話が逸れてしまったが、ミシュレをこの本のトップに登場させたエドマンド・ウィルソンの根拠は、ミシュレが歴史というものは英雄や権力者がつくるものではなく、人民がつくりあげるものと考えていたところにある。この本の真の主役はレーニンであり、マルクス主義による革命運動こそがテーマであるのだから、最初に歴史の主体を人民に置いた歴史家としてのミシュレをトップに据える必然性がある。
しかし、ミシュレの言う〝人民〟とは何なのだろうか。ミシュレは印刷工の父と農民出身の母の間の子であり、もともと自分自身が人民に他ならなかった。だから彼は次のように言うことができた。
「自分のうちに人民をもっていなければならない――。大きな手を黄色の手袋の下にかくすやからのように、自分の出自を否定してはならない。」(1945年2月5日の覚え書=『フランス革命史』(中公文庫)桑原武夫による解説より)
ミシュレにとって人民は無謬の存在であり、歴史を動かす真の原動力であったし、第一にそれは自分自身のことであった。そしてそれは、マルクス主義の言う人民=プロレタリアートとは違っていた。
ミシュレの言う人民は国民主義的主体としての要素を強くもっていて、そのことはエドマンド・ウィルソンも、「5、国民主義と社会主義の狭間に立つミシュレ」の項で指摘している。桑原武夫によれば、ミシュレはフランス革命の〝海外輸出〟に肯定的であったというし、なにせ彼はフランスこそが世界を先導する国であると考えていたらしい。
こうしたことからミシュレは、国境を越えたプロレタリアートを歴史の主体とするマルクス主義者からの批判を受けたが、それが彼の限界であったのだろうか。しかし、マルクスの言うプロレタリアート、あるいは中国共産党の言う人民にしても、歴史による歪曲を受けざるを得なかった。プロレタリアートといい、人民というも、実体ではなく概念に過ぎないのである。
プロレタリアートのことは後回しにして、ミシュレの言う人民というものについて考える時に、私が読んだ『魔女』にあっても人民の理想化ということがはっきりとあったように思う。ミシュレは、魔女というものが王政や教会権力によって捏造されたものであり、多くの人民がいわれなく魔女に仕立てられて火あぶりの刑に処せられていった歴史を語る。
しかし魔女に仕立てることには、人民の間での差別と偏見あるいは羨望の要素もあったはずで、人民自身もまた魔女創出の咎を負うべきと私は考えるし、そういう見方をする歴史家も存在する。もちろんそれは支配する側の権力構造の歪みに帰せられはするのだろうが、罪の一端は人民自身にもあったのである。それは現代日本における公害被害者への差別や、東電原発事故の被害者へのいわれなき羨望や偏見という形で、再現しているというか、ずっとそのような構造は続いてきているのだ。
だから無謬の人民を前提とすることは間違っている。ポピュリズムというものを生む二つの要因、反知性主義と人民信仰を考えた時に、ミシュレは反知性主義には陥ることはなかったが、人民信仰においてナショナリズムの悪弊に陥ることは免れなかった。
それは「大衆の原像」というようなことを言った(まさに「自己のうちに人民をもっていなければならない」というような)日本の思想家もまた、人民自身によって足下をすくわれたのではなかったか。「大衆の原像」なるものが、いつの間にか〝大衆迎合〟(ポピュリズム)へと回帰していく姿を、我々は見たばかりである。
ミシュレに戻る。1870年の普仏戦争に際しフランスがプロイセンに対して宣戦布告する前に、ミシュレはマスクスやエンゲルスとともに反戦の宣言書に署名しているとウィルソンは書いている。これがミシュレをマルクス主義につなげる結節点である。しかし、宣戦布告がミシュレが断固として嫌ったナポレオン3世によるものでなかったなら、どうだったのだろう。