十六日に柏崎地域国際化協会が開いた日中関係をめぐるシンポジウムを取材して、いろんなことを考えさせられた。柏崎には中国に友好都市が三つもあること、それなのに現在柏崎市には日中友好協会がないこと等について、複雑な思いがした。
国際化協会が一昨年に公益財団法人となった時に、旧柏崎市刈羽郡日中友好協会を引き継いだ形になっていて、“日中友好”の文字は消えた。故田中角栄元総理も寂しがっているだろう。
しかし日中友好の太いパイプは旧西山町と旧高柳町にあったので、旧柏崎市の関心は薄かったという。旧柏崎市刈羽郡日中友好協会の植木征雄さんによれば、平成三年に峨眉山市で良寛詩碑の除幕式があった時も、旧柏崎市からの参加はほとんどなかったという。
柏崎市には、戦前に満州開拓団を送り込んで、ソ連軍侵攻によって悲惨な体験を強いられた歴史がある。だから、黒龍江省との関係も苦い思い出とともにある。中国側にとっても愉快な歴史ではなかったはずだ。
しかし、多くの開拓団の子供達は、中国人に引き取られて、中国人として成長することを許された。反日感情から日本の子供達を放置していたとすれば、多くの残留孤児達の今日はない。民衆レベルではそうなのだ。敵国の子供であれ、不憫でないはずはない。
今日の中国の反日感情は、主に国内事情によっている。国内に国民の不満が鬱積し、内政が不安定になれば、政府は排外的なナショナリズムを煽り立てて、国民を一致団結させようとする。
それは、歴史上、何回も繰り返されてきたことで、かつて日本が「鬼畜米英」を唱えた時もそうだった。中国に対しては冷静に“待つ”しかない。十六日のシンポジウムでも、発言者の誰一人希望を失ってはいなかった。
国際化協会が一昨年に公益財団法人となった時に、旧柏崎市刈羽郡日中友好協会を引き継いだ形になっていて、“日中友好”の文字は消えた。故田中角栄元総理も寂しがっているだろう。
しかし日中友好の太いパイプは旧西山町と旧高柳町にあったので、旧柏崎市の関心は薄かったという。旧柏崎市刈羽郡日中友好協会の植木征雄さんによれば、平成三年に峨眉山市で良寛詩碑の除幕式があった時も、旧柏崎市からの参加はほとんどなかったという。
柏崎市には、戦前に満州開拓団を送り込んで、ソ連軍侵攻によって悲惨な体験を強いられた歴史がある。だから、黒龍江省との関係も苦い思い出とともにある。中国側にとっても愉快な歴史ではなかったはずだ。
しかし、多くの開拓団の子供達は、中国人に引き取られて、中国人として成長することを許された。反日感情から日本の子供達を放置していたとすれば、多くの残留孤児達の今日はない。民衆レベルではそうなのだ。敵国の子供であれ、不憫でないはずはない。
今日の中国の反日感情は、主に国内事情によっている。国内に国民の不満が鬱積し、内政が不安定になれば、政府は排外的なナショナリズムを煽り立てて、国民を一致団結させようとする。
それは、歴史上、何回も繰り返されてきたことで、かつて日本が「鬼畜米英」を唱えた時もそうだった。中国に対しては冷静に“待つ”しかない。十六日のシンポジウムでも、発言者の誰一人希望を失ってはいなかった。
(越後タイムス3月25日「週末点描」より)