玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

花見の話題は

2006年04月29日 | 日記
 桜は散り際がいい。昨年に引き続いて、仲間と赤坂山公園の穴場とも言える一隅で花見を楽しんだ。そよ風がビールや日本酒を注いだビニールコップに、桜の花弁を運んできて散らす。なんと風流な趣だろう。
 酔っているうちに、誰が始めたのか、死体の話になった。なんという悪趣味だ。せっかくの風流も台なしではないか。快晴に恵まれた花見日和にする話題ではない。話の発端は、博物館でやっている海岸で漂流物を拾う「渚の会」の参加者がいたため、先日海岸に打ち上げられた身元不明の死体の話になったのだった。
 この手の話はエスカレートすることに決まっていて、「〓死体ほど気持ちの悪いものはない」だの、「轢死体の方がもっとひどい」だのという話が続き、死体の様子を描写する者もいた。少なからず皆、変死体を見た経験があるようで、中には、縊死による自殺者の死体を発見した体験を生々しく語り出す者さえいた。
 「興をそぐからやめよう」ということになり、話は終結したが、誰が言うともなく「桜の花の下だもんね。こんな話も出る」と言われ納得した。梶井基次郎の「桜の樹の下には」を踏まえた言葉だ。梶井は、こんな気味の悪い文章を残している。
 「屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでゐて水晶のやうな液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のやうに、それを抱きかかへ、いそぎんちやくの食糸のやうな毛根を聚めて、その液体を吸っている」
 だから、「桜の花はあんなに見事に咲く」というのが梶井が言いたかったことだ。美と醜の絶対的背反を見事に同一化してみせた。文学的な感性の伝統をつくり上げた。西行のいささか美的にすぎる願望を詠んだあの有名な歌よりも、重く響いてくる文章だ。
 そして、少しばかり文学的な饗宴は、いつ果てるともなく続き、桜も屍体も忘れられて、「花よりダンゴ」に移行していくのだった。

越後タイムス4月28日「週末点描」より)



気になってしようがない

2006年04月21日 | 日記
 近頃、環境の問題が気になって仕方がない。テレビでこのまま温暖化が進んだ場合の、百年後の地球シミュレーションなどというのを見せられると、絶望的な気持ちになる。環境問題に関する本もよく読んでいる。
 「二酸化炭素の上昇が地球温暖化の原因などではない」というような説を読んで、少し安心したいという気持ちもある。池田清彦の『環境問題のウソ』(筑摩書房)という本は、そういった視点に立って書かれた本で、「京都議定書を守る日本はバカである」とまで書いている。
 読んでいる時は少し安心するが、やはり本当の意味で説得力がない。近頃の異常気象が地球温暖化で引き起こされたものではないという説の論拠も明確でない。素人考えでも数億年も地下に眠っていた化石燃料を地表に露出させ、大量に燃焼させて何事も起こらないとは思えないからだ。
 アメリカの生物学者、ジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』(草思社)は、地球温暖化について書かれたものではないが、環境の問題を一つの文明が興隆したり滅亡したりすることの原因の中核に捉えている。イースター島やマヤ文明、グリーンランドの滅亡について、資源としての環境を人間が大量消費したためという視点から論じる。
 カール・マルクスは、「下部構造は上部構造を規定する」と言ったが、ダイアモンドの説は、下部構造(人間の経済活動)のそのまた基底に、資源としての環境という因子を据える。説得力のある本だ。
 ところで、柏崎市は今年度「バイオマスタウン構想」の策定を計画している。バイオマスとは生物由来のエネルギー資源のことで、地上に生まれて地上に帰っていくものだから、二酸化炭素の発生についてはニュートラルなものと言える。「木を燃やせば二酸化炭素が出るじゃないか」と言う人もいるが、発生した二酸化炭素は再び樹木に吸収されていくから問題はない。

越後タイムス4月14日「週末点描」より)



津和野のこと

2006年04月14日 | 日記
 島根県津和野町は森鴎外生誕の地として知られ、歴史、伝統、文化の薫り高い風光明媚で静かな盆地だそうである。行ったことはないが、安野光雅の画集等によって、その魅力の一端に触れることはできる。
 小京都と言われる津和野はその雅びな発音のためもあってか、多くの作家が小説やエッセイに取り上げている。そんなテーマで書かれた「作家が書いた『津和野の風景』」という一文を掲載した、山口市の文学同人誌「風響樹」が送られてきた。送ってくださったのは、その文の筆者である三浦義之さんという方である。
 三浦さんとは数年前から同人雑誌の交換を通して、互いに感想をやりとりさせてもらっている。三浦さんの住所は「山口市宮野西恋路」というので、何と艶っぽい地名なんだろうと、びっくりしたことがある。
 三浦さんの文章の冒頭に、タイムス紙にも時々寄稿をいただいている高橋一清さんの名前が出てくる。高橋さんは益田市出身で、平成六年に「ふるさと津和野鴎外塾成人講座」で、津和野を取り上げた文学作品、島崎藤村『山陰土産』、立原正秋『こころのふるさとをゆく』、司馬遼太郎『街道をゆく』などについて講演したという。
 三浦さんはさらに、高橋さんが取り上げた以外の文学作品を紹介している。山口瞳『なんじゃもんじゃ』、高井有一「津和野の楓」、伊集院静「二日酔い主義」のほかに、内海隆一郎『静かに雪の降るは好き』という作品が取り上げられている。この作品は、津和野町出身の医学者であり、「ホトトギス派」の俳人でもあった中田瑞穂の生涯を小説にしたものだ。
 平成六年に、その中田瑞穂生誕百年を記念して、その生家跡に石碑が建てられた。その発起人は中田の教えを受けた神経病理学者・生田房弘新潟大学名誉教授であることを、三浦さんは記している。三浦さんは生田教授が柏崎出身ということを御存知だろうか。
 また、昨年長岡市のイベントホールで開かれた、高橋一清さんの文学講座(その記録は、タイムス六月二十四日号~十一月二十五日号に掲載)で、生田教授が聴講されていたことを御存知だろうか。きっと高橋さんを通して知っておられるとは思うが、感想を含めてお知らせすることにしよう。

越後タイムス4月7日「週末点描」より)



三階節と米山

2006年04月04日 | 日記
 来年創立五十五周年を迎える柏崎民謡保存会の後援会理事会が二十四日に開かれ、会の現状と今後の方向などについて、いろいろ聞かせてもらた。平均年齢が年々上がっていて、退会する会員が多く、入会者が少ないため、会員数が減少しつつあるという。どこの文化団体も共通してかかえる悩みだ。
 横村英雄会長は、このことに危機感を抱き、このままでは会の使命である「伝統ある柏崎の民謡の保存伝承ができなくなる」と言う。会長は、若い人を会員に迎えるため、「三階節をベースにしたテンポの速い新しい民謡をつくりたい」との構想を持っている。昨年、高知に「よさこい祭り」を見学に行き、その若いエネルギーに圧倒されたのがきっかけだった。
 「よさこい」は全国的に隆盛を極めていて、柏崎の「どんがら祭り」も毎年賑やかに開催され、市内でも数多くの団体が活動を続けている。先日の「まちづくりフォーラム」で会田市長が、柏崎の民謡を見に来た旅行者が「よさこい」を見せられて、失望して帰っていったという話をしていたが、本当の「民謡」を愛する人だって大勢いる。
 「民謡」は各地の風土に培われた歴史とオリジナリティーを持っているが、残念ながら「よさこい」にはそれがない。「よさこい」のブームがいつまで続くか分からないが、いずれ衰退に向かうだろう。その時に、踊りたくてうずうずしている人を民謡の方に引っ張ってくるのもひとつの方法と思うが、それまで時間があるかどうか。
 横村会長の考える「三階節」のアレンジは強力な手だと思う。ひょっとして柏崎で最も有名なのは“拉致”でも“原発”でもなく、「三階節」かも知れない。柏崎のことを知らない人でも「三階節」と米山の名は誰でも知っているからだ。

越後タイムス3月31日「週末点描」より)



帰らぬ兎

2006年04月02日 | 日記
 おコツになって帰ってきた。立派な骨箱に入ってテレビの上に置かれている。仏壇に置くのがはばかられるからだ。この欄に何度か登場した我が家のウサギがついに“帰らぬ兎”となってしまった。
 一週間前に横たわったまま痙攣を繰り返すようになったため、“いよいよだな”と思った。家人が動物病院に連れて行った。動物病院はペットの犬と飼い主で満員だったという。
 中には若い夫婦連れもいて、「この人たち、会社を休んで犬を病院に連れてくるんだろうか」と疑問を感じたというが、とにかくペットブームで、何があってもおかしくはない。ペットの葬儀用の観音像まであるそうだから……。
 手当をほどこされ注射を打たれてウサギは帰ってきたが、横になったきり動かない。動物病院では「回復しなかったら、もっと強いのを打つから、連れてきなさい」と言ったとのことだが、横になって痙攣している姿は見るに忍びない。延命をはかることで苦しみを長引かせることはないと判断し、動物病院には連れていかずに成り行きを見守ることにした。
 翌日の夕刻、ウサギは息を引き取った。庭に穴を掘って埋めることを主張したが、家人はペット葬儀業者に頼むと言って、ちゃんと人間並みの祭壇をつくって蝋燭を灯し、線香を焚いて通夜を執り行った。
 葬儀業者が翌朝やってきて、遺骸を運んで行った。聞けばお寺でお経を詠んでもらい、高温で焼いて、おコツにして持ってくるとのこと。ほとんど人間並みの扱いである。
 葬儀業者はその日の夕方、立派な骨箱に入ったおコツを持って現れた。料金は一万五千七百五十円也。安いのか高いのか分からないが、その業者は自分で採ったというフキノトウを持ってきてくれた。ウサギのお陰で今年初めてフキノトウを口にすることができた。ところで、亡くなった一週間後、しめやかに初七日の儀も執り行われた。一周忌はどうなるのだろう。

越後タイムス3月24日「週末点描」より)