荒れに荒れた年末年始だった。年末には娘が東京から帰省したが、信越線が強風のため不通となっていたため、長岡駅まで車で迎えに行くはめになった。雪が最も激しく降っている時間で、車を運転していて、久し振りに目の前がほとんど見えないという恐ろしい体験をすることになった。
荒れたのは天候だけではなかった。家にたどり着いた娘が、ぐったりしているので熱を測ると、三十九℃もあった。インフルエンザの疑いがあるので、病院に電話したが、すぐに診察してもインフルエンザかどうか判断できないとのことで、翌日の診察を待った。
新型インフルエンザだった。車の中の密閉された空間に一時間近くも一緒にいたし、これからも一緒に過ごすことになる。多分自分も感染するだろう。もしそうなったら取材もできないし、新年早々の号は休刊にせざるを得ない。ほとんどあきらめの境地だった。
ある人の務め先では、家族が発症した場合、三日間出勤を禁じているという。“そうか、三日間が目安なのか”と思い、まめに体温を測ることにした。三日間平熱が続いたが、何となく頭が重い。何をする気も起きない。しかし体温は上がらない。なんとかなりそうだ。
四日目の昼に体温を測った時、一回目三十六・八℃、二回目三十七・一℃、三回目三十七・三℃で、“これはやばい”と思った。一時間ほどの間にどんどん体温が上昇している。“感染したな”と観念した。しかし、さらに一時間後に測ると、平熱に戻っていた。昼に食べた温かいうどんが体温を上昇させたらしい。
すでに、娘の発症から五日を経過。本人も快方に向かい、自分の体調にも異変はない。頭の重さもなくなった。長く生きてきたから、多分免疫があったのだろう。“さあ、張り切っていこう”と思うが、相変わらず荒天は続いている。こんな正月は嫌いだ。
荒れたのは天候だけではなかった。家にたどり着いた娘が、ぐったりしているので熱を測ると、三十九℃もあった。インフルエンザの疑いがあるので、病院に電話したが、すぐに診察してもインフルエンザかどうか判断できないとのことで、翌日の診察を待った。
新型インフルエンザだった。車の中の密閉された空間に一時間近くも一緒にいたし、これからも一緒に過ごすことになる。多分自分も感染するだろう。もしそうなったら取材もできないし、新年早々の号は休刊にせざるを得ない。ほとんどあきらめの境地だった。
ある人の務め先では、家族が発症した場合、三日間出勤を禁じているという。“そうか、三日間が目安なのか”と思い、まめに体温を測ることにした。三日間平熱が続いたが、何となく頭が重い。何をする気も起きない。しかし体温は上がらない。なんとかなりそうだ。
四日目の昼に体温を測った時、一回目三十六・八℃、二回目三十七・一℃、三回目三十七・三℃で、“これはやばい”と思った。一時間ほどの間にどんどん体温が上昇している。“感染したな”と観念した。しかし、さらに一時間後に測ると、平熱に戻っていた。昼に食べた温かいうどんが体温を上昇させたらしい。
すでに、娘の発症から五日を経過。本人も快方に向かい、自分の体調にも異変はない。頭の重さもなくなった。長く生きてきたから、多分免疫があったのだろう。“さあ、張り切っていこう”と思うが、相変わらず荒天は続いている。こんな正月は嫌いだ。
(越後タイムス1月8日「週末点描」より)