また“あの日”がやって来る。新潟県中越沖地震発生の七月十六日午前十時十三分のことを忘れることはできない。一人で自宅に居て、恐怖のあまり必死で外へ出たが、立っていることができずに地面にたたきつけられ、呆然と激しく揺れる電線を見上げていたことを思い出す。
その後は、疲れも知らずに取材に明け暮れたこと、そして全壊した二人の友人の家から膨大な蔵書を救出したことを忘れることができない。当時はアドレナリン全開で極めて活動的だった。地震は私にとって“破壊”であるだけでなく“再生”への一歩でもあったからだ。
ところで、あの地震の体験を“風化させてはならない”と主張する人がいるが、あんな体験を忘れることができる人がいるのだろうか。“風化”させないために、今年もまたさまざまなイベントが実施され、計画されている。
十日には、仮設住宅跡地を巡る百キロマラソンが行われ、十一日には福厳院で復興祈念のイベントも行われた。十六日は大変忙しい。朝から合同追悼式、「ありがとうの碑」の除幕、自衛隊輸送艦「しもきた」の入港、「復興シンポジウム」、「復興コンサート」、「光のイルミネーション」と続く。とても全部取材できそうもない。
ところで「忘れるな! 忘れるな!」とばかりのイベントの連続に、三年前自宅を失ったある人が「本当にひどい目に遭った人は、“復興イベント”になんか参加しないよ」と寂しそうに語っていたことを思い出す。取材は別として、当日の夜くらいは、一人で静かに三年前のことを反芻してみることにしたいと思っている。
その後は、疲れも知らずに取材に明け暮れたこと、そして全壊した二人の友人の家から膨大な蔵書を救出したことを忘れることができない。当時はアドレナリン全開で極めて活動的だった。地震は私にとって“破壊”であるだけでなく“再生”への一歩でもあったからだ。
ところで、あの地震の体験を“風化させてはならない”と主張する人がいるが、あんな体験を忘れることができる人がいるのだろうか。“風化”させないために、今年もまたさまざまなイベントが実施され、計画されている。
十日には、仮設住宅跡地を巡る百キロマラソンが行われ、十一日には福厳院で復興祈念のイベントも行われた。十六日は大変忙しい。朝から合同追悼式、「ありがとうの碑」の除幕、自衛隊輸送艦「しもきた」の入港、「復興シンポジウム」、「復興コンサート」、「光のイルミネーション」と続く。とても全部取材できそうもない。
ところで「忘れるな! 忘れるな!」とばかりのイベントの連続に、三年前自宅を失ったある人が「本当にひどい目に遭った人は、“復興イベント”になんか参加しないよ」と寂しそうに語っていたことを思い出す。取材は別として、当日の夜くらいは、一人で静かに三年前のことを反芻してみることにしたいと思っている。
(越後タイムス7月16日「週末点描」より)