北京オリンピックに向けて、聖火リレーがスタートするというので、あの天安門広場で式典が行われている映像をテレビで見た。チベットでの暴動があったため、まことにものものしい警戒ぶりだった。つい一月前に天安門広場を訪れたばかりだったので、感慨深いものがあった。
私らが訪れた時は、ちょうど全人代(全国人民代表者会議)が人民大会堂で開かれていた時で、駐車場として使用するため天安門広場は閉鎖されていた。ところが、私らが訪れた三月六日だけは、全人代の休日で、天安門広場は開放されていたのだった。まことに運がよかった。
この広場は世界一広い広場だそうで、畳一枚くらいの舗石が敷きつめられているが、そこに二人で立つと四十万人、三人で立つと六十万人の人間を収容できるのだという。我々の想像をはるかに超えた面積なのである。
広場と天安門の間には、広い道路が走っていて、横断はできない。地下道をくぐることになる。地下道を出ると、多くの中国人観光客がいる。よく見渡すと、至る所に監視カメラが設置されているのが分かる。もともと厳重な警戒下にある場所なのだ。
緑色の制服を着た警察官が手荷物検査をしている。私らもやられるのかなと思ったが、日本人観光客には目もくれず、国内の旅行者のバッグを開けて中身を調べているのだ。不快な気持ちがした。外国人は信用し、自国民を疑ってかかっているのだから。チベットの暴動は起こるべくして起こったのではないかと、今にして思う。
二十年前の天安門事件を思い出した。この広場はあの時、多くの学生が戦車に踏みつぶされて死んだ所だ。そんな虐殺の広場が平和の祭典であるオリンピックの聖火リレースタートの場として使用されたことに、大きな矛盾を感じないではいられなかった。
私らが訪れた時は、ちょうど全人代(全国人民代表者会議)が人民大会堂で開かれていた時で、駐車場として使用するため天安門広場は閉鎖されていた。ところが、私らが訪れた三月六日だけは、全人代の休日で、天安門広場は開放されていたのだった。まことに運がよかった。
この広場は世界一広い広場だそうで、畳一枚くらいの舗石が敷きつめられているが、そこに二人で立つと四十万人、三人で立つと六十万人の人間を収容できるのだという。我々の想像をはるかに超えた面積なのである。
広場と天安門の間には、広い道路が走っていて、横断はできない。地下道をくぐることになる。地下道を出ると、多くの中国人観光客がいる。よく見渡すと、至る所に監視カメラが設置されているのが分かる。もともと厳重な警戒下にある場所なのだ。
緑色の制服を着た警察官が手荷物検査をしている。私らもやられるのかなと思ったが、日本人観光客には目もくれず、国内の旅行者のバッグを開けて中身を調べているのだ。不快な気持ちがした。外国人は信用し、自国民を疑ってかかっているのだから。チベットの暴動は起こるべくして起こったのではないかと、今にして思う。
二十年前の天安門事件を思い出した。この広場はあの時、多くの学生が戦車に踏みつぶされて死んだ所だ。そんな虐殺の広場が平和の祭典であるオリンピックの聖火リレースタートの場として使用されたことに、大きな矛盾を感じないではいられなかった。
(越後タイムス4月4日「週末点描」より)