすのか、更に長い時間を必要とするのか、しばらくの間、目を離せない本の世界である。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、土曜日に訪れた湯布院での一コマ。

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