唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
日本、38位
世界にはおおよそ190くらいの国があるんじゃないかと思うけど、日本はその中で38位らしい。なにがって、ビールの一人当たりの消費量の話。ただし、国別の総消費量となると、人口が多いことから6位に大躍進するのである。
具体的な数字としては、日本全体の消費量が334.3万KLで世界第6位、一人当たりの消費量が49.6Lで世界38位ということになるらしい(キリンビール調べ、1995年。日本の数字には発泡酒などのビール類を含む)。別に、ビールの消費が多ければ「えらい」というわけでもないだろうけれど、38位と言うのはちょっと悔しいぞ。だいたいがだ、一人当たりの消費量が49.6Lって、そんなに少ないか?
334.3万KLを日本の人口、約1億3千万で割ると約50Lになるのだが、ちょっと待てよ。1億3千万って、生まれたばかりに赤ん坊も含んだ人口じゃないのか。これっておかしいんじゃないのか?だって、日本じゃ二十歳にならないとビールを飲んじゃいけないんだろう。それなのに統計上に「一人当たり」となると、どうして赤ん坊まで入るんだ。一人当たりのビールの消費量なら、20歳以上の人口をベースに計算するべきだろう。
ところで郷秋<Gauche>のビール消費量だが、ベースが1日0.5L×365日として182.5Lだから、この時点で平均的日本人の約3倍だ。更に、1日1Lの日も少なくないし、外で飲む時には2Lくらい飲むことも珍しくないから、年間トータルだと300Lか。一人当たりの消費量世界一のチェコが155.9Lだから、郷秋<Gauche>の場合のビール消費量はビール先進国のチェコ並みってことだな。
アルコール飲料(酒)の消費量はその国の伝統的酒の存在によっても随分と違うんだろうな。現在、我々が飲んでいるビールは19世紀のチェコで誕生したそうだから、チェコにおけるビールは国民的飲み物なんだろう。
日本には伝統的な日本酒や焼酎があるし、ワインもウイスキーも飲む。だから必ずしもビールの消費量だけが多くなるということではないのだろう。食事だって、和食、洋食(イタリア、フランス、ロシア、日本の洋食などなど)、中華を中心にアジア諸国の料理も日常的に食することのできる日本では、その食事にあった酒を飲んでいる。そういう意味では、日本人は世界で一番変化に富んだ料理と酒を楽しんでいるのかも知れないな。
今日の1枚は、冬の散歩道。新しい表現のためのツールでの最初の1枚です。
具体的な数字としては、日本全体の消費量が334.3万KLで世界第6位、一人当たりの消費量が49.6Lで世界38位ということになるらしい(キリンビール調べ、1995年。日本の数字には発泡酒などのビール類を含む)。別に、ビールの消費が多ければ「えらい」というわけでもないだろうけれど、38位と言うのはちょっと悔しいぞ。だいたいがだ、一人当たりの消費量が49.6Lって、そんなに少ないか?
334.3万KLを日本の人口、約1億3千万で割ると約50Lになるのだが、ちょっと待てよ。1億3千万って、生まれたばかりに赤ん坊も含んだ人口じゃないのか。これっておかしいんじゃないのか?だって、日本じゃ二十歳にならないとビールを飲んじゃいけないんだろう。それなのに統計上に「一人当たり」となると、どうして赤ん坊まで入るんだ。一人当たりのビールの消費量なら、20歳以上の人口をベースに計算するべきだろう。
ところで郷秋<Gauche>のビール消費量だが、ベースが1日0.5L×365日として182.5Lだから、この時点で平均的日本人の約3倍だ。更に、1日1Lの日も少なくないし、外で飲む時には2Lくらい飲むことも珍しくないから、年間トータルだと300Lか。一人当たりの消費量世界一のチェコが155.9Lだから、郷秋<Gauche>の場合のビール消費量はビール先進国のチェコ並みってことだな。
アルコール飲料(酒)の消費量はその国の伝統的酒の存在によっても随分と違うんだろうな。現在、我々が飲んでいるビールは19世紀のチェコで誕生したそうだから、チェコにおけるビールは国民的飲み物なんだろう。
日本には伝統的な日本酒や焼酎があるし、ワインもウイスキーも飲む。だから必ずしもビールの消費量だけが多くなるということではないのだろう。食事だって、和食、洋食(イタリア、フランス、ロシア、日本の洋食などなど)、中華を中心にアジア諸国の料理も日常的に食することのできる日本では、その食事にあった酒を飲んでいる。そういう意味では、日本人は世界で一番変化に富んだ料理と酒を楽しんでいるのかも知れないな。
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写真は真実を伝えているか
「写真は真実を伝えているか」と聞かれた時、その答えは「YesでもありNoでもある」という、実に曖昧なものとならざるを得ない。
何故か。写真に写っているもの、それ自体は間違いのない事実ではあるが、撮影者がある意図(「思い」と言い換えてもよい)を持って撮影したものである以上、同じ場所で同じ被写体を撮影したとしても、撮影者(の意図)により、出来上がった写真はそれぞれ違ったものとなり、それぞれ違った事実を伝えることになる。
写真1
写真1を見ていただきたい。盛りは過ぎたけれど、微かな温かみを残す静かな秋のワンシーンである。写真2はどうか。冬枯れの樹木と白い建物。いかにも寒々とした冬の絵だ。
写真2
実はこの2枚の写真は同じ時、ほぼ同じ場所で撮影したものである。撮影時の立ち位置は3メートルと離れていない。そのことは共に写っている尖頭アーチの窓の形からご理解いただけることだろう。しかし、2枚の写真が伝えるのは、一方は秋でありもう一方は冬。二つの違った季節。そしてそのどちらもが事実なのである。
写真はその文字の通り、真実を伝える。ただし、それは撮影者のある意図(思い)に基づいた真実なのである。まだ秋は終わっていないのだと言いたいのか、いや、もう冬なのだと言いたいのか。写真にとって最も大切なことは、高級(同時に高価)なカメラや高度な撮影技術なのではなく、見る人に何を伝えたいのかという撮影者の意思なのである。もちろん高級なカメラや高度なテクニックは撮影者の意図通りの写真を作ることを助けてはくれるが、それ自体が良い写真を作ってくれるものではないことに気づいていない写真(カメラ)愛好家が多いように思えてならない。
注:今日の写真は、共にいつもの東京都下某所で撮影したもの。
何故か。写真に写っているもの、それ自体は間違いのない事実ではあるが、撮影者がある意図(「思い」と言い換えてもよい)を持って撮影したものである以上、同じ場所で同じ被写体を撮影したとしても、撮影者(の意図)により、出来上がった写真はそれぞれ違ったものとなり、それぞれ違った事実を伝えることになる。
写真1
写真1を見ていただきたい。盛りは過ぎたけれど、微かな温かみを残す静かな秋のワンシーンである。写真2はどうか。冬枯れの樹木と白い建物。いかにも寒々とした冬の絵だ。
写真2
実はこの2枚の写真は同じ時、ほぼ同じ場所で撮影したものである。撮影時の立ち位置は3メートルと離れていない。そのことは共に写っている尖頭アーチの窓の形からご理解いただけることだろう。しかし、2枚の写真が伝えるのは、一方は秋でありもう一方は冬。二つの違った季節。そしてそのどちらもが事実なのである。
写真はその文字の通り、真実を伝える。ただし、それは撮影者のある意図(思い)に基づいた真実なのである。まだ秋は終わっていないのだと言いたいのか、いや、もう冬なのだと言いたいのか。写真にとって最も大切なことは、高級(同時に高価)なカメラや高度な撮影技術なのではなく、見る人に何を伝えたいのかという撮影者の意思なのである。もちろん高級なカメラや高度なテクニックは撮影者の意図通りの写真を作ることを助けてはくれるが、それ自体が良い写真を作ってくれるものではないことに気づいていない写真(カメラ)愛好家が多いように思えてならない。
注:今日の写真は、共にいつもの東京都下某所で撮影したもの。
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日本の首都は京都?!
日本の首都が東京であるなんてことは、小学生でも知っているだろう。海外においても東京が日本の首都であることはそれなりに認知されていることと思うけれど、ところがどっこい、京都こそが日本に首都であるという「説」があるらしい。
こんな説が出てくるのは、東京が首都であると直接に規定した法律がないことが原因らしい。首都建設法(昭和25年法律第219号、現在は廃止)に「東京都を(中略)首都として(中略)建設する」という記述があったようだが、首都そのものについて定義する法律が存在しないために、この法律によって日本の首都が東京であると規定されているものではないということらしい。(この法律の「東京都を」という部分はちょっと気になる。これで行くと日本の首都は福島「県」ではなく東京「都」と言うことになる。首都と言うのは郷秋<Gauche>の理解では一つの都市。都市としての東京はやはり23の特別区のことなんじゃないかな)
上段に書いたのは東京が日本の首都ではないという根拠だが、積極的に京都こそが日本の首都であるという根拠(らしいものが)ある。これにはちょっと驚いた。こういう説だ。
西暦794年(延暦13年)に時の天皇、桓武天皇が「遷都の詔(みことのり)」を発したことにより平安京、つまり今の京都が日本の首都となった。それ以降に「遷都の詔」、つまり首都を変えるという詔書(しょうしょ。天皇の言葉、あるいは天皇の命令を伝える公文書)が出されていないから、いまだもって西暦794年の「遷都の詔」によって規定された京都こそが日本の首都であるというのである。西暦794年って、1200年も前のことだぞ。さすが歴史ある日本国。そんじょそこいらの新興国とは訳が違うな。
ただ、この京都こそが日本の首都である説には随分と無理があるんじゃないかと思う郷秋<Gauche>なのである。なぜならば、桓武天皇が「遷都の詔」を発したときに、今で言う「日本国」といい概念があったのかという問題だ。つまり、「自分の勢力の範囲」の中心地として平安京を都と定めたに過ぎないのではないかという疑問である。
もう一つの疑問は、この説が天皇が日本を統治しているという、天皇制を前提としていると言うことだな。敗戦(終戦)時まではそれでよかったとしても、天皇が「象徴」であると定められた時点で桓武天皇が発した「遷都の詔」は無効なんじゃないだろうか。つまりその時点で、京都が日本の首都であるという根拠が失われたと考えるべきじゃないかな。
そんなこんなを思うにつけ、東京が日本の首都である根拠が明確ではないというのに、ちょっと前に随分と盛り上がった「首都移転」っていったいなんだったんだろかと思わずにはいられないけど、これ以上考えていると眠れなくなりそうなのでこの当たりで止めておこっと。
今日の1枚は、以前に似たような写真を掲載しているので二番煎じのようでちょっと気が引けるのですが、あれから2週間後の恩田の森です。
こんな説が出てくるのは、東京が首都であると直接に規定した法律がないことが原因らしい。首都建設法(昭和25年法律第219号、現在は廃止)に「東京都を(中略)首都として(中略)建設する」という記述があったようだが、首都そのものについて定義する法律が存在しないために、この法律によって日本の首都が東京であると規定されているものではないということらしい。(この法律の「東京都を」という部分はちょっと気になる。これで行くと日本の首都は福島「県」ではなく東京「都」と言うことになる。首都と言うのは郷秋<Gauche>の理解では一つの都市。都市としての東京はやはり23の特別区のことなんじゃないかな)
上段に書いたのは東京が日本の首都ではないという根拠だが、積極的に京都こそが日本の首都であるという根拠(らしいものが)ある。これにはちょっと驚いた。こういう説だ。
西暦794年(延暦13年)に時の天皇、桓武天皇が「遷都の詔(みことのり)」を発したことにより平安京、つまり今の京都が日本の首都となった。それ以降に「遷都の詔」、つまり首都を変えるという詔書(しょうしょ。天皇の言葉、あるいは天皇の命令を伝える公文書)が出されていないから、いまだもって西暦794年の「遷都の詔」によって規定された京都こそが日本の首都であるというのである。西暦794年って、1200年も前のことだぞ。さすが歴史ある日本国。そんじょそこいらの新興国とは訳が違うな。
ただ、この京都こそが日本の首都である説には随分と無理があるんじゃないかと思う郷秋<Gauche>なのである。なぜならば、桓武天皇が「遷都の詔」を発したときに、今で言う「日本国」といい概念があったのかという問題だ。つまり、「自分の勢力の範囲」の中心地として平安京を都と定めたに過ぎないのではないかという疑問である。
もう一つの疑問は、この説が天皇が日本を統治しているという、天皇制を前提としていると言うことだな。敗戦(終戦)時まではそれでよかったとしても、天皇が「象徴」であると定められた時点で桓武天皇が発した「遷都の詔」は無効なんじゃないだろうか。つまりその時点で、京都が日本の首都であるという根拠が失われたと考えるべきじゃないかな。
そんなこんなを思うにつけ、東京が日本の首都である根拠が明確ではないというのに、ちょっと前に随分と盛り上がった「首都移転」っていったいなんだったんだろかと思わずにはいられないけど、これ以上考えていると眠れなくなりそうなのでこの当たりで止めておこっと。
今日の1枚は、以前に似たような写真を掲載しているので二番煎じのようでちょっと気が引けるのですが、あれから2週間後の恩田の森です。
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F5がFM3Aより安いって
本当かしらん。F5がF100よりもちょっと高いくらいまで値崩れしているって本当でしょか。もちろんF4なんかは暫く前からF3より安かったし。
つまり、F6(現行F一桁)>FM3A>F5>=F100>F3>F4 と言うのが今の中古Nikon(ニコン)の価格らしい。こうなるとついついF5が欲しくなってしまうのが悪い癖。だめだめ、SIGMAの10-20を注文しちゃったんだから。
今日の1枚は、もみじ落ち葉。
つまり、F6(現行F一桁)>FM3A>F5>=F100>F3>F4 と言うのが今の中古Nikon(ニコン)の価格らしい。こうなるとついついF5が欲しくなってしまうのが悪い癖。だめだめ、SIGMAの10-20を注文しちゃったんだから。
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片山右京講師
今日はクルマの運転免許の更新に行って来ました。もちろん郷秋<Gauche>は優良運転手ですので5年ぶりの更新なのですが、受付をして視力の検査までの間に見るように言われた安全運転に関するビデオ番組がちょっとビックリの代物でした。のっけからトヨタF1が画面に登場するんですから。
ちょっと前までのこの手のビデオは、悲惨な事故を再現するシーンや事故でぐちゃぐちゃになったクルマなど、いい加減にしろよ!という内容だったけど、今日のものは、少しは見てもいいかな?という内容のものでした。約30分の番組の「講師役」を勤めるのが、(元?)レーシングドライバー、片山右京氏であったのには、びっくり驚きました。
しかも、コーナリングの途中でテールが流れ出した時のカウンターの当て方の説明まであるんだから驚きです。時代も変わったものだとつくづく思った次第。もっとも、ビデオでの短時間の説明だけでカウンターを当てられるようになるとは思えないけど(郷秋<Gauche>は、レーシングカートで鍛えましたのでちゃんとカウンターを当てることができます)。
「パニック・ブレーキ」の必要性についても説明していました。今時ですからABS装置装着を前提に、ブレーキペダルをとにかく強く踏むことを勧めていました。確かに一般ドライバーと片山氏の停止距離の違いは歴然でした。こういうものもカウンターステアと同じで普通のドライバーにとっては練習しろと言われても無理ですから、ABSとセットで、パニック・ブレーキを電子的に感知して強力なブレーキ操作をアシストする装置が必要なのかも知れません。
それにしても、のっけからトヨタF1が画面に登場したりで、ちょっとビックリの安全運転講習用ビデオでした。もちろん「協力:トヨタ自動車」の文字がしっかり入っていましたが。
今日も郷秋<Gauche>お気に入りの散歩道。なるせの森の尾根道です。
ちょっと前までのこの手のビデオは、悲惨な事故を再現するシーンや事故でぐちゃぐちゃになったクルマなど、いい加減にしろよ!という内容だったけど、今日のものは、少しは見てもいいかな?という内容のものでした。約30分の番組の「講師役」を勤めるのが、(元?)レーシングドライバー、片山右京氏であったのには、びっくり驚きました。
しかも、コーナリングの途中でテールが流れ出した時のカウンターの当て方の説明まであるんだから驚きです。時代も変わったものだとつくづく思った次第。もっとも、ビデオでの短時間の説明だけでカウンターを当てられるようになるとは思えないけど(郷秋<Gauche>は、レーシングカートで鍛えましたのでちゃんとカウンターを当てることができます)。
「パニック・ブレーキ」の必要性についても説明していました。今時ですからABS装置装着を前提に、ブレーキペダルをとにかく強く踏むことを勧めていました。確かに一般ドライバーと片山氏の停止距離の違いは歴然でした。こういうものもカウンターステアと同じで普通のドライバーにとっては練習しろと言われても無理ですから、ABSとセットで、パニック・ブレーキを電子的に感知して強力なブレーキ操作をアシストする装置が必要なのかも知れません。
それにしても、のっけからトヨタF1が画面に登場したりで、ちょっとビックリの安全運転講習用ビデオでした。もちろん「協力:トヨタ自動車」の文字がしっかり入っていましたが。
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ついつい・・・
買っちゃうんです。何がって、「ニコン本」。
今日買ってしまったのは「究極のニコンカメラ」(えい出版社 2006年12月30日発行、って、まだは発売日前じゃん。本体1,500円)。似たような本はもう何冊も持っているから内容的な目新しさはまったくないけれど、ついつい買っちゃうんです。ある種の病気かな?
表紙は真正面からずばりと捕らえたF3。F3と言えばHP(ハイアイポイント)が一般的だと思うけれど、表紙の写真はアイレベルファインダー装着のF3だ。機能的には(特にメガネが必要な郷秋<Gauche>には)もちろんHPの方が優れていると思うけれど、デザイン的にはアイレベルファインダー付きの方がいい。
それはそうだ。だって、ジウジアーロがデザインしたのはアイレベルファインダー付きのF3なんだから。アイポイントを高くしようとしたところがペンタプリズムが大きく、背が高くなってしまい、結果見た目のバランスが悪くなってしまったんだな。
かく言う郷秋<Gauche>のF3も買ったときにはHPだったけれど、すぐにアイレベルファインダーを手に入れている。撮影にメガネ(近眼です。為念)が必要な郷秋<Gauche>としては絶対にHPの方が使いやすいんだけど、デザイン優先の「やせ我慢」です。
今日の1枚は、かつらの森の雑木林。大好きな散歩道。
今日買ってしまったのは「究極のニコンカメラ」(えい出版社 2006年12月30日発行、って、まだは発売日前じゃん。本体1,500円)。似たような本はもう何冊も持っているから内容的な目新しさはまったくないけれど、ついつい買っちゃうんです。ある種の病気かな?
表紙は真正面からずばりと捕らえたF3。F3と言えばHP(ハイアイポイント)が一般的だと思うけれど、表紙の写真はアイレベルファインダー装着のF3だ。機能的には(特にメガネが必要な郷秋<Gauche>には)もちろんHPの方が優れていると思うけれど、デザイン的にはアイレベルファインダー付きの方がいい。
それはそうだ。だって、ジウジアーロがデザインしたのはアイレベルファインダー付きのF3なんだから。アイポイントを高くしようとしたところがペンタプリズムが大きく、背が高くなってしまい、結果見た目のバランスが悪くなってしまったんだな。
かく言う郷秋<Gauche>のF3も買ったときにはHPだったけれど、すぐにアイレベルファインダーを手に入れている。撮影にメガネ(近眼です。為念)が必要な郷秋<Gauche>としては絶対にHPの方が使いやすいんだけど、デザイン優先の「やせ我慢」です。
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ホンダジェット、受注好調
度々書いているホンダジェットだが(最近の記事はこちら)、10月に開始したアメリカでの受注が好調で、わずか1ヶ月と少しで既に100機を上回っているのだと言う。
ホンダ・エアクラフト・カンパニーでは2010年をめどにアメリカ国内の工場で年間70機程を製造する予定であったらしいが、既にその年間製造台数を上回る受注により、増産に向けて当初の計画の見直しをはじめているらしい。
ビジネスジェットに新規参入のホンダであるのに、随分と対したものであるが、これもこれまでクルマで培ってきたブランドイメージに支えられてもののなんだろうな。F1ではクルマの売れ行きに貢献できるほどの成績をなかなか上げることのできないホンダだけれど、クルマとビジネスジェットでは早くも相乗効果を挙げていると言ってよいのかもしれないな。
今日の1枚は、東京都下某所の石段に降り積もる落ち葉、その弐。
今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now
ホンダ・エアクラフト・カンパニーでは2010年をめどにアメリカ国内の工場で年間70機程を製造する予定であったらしいが、既にその年間製造台数を上回る受注により、増産に向けて当初の計画の見直しをはじめているらしい。
ビジネスジェットに新規参入のホンダであるのに、随分と対したものであるが、これもこれまでクルマで培ってきたブランドイメージに支えられてもののなんだろうな。F1ではクルマの売れ行きに貢献できるほどの成績をなかなか上げることのできないホンダだけれど、クルマとビジネスジェットでは早くも相乗効果を挙げていると言ってよいのかもしれないな。
今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now
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老後の楽しみ
11月30日にヘレス・サーキットで行われたテストでマクラーレンをドライブしたミカ・ハッキネンが、再度テスト走行したい、あるいはするのではないかという憶測が流れていたが、残念ながらヘレスでのテスト3日目となった8日にもミカが登場することはなかった。
データ収集のためのテストとなれば、ある程度以上の速さを持つドライバーであれば、基本的には誰でも良いと言える訳だから今後もミカ登場の可能性がないわけではない。と思っていたら、ここに来て驚きのニュースが!
トロ・ロッソのオーナーの一人であるゲルハルト・ベルガーが自身のチームのドライバーとしてミカにオファーを出しているというのである。確かに、先日FIAが発表したドライバーのリストによればトロ・ロッソのドライバーは2人とも未定となっていた。だからこそそんな憶測をよんだのだろう。
2006年、レッド・ブルの2005年用シャーシでエントリーしたトロ・ロッソであったが、コスワースV10エンジンの使用が認められたために、当初の予想以上のリザルトで2006年を終了することができたが、トロ・ロッソは所詮は下位チーム。そのトロ・ロッソのシートにミカが収まる可能性があるのかないのかと言うことになるのだが、郷秋<Gauche>は「あるかもしれない」と読んでいる。
なぜなら、ミカとしては、たとえテールエンダーであったとしても、再びF1で走る喜びを得られること。ミカのフィニッシュが常に最後尾であったとしても、それは彼の老後の楽しみであり、2年連続のワールドチャンピョンに名を汚すものではないと誰もが理解していること。そして、チームとしては、ビッグネームがフルシーズン参戦することにより大口のスポンサーを獲得できる可能性が高まることからである。
F1の世界は海千山千、魑魅魍魎の世界であり、いつ何があっても不思議ではない。トロ・ロッソの2つのドライバーズシートが空席であることから沸きあがってきた噂ではあるけれど、面白じゃないか。なんなら、ミカとジャン・アレジのコンビってのはどうだ。チームの資金が途端に潤沢になり、兄貴チームを追い越すほどになるかも知れないぞ。
今日の1枚は、東京都下某所の石段に降り積もる落ち葉
データ収集のためのテストとなれば、ある程度以上の速さを持つドライバーであれば、基本的には誰でも良いと言える訳だから今後もミカ登場の可能性がないわけではない。と思っていたら、ここに来て驚きのニュースが!
トロ・ロッソのオーナーの一人であるゲルハルト・ベルガーが自身のチームのドライバーとしてミカにオファーを出しているというのである。確かに、先日FIAが発表したドライバーのリストによればトロ・ロッソのドライバーは2人とも未定となっていた。だからこそそんな憶測をよんだのだろう。
2006年、レッド・ブルの2005年用シャーシでエントリーしたトロ・ロッソであったが、コスワースV10エンジンの使用が認められたために、当初の予想以上のリザルトで2006年を終了することができたが、トロ・ロッソは所詮は下位チーム。そのトロ・ロッソのシートにミカが収まる可能性があるのかないのかと言うことになるのだが、郷秋<Gauche>は「あるかもしれない」と読んでいる。
なぜなら、ミカとしては、たとえテールエンダーであったとしても、再びF1で走る喜びを得られること。ミカのフィニッシュが常に最後尾であったとしても、それは彼の老後の楽しみであり、2年連続のワールドチャンピョンに名を汚すものではないと誰もが理解していること。そして、チームとしては、ビッグネームがフルシーズン参戦することにより大口のスポンサーを獲得できる可能性が高まることからである。
F1の世界は海千山千、魑魅魍魎の世界であり、いつ何があっても不思議ではない。トロ・ロッソの2つのドライバーズシートが空席であることから沸きあがってきた噂ではあるけれど、面白じゃないか。なんなら、ミカとジャン・アレジのコンビってのはどうだ。チームの資金が途端に潤沢になり、兄貴チームを追い越すほどになるかも知れないぞ。
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クロススクリーン+手持ち1/4秒
この季節、どうしてもクリスマスのイルミネーションを撮ってみたくなりますよね。暗いから三脚が欲しいけれど、面倒。ファンタジックに撮りたいからクロススクリーンが欲しい。ということで、仕事帰りにクロススクリーンのフィルターを買ってきてさっそく試してみたのが今日の一枚(72mmだと結構な値段でした)。
確かに「キラ~ン」になっていますね。で、問題は三脚無しだとどうなるかということ。「結果オーライ」でしたが、なんと1/4秒なんです。ISOは1600にセットましたのでディスプレイ上では目立ちませんが、かなりノイズが出ているはずです。それにしても1/4秒でほとんどブレが気にならないって、VRⅡの実力はたいしたものですね。
今日の1枚は、我が家の今年のクリスマス・リース
確かに「キラ~ン」になっていますね。で、問題は三脚無しだとどうなるかということ。「結果オーライ」でしたが、なんと1/4秒なんです。ISOは1600にセットましたのでディスプレイ上では目立ちませんが、かなりノイズが出ているはずです。それにしても1/4秒でほとんどブレが気にならないって、VRⅡの実力はたいしたものですね。
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ハッキネン、再度のテストか
マクラーレンをドライブして1999年・2000年、2年連続のワールドチャンピョンに輝いたミカ・ハッキネンが、2001年の引退以来5年振りにF1をドライブしたことは、F1ファンであれば先刻ご存知のことと思うが、そのハッキネンが、次の合同テストで再度MP4-21のステアリングを握ることの望んでいるようである。
11月30日にヘレス・サーキットで行われたテストではトップのルカ・バドエル(フェラーリ)の3.023秒遅れ(同じMP4-21に乗るルイス・ハミルトンの2.263秒遅れ)、参加18台中最下位のタイムを記録したハッキネンだったが、ワールドチャンピョンの意地でこの借りを返したいと言うことなのか。フルタンクであると同時にタイヤが1セットのみであったというエクスキューズが伝えられているが、果たして雪辱はなるか。
今日の1枚は、東京都下某所の紅葉。
11月30日にヘレス・サーキットで行われたテストではトップのルカ・バドエル(フェラーリ)の3.023秒遅れ(同じMP4-21に乗るルイス・ハミルトンの2.263秒遅れ)、参加18台中最下位のタイムを記録したハッキネンだったが、ワールドチャンピョンの意地でこの借りを返したいと言うことなのか。フルタンクであると同時にタイヤが1セットのみであったというエクスキューズが伝えられているが、果たして雪辱はなるか。
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郷秋<Gauche>の「お薦めクリスマス・アルバム」
大変長らくお待たせいたしました。郷秋<Gauche>の「お薦めクリスマス・アルバムBest 30」 2006-2007年シーズン版がオープンいたしました。例年は11月中~下旬にオープンしていますので約半月遅れですが、今年は3枚の新顔を取り揃えてのオープンです。
とは言いながら、バブル期(古い!)には趣向を凝らしたアルバムが続々と登場したものですが、ここ数年は不作続きと言うのが郷秋<Gauche>の偽らざる感想です。もっともオリジナリティを出しにくいのがクリスマス・アルバムの特徴でもありますから仕方がないのかも知れませんね。
ですから、残念ながら今年登場の3タイトルはいずれも「星はひとつ」。絶対に外したくないという方は、どうぞ星5つあるいは4つの中からお選びください。後悔はさせません。お好みのジャンルがはっきりしている方は星3つの中から選んでも失敗はないはずです。
あえて「不作」と言わせていただく今シーズン、「これはお薦め!」というアルバムをご存知の方はぜひ郷秋<Gauche>に教えてやってくださいな。郷秋<Gauche>の好みに合えば、「お薦めクリスマス・アルバムBest 30」で紹介させていただきます。
今日の1枚は、東京都下某所の銀杏(いちょう)の絨毯。
[Christmas/Album/CD/音楽/聖夜/ジャズ/ヴォーカル/コーラス/ゴスペル]
とは言いながら、バブル期(古い!)には趣向を凝らしたアルバムが続々と登場したものですが、ここ数年は不作続きと言うのが郷秋<Gauche>の偽らざる感想です。もっともオリジナリティを出しにくいのがクリスマス・アルバムの特徴でもありますから仕方がないのかも知れませんね。
ですから、残念ながら今年登場の3タイトルはいずれも「星はひとつ」。絶対に外したくないという方は、どうぞ星5つあるいは4つの中からお選びください。後悔はさせません。お好みのジャンルがはっきりしている方は星3つの中から選んでも失敗はないはずです。
あえて「不作」と言わせていただく今シーズン、「これはお薦め!」というアルバムをご存知の方はぜひ郷秋<Gauche>に教えてやってくださいな。郷秋<Gauche>の好みに合えば、「お薦めクリスマス・アルバムBest 30」で紹介させていただきます。
[Christmas/Album/CD/音楽/聖夜/ジャズ/ヴォーカル/コーラス/ゴスペル]
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F1 2007年シーズン暫定エントリーリスト
暫定とは言え、来年のエントリーチームのドライバーのラインナップが発表になった(-->Click!)。
まだドライバーが決まっていないのはトロ・ロッソの2人とスパイカーの1だけで、22あるレースドライバーのシートの19は座るべき人がすでに決まっている(No.23まであるのはNo.13を除いてあるため)。
驚くべきは、ルノーとマクラーレンの2チームにF1ではまったくの新人が抜擢されていること。チーム毎の序列が明確なF1においては、新人はまず下位チームからデビューし、その力を評価されたドライバーは次第に上位チームに移っていくのが定石である(はずだ)。
デビューの翌年、上位チームに移籍するものもいれば、シーズン途中で移籍する場合もあるが、これはそのドライバーの実力次第というところだ。その最たる例が1991年にジョーダン・フォードでF1にデビューした新人がその次のGPウイークには上位(当時は中堅)チームに移籍したというものだろう。その新人とはもちろんミヒャエル・シューマッハのことだ。
新人ドライバーとしては、持参金があれば乗せてもらえる下位チームにまずはもぐ込むことが大切なことなのだが、チームとしても才能ある若いドライバーを自チームからデビューさせ、その才能に目をつけた上位チームに高く売り払いチームの運営資金を得ようという魂胆があるのだ。下位チームはそうしてチームを運営しているわけだ。
ところがだ、今年はいきなりトップチームからデビューと言うシンデレラ・ボーイが2人もいるから驚きだ。ルイス・ハミルトン(マクラーレン)とヘイキ・コバライネン(ルノー)の2人がこれまでのカテゴリーで光る走りを見せていたことは確かだけれど、果たしてF1でもその速さを発揮できるのか。F1での速さを証明済みでありながら中堅・下位チームに甘んじるドライバーと果たして対等に戦えるのか、注目のドライバーたちである。
今日の1枚は、晩秋の雑木林を見上げるの図。先週撮影したものですが、まだ空の大部分はクヌギとコナラの葉で隠されています。
まだドライバーが決まっていないのはトロ・ロッソの2人とスパイカーの1だけで、22あるレースドライバーのシートの19は座るべき人がすでに決まっている(No.23まであるのはNo.13を除いてあるため)。
驚くべきは、ルノーとマクラーレンの2チームにF1ではまったくの新人が抜擢されていること。チーム毎の序列が明確なF1においては、新人はまず下位チームからデビューし、その力を評価されたドライバーは次第に上位チームに移っていくのが定石である(はずだ)。
デビューの翌年、上位チームに移籍するものもいれば、シーズン途中で移籍する場合もあるが、これはそのドライバーの実力次第というところだ。その最たる例が1991年にジョーダン・フォードでF1にデビューした新人がその次のGPウイークには上位(当時は中堅)チームに移籍したというものだろう。その新人とはもちろんミヒャエル・シューマッハのことだ。
新人ドライバーとしては、持参金があれば乗せてもらえる下位チームにまずはもぐ込むことが大切なことなのだが、チームとしても才能ある若いドライバーを自チームからデビューさせ、その才能に目をつけた上位チームに高く売り払いチームの運営資金を得ようという魂胆があるのだ。下位チームはそうしてチームを運営しているわけだ。
ところがだ、今年はいきなりトップチームからデビューと言うシンデレラ・ボーイが2人もいるから驚きだ。ルイス・ハミルトン(マクラーレン)とヘイキ・コバライネン(ルノー)の2人がこれまでのカテゴリーで光る走りを見せていたことは確かだけれど、果たしてF1でもその速さを発揮できるのか。F1での速さを証明済みでありながら中堅・下位チームに甘んじるドライバーと果たして対等に戦えるのか、注目のドライバーたちである。
今日の1枚は、晩秋の雑木林を見上げるの図。先週撮影したものですが、まだ空の大部分はクヌギとコナラの葉で隠されています。
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クリスマス
今年はいつもより遅く、12月になってようやくクリスマスがやってきましたと書くと、えっ!と思われる方も多いと思います。なんだか毎年書いているようでちょっと気が引けるのですが、今年も少しだけ書いておきたいと思います。
クリスマスは、多くの方がご存知の通りイエス・キリストの誕生日であるとされている日です。「あるとされている」と書いたのには、実はイエスの誕生日には諸説があるからなのですが、一般的には12月25日がその日だと信じられています。ですから12月25日がクリスマス、つまり降誕祭(こうたんさい)ですね。
で、このクリスマスの前にクリスマスを待つ時期があるのです。これを待降節(たいこうせつ。アドベントとも)と言います。漢字を見ていただければその意味がお判りだと思いますが、「降誕を待つ時期」という意味ですね。この待降節はクリスマスの3週間前にはじまります。
ただ、その「3週間前」の数え方がちょっとややこしいのです。今年のカレンダーで説明しますね。今年のクリスマス、つまり12月25日は月曜日ですが、その前の日曜日を待降節第4の主日(日曜日)と言います。前の週の日曜日が第3、その前が第2で第1の主日(日曜日)が12月3日となり、この日からクリスマスが始まるのです。つまり12月25日の直前の日曜日の3週間前からクリスマス(待降節)が始まるのです。
今年は25日が月曜ですから3週間と1日前からクリスマスと言うことになり、曜日廻りの関係で一番遅いクリスマスの始まりとなります。逆に25日が日曜日ですとその前の日曜日の3週間前の日曜日が待降節第1の主日となり、25日の4週間前、つまり11月の最後の日曜日からから「クリスマス週間」に入ることになります。11月最後の日曜日あたりにクリスマスツリーの点灯式が行われたりするのは、一番早いクリスマスの始まりを毎年採用していると言うことなのでしょう。
さて、クリスマスの終わりはと言えば、実は25日ではないのです。正解は1月6日です。キリストは12月25日にベツレヘムで生まれたとされているわけですが、このときに天に輝いた星に導かれた3人の博士が、ベツレヘムの馬小屋の、飼い葉桶の中で眠るイエスの元にたどり着いたのが1月6日なのです。つまりようやくこの日になってイエスの誕生、そして存在が人に知られることになったわけです。ですから公現日。この日をもってクリスマスが終わることになります。したがってクリスマスを祝うツリーやリースは1月6日まで飾っておくと言うことになります。
でも、日本の多くの家庭や商店では26日の朝にはクリスマスの飾りはすっかり取り払われ、新しい年の(日本の)神様(歳神様)を迎えるための門松が飾られることになります。唯一神であるキリスト教の神様のひとり子であるイエスも、日本では八百万の神の一つと考えられているのかも知れませんね。
今日は蛇足の1枚。東京都下某所の頭上を覆う紅葉です。
クリスマスは、多くの方がご存知の通りイエス・キリストの誕生日であるとされている日です。「あるとされている」と書いたのには、実はイエスの誕生日には諸説があるからなのですが、一般的には12月25日がその日だと信じられています。ですから12月25日がクリスマス、つまり降誕祭(こうたんさい)ですね。
で、このクリスマスの前にクリスマスを待つ時期があるのです。これを待降節(たいこうせつ。アドベントとも)と言います。漢字を見ていただければその意味がお判りだと思いますが、「降誕を待つ時期」という意味ですね。この待降節はクリスマスの3週間前にはじまります。
ただ、その「3週間前」の数え方がちょっとややこしいのです。今年のカレンダーで説明しますね。今年のクリスマス、つまり12月25日は月曜日ですが、その前の日曜日を待降節第4の主日(日曜日)と言います。前の週の日曜日が第3、その前が第2で第1の主日(日曜日)が12月3日となり、この日からクリスマスが始まるのです。つまり12月25日の直前の日曜日の3週間前からクリスマス(待降節)が始まるのです。
今年は25日が月曜ですから3週間と1日前からクリスマスと言うことになり、曜日廻りの関係で一番遅いクリスマスの始まりとなります。逆に25日が日曜日ですとその前の日曜日の3週間前の日曜日が待降節第1の主日となり、25日の4週間前、つまり11月の最後の日曜日からから「クリスマス週間」に入ることになります。11月最後の日曜日あたりにクリスマスツリーの点灯式が行われたりするのは、一番早いクリスマスの始まりを毎年採用していると言うことなのでしょう。
さて、クリスマスの終わりはと言えば、実は25日ではないのです。正解は1月6日です。キリストは12月25日にベツレヘムで生まれたとされているわけですが、このときに天に輝いた星に導かれた3人の博士が、ベツレヘムの馬小屋の、飼い葉桶の中で眠るイエスの元にたどり着いたのが1月6日なのです。つまりようやくこの日になってイエスの誕生、そして存在が人に知られることになったわけです。ですから公現日。この日をもってクリスマスが終わることになります。したがってクリスマスを祝うツリーやリースは1月6日まで飾っておくと言うことになります。
でも、日本の多くの家庭や商店では26日の朝にはクリスマスの飾りはすっかり取り払われ、新しい年の(日本の)神様(歳神様)を迎えるための門松が飾られることになります。唯一神であるキリスト教の神様のひとり子であるイエスも、日本では八百万の神の一つと考えられているのかも知れませんね。
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